1.市井の日記
僕たちの文明が異次元航法技術を開発してからしばらく。
今はもう宇宙探査は珍しい仕事ではなくなりました。
そこで驚いたのは、意外と宇宙には知的生命体が居るという事。
そして、文明を維持していくのは結構大変だという事。
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私たちが見た、ある星の文明は、最後の数十日で滅び去ったようです。
火山噴火による熱と、温室効果ガスの大量噴出による、急速な温暖化。
それは人間の長年の活動で加熱され、酸性化した海洋で吸収しきれる量を越えていたようです。
そうして発生した後戻りできない温暖化、いわゆる暴走温室効果によって灼熱の星に変わっていました。
化石燃料の使用を止めていれば、あるいはガスや熱の利用技術を確立していれば、果たして絶滅を免れたかどうかは、今回の私達の調査では火山からのガスの噴出量や熱量を正確に推定できなかったため計算できませんでした。
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ある星は人工衛星を打ち上げるまでは進んでいました。
しかし、その後、その星に彗星が接近。星との距離は十分にあり、普通に暮らしていれば衝突などの災害もなく、何事もないはずでしたが、運の悪い事に、この星の文明に致命的な被害が発生します。
人工衛星の連鎖破壊。
高高度にあった人工衛星が彗星のダストにあたって破裂、その破片が別の人工衛星にあたって破裂して、その破片がまた別の人工衛星にあたって……
僕らが見つけた時には人工衛星の破片、宇宙ゴミが吹雪のように飛び交ってその星を覆っていました。
多くの情報を衛星通信で処理していたその星の文明は、それでもうおしまいになってしまったようです。
知識を伝達するための頼れる物理書籍も乏しく、それでも何とか数百年前の原始的な機械動力を動かせる程度の文明は維持できていました。
ただし、人工衛星の塵が上空を覆って気温と日照量が低下。衛星通信などを利用して完全機械化していた農業生産も滞り。大量の餓死者が出たようです。
知識の伝承が途切れて、そして緩やかに衰退していくのか。
それとも失われた技術を再発見して復興していくのかは、今はまだわかりません。
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ある星は悲惨でした。
超大規模な核戦争があって、文明は滅びたようです。それでも人類は生きていました。
核爆発によって上空を塵が覆う核の冬。
地上は暗闇に包まれ、高濃度の放射能で汚染されていましたが、それでも生物は適応していたようです。
寿命はずっと短いですが。
現在、この星で最も繁栄している生物は菌類です。
巨大なキノコが地上に生え、人の子孫や動物をその傘で黒い雨から守り、食料に、衣類に、燃料になっていました。
私たちの星でも化学反応で光るキノコは観察されていますが、この星のキノコは放射性同位体を取り込んで傘の一部に送り、光を放っています。
その光で細々と光合成をおこなうように進化した植物と、その酸素を使う生き物で生態系が生まれていました。
降り止まない黒い雨の中で青白く光るキノコと、それに寄り添うように生きる生物たち。
文明の再興は望むべくもありませんが、その星の生物がお互いを守ろうとしているように見えて、痛ましくも美しい光景でした。
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自然は思いがけない造形を作ります。
僕が驚いたのは軌道エレベーターに似た巨大構造です。
天然ものです。
そんな馬鹿なと思いましたし自分でも目を疑いましたが、奇跡的なバランスにより実在していました。
形成過程は僕らの星の天然の衛星の成り立ちに近いようです。
あの衛星は太古の昔、母星に激突して減速した拍子に周回を始めたという説が有力です。
この星では、もっと小さい星が、ぶつかった衝撃でドロドロに溶けました。
結果どうなったかというと、衛星になりかけたその小天体は、はちみつが糸を引くように、溶けた一部が惑星につながったまま固まって、軌道エレベーターみたいになったようです。
知的生命体が生まれたら崇められること間違いなしって感じです。けど、もう少ししたら大気に削られるか内部応力の関係で折れて壊れて無くなっちゃうかもしれません。
観光や研究はお早めに。
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今日、私たちの母星とそっくりな青い星を見つけました。
一日があり四季があり、磁気を持ち、衛星を持ち、潮汐があり、約3.5%の塩分を持つ海が広がり、地上には葉緑体様の構造で光合成とよく似た生命活動を行う植物が生えています。
私たちは極軌道をとってこの星全体を観察する事にしました。
知的生命体の存在も確認され、既に天体観測技術を持っていたため、見つからないうちに離れようとしたのですが……
「あれ? この星の言語、翻訳に入ってる?」
この発見で、後にあんな騒ぎに巻き込まれるなんて……。
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現在、地上は空前の宇宙人ブームである。
新聞とラジオが連日四六時中、やれ宇宙船がどうの政府の対応はどうの、学者先生の見解がどうのと報じている。
この星の空気の層のずっと上、月よりもずっと地上に近い場所を飛ぶ物体が発見された。
夜の星々に紛れるようにか、逆に自分の存在を知らせようというのか、夜空にチカッ……チカッ……と光が瞬く。それが夜空の端から端へ流れていくのだ。
興味深い事に、この新参の衛星は昼と夜、一日に二回、自分たちの上を通過する。
そういったわけで、この世界のどこに居ても、この飛行物体を見そびれるという事はなかった。そんな気前のいい星なのだ、一目見ない道理がない。
科学者達が観測結果から導きだした軌道の予測を元に、世界中のラジオや新聞が、衛星が自分たちの街の上空を通過する時刻を発信している。今や小さな子供から年寄りまで、夜空を見上げて星の海からこの訪問者を探している。
そんな熱狂の中、学者や一般人が集まってあらゆる話題が討論されている。その内容がバカバカしくも興味深いので一部抜粋して記す事とする。
宇宙人は居るのか?
