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どろゆり – 東陽女学院編  作者: 富士見永人
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 怪文書などスマートフォンやSNSの普及した西暦二〇二〇年現在ではいささか古臭い手口であるが、あいにく下界から隔絶された東陽女学院ではSNSの使用は全面的に禁止されており、許可されたサイトやサービス以外のアクセスが制限された特殊な専用スマートフォンの使用のみ許可されている。よって匿名掲示板やSNSで誰かの悪口を書いたり見たりすることはできない。これも東陽女学院にふさわしき箱入り娘を育成するための措置である。

「何よ、これ――」

 掲示板に堂々と張り出された怪文書を見て平子(ひらこ)は絶句し、わなわなと怒りに震えていた。


 犯人の目星はついている。十中八九あのいけすかない凛々亜(りりあ)ラブのレズ女、聖華純(ひじりかすみ)と不愉快な仲間たちの仕業だろう。平子が忠告を無視して凛々亜と変わらず仲良くしているのが気に食わなかったので制裁を加え、学校から追い出してやろうと画策したわけだ。

「あっ。下谷さん」

 誰かがそう(ささや)くと、怪文書の前に集った野次馬たちの視線が一挙に平子に集中した。汚れも疑うことも知らずに育ってきたお嬢さまがたはこの荒唐無稽な怪文書の内容を信じこんでいるのか、その視線には汚物でも見るような生理的嫌悪感が、込められていた。

 とにかく、この不愉快な怪文書を一刻も早く撤去しないと――


 びりびりばりべりぼり。


 怪文書を跡形もなく引き裂いたのは平子――ではなかった。

「誰がこんな卑劣なことを」

 いつのまにか登校し大海を割るモーセさながらに群衆をかき分けやって来た凛々亜が、引き裂いた怪文書をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に正確なコントロールで投擲(とうてき)し、ヒステリックに叫んだ。

「平子さん」

 凛々亜が平子の名を呼ぶと、衆目がふたたび平子に一挙に集中した。

 凛々亜は野次馬には眼もくれずに平子に駆け寄り、ぎゅうと強く抱きしめ、あろうことかその場で濃厚な接吻(ディープキス)をした。

 予期しない形で名誉を傷つけられ、もはや東陽女学院に己の居場所はないと絶望にくれていた平子にとって、凛々亜の接吻(キス)はまさしく福音――砂漠の中のオアシス、地獄に垂れ下がったひと筋の糸のごとし。

 しかし恍惚(こうこつ)とした表情ですべてを委ねる平子に対して、凛々亜が群衆に向ける視線には、明らかな憎悪が込められていた。そして怯んだ群衆を()めまわし、よく通る凛とした声で、毅然とこう言った。

「怪文書を貼った犯人がここにいるかは、私にはわかりません。が。このように卑劣な振舞いをする人間を、私は東陽女学院の生徒会長として、断じて許すわけにはいきません。必ずこの手で見つけ出し! しかるべき制裁を、加えます」

 それから一転して慈母のように優しい眼で、平子を見遣り、微笑んだ。

「平子さん」

「は、はい」

 もはや身も心も凛々亜の虜となっていた平子は、蕩然(とうぜん)と凛々亜を見返した。

「辛かったでしょう。私は何があっても、貴女の味方ですわ。こんな根も葉もない中傷(デマ)を広めた犯人は、私が徹底的に叩きつぶし! この学園から追放しますから。安心してくださいね」

 よく見ると凛々亜の眼は笑っていなかった。


 下山平子(しもやひらこ)は、都内の名門お嬢様学校、東陽女学園に通う高校一年生だが、生まれは平民も平民、むしろ最底辺に位置する貧乏家庭であった。父親は最低賃金すれすれの派遣社員、母親は最低賃金を下回る闇の非正規雇用(ブラックバイト)。六畳一間のアパートで三人暮らしという有り様で、資本主義社会の歪みを象徴するような困窮ぶりであった。

 平子が中学にあがった頃に父親が最近流行りの〈派遣切り〉に遭い、すっかり働く気をなくしてニートになり、家で飲んだくれるようになってからはもはや家庭の体すらなしておらず、母が父に働くよう促すと逆上して暴力を振るうようになった始末。

 こうして平子は、家出を決意した。

 最近はゴーグル先生とかいう便利な代物のおかげで似たような境遇にある娘たちがどうやって生き抜いているのかを調べることは容易(たやす)かった。住込みでアルバイト……などという苦学生生活を平子は望んでいなかったし、そんなことより(したた)かな平子は容姿可憐な十代少女の市場価値を知っており、今はパパ活アプリなどという便利なものもあるので、金づる探しには困らなかった。歳の離れた中年親父とちょっとお茶して話すだけで暮らせるなんてまだまだ世の中捨てたもんじゃないな、などと思っていた。

 家に泊めてもらうとなると体を求められることもあったが、あのDV親父のいる忌まわしき家に帰るよりはましだったし、すぐに慣れた。貧乏すぎてろくに小遣いももらえないあの家に居続ける意味はないし、何より身の危険があるので帰りたくなかった。初めは母親が心配して電話やメールなどよこしていたものの、それもだんだんなくなっていった。

 中学を卒業し、そんな生活を一年くらい続けていたある日、パパ活アプリで知りあった初老の男と寝た。恰幅(かっぷく)のいい男で、どこかの大会社のお偉いさんなのかと思い、同情を買う目的で家庭のことを話し、家に帰りたくない旨伝えたら、「それじゃ、うちに来なよ」とあっさり商談成立。てっきり彼の家にでも招かれるのかと思いきや、学生寮であった。

 驚いたことにこの初老の男は天