衛星の発する光が自然物とは考えづらく、人工的なものであると想定される。
そして、衛星の軌道に物体を乗せる理論は出来上がっているが、それを構築する技術はこの星に存在しないとのことだった。
しかし専門家の解説を聞いても素人には何故不可能かが分からない。理屈が分かっているならどこぞの富豪やらが製作していてもおかしくないと思える。そうした者が宣伝目的で世界をあっと驚かせようとしていないと誰が言えるだろう。
惑わし避けの呪文というのはそれ自体が効果を持つわけではなく、三十回唱えている間に冷静になるという理にかなったものである。
新聞やラジオの内容と言えども熱狂を持って情報を見聞きするのは危険であるとともに恥ずべき事と心に留めながら続きを記すこととする。
宇宙人が接触を図って来たらどうするのか?
まず、相手は何者なのか、何が目的かははっきりさせなければならない。
向こうに攻撃の意思がなくても、例えば宇宙人が持ち込んだ未知の病原体によってこちらが壊滅的な被害をこうむる事もあり得る。
しかし、感染症は有史以前から重ねて問題にされてきたことだ。宇宙空間を越えるような高度な文明を持つ宇宙人が、そんな愚を犯すだろうか?
という意見も出たが、用心に越したことはないだろう。そもそも宇宙人が我々と同じように感染症に罹るかどうかも不明なのだ。
さて、仮に接触したとして、問題は言語理解についてだ。
どんなに高度な文明であろうと聞いたことのない言語、生活習慣は分からない。
最初は身振り手振りで意思の疎通を行うしかないだろう。
彼らの言語における『これは何ですか?』という語句を把握すれば意思の疎通はより円滑に進むであろうと聞いたときは、なるほど、学者というものはしっかりとした思考の持ち主だと感心した。
また、ある学者は宇宙人は他の天体からやってきてこの星の周回軌道を利用できるのだから数学に優れているはずと主張していた。
であれば、数学が対話の道具になりえるわけである。
例えば着陸場所の指示などだ。
しかしラジオでは果たして宇宙人が利用しているのは何進法なのか? なるほど、数の合理的な扱いについては各国の議論は未だに決着がついていない。進歩的な宇宙人が居るとしたら何進法を使っているかは興味深い問題である。
ただし、数の扱いは手の形や季節や月の巡りを観察する事によって形作られたと考えられている。宇宙人の姿かたちや星の環境が大いに影響するはずである。
このように地上では荒唐無稽な話から興味深い話まで幅広く議論されていた。
しかし荒唐無稽な夢物語ではなくなった。
世界中の研究室に、宇宙人から流暢な公用語で無線通信が届いたのだ。
曰く、宇宙人たちは宇宙に飛び出した電波を拾って解析し、こちらの言語や受信機の構造を割り出したらしい。
どうやったらそんな事が出来るのか、脳の構造が違うと学者たちは舌を巻いていた。
通信では彼らの星の歌が流れ、彼らの言葉で喋った後に、我らの公用語を話しはじめるのだが、今なお言語の専門家が分析を続けている、それを個人で早々にこなしてしまう宇宙人、恐ろしい頭脳の持ち主である。
あまりにも信じがたい技術だったため、さすがに誰かのいたずらではないのかという話も出たが、専門的な天体や数学の知識にもよどみなく答え、宇宙船の光の点滅の方法を変えてくれないかという問いかけにも即座に反応したらしい。
宇宙人は現在、指定された空柱連合、東在帝領、森冷王国の三国の境界にほど近い古城の付近に降りたと伝えられている。
宇宙人は高度な技術を持ち、見た目はごく普通の人族の男女の姿をしているらしい。
今のところ政府からの簡素な発表のみなので詳細は不明だ。
しかし、肝心の着陸した宇宙人は人形であるという話すら囁かれている。
人形だから感染症など持っていないという皮肉さえ聞こえてくる始末だ。噂半分に聞くとしても何かしらの根拠がある話なのは間違いない。
このご時世だ。人族中心主義をうたう一派の手の込んだやらせではないかというのは考え過ぎだろうか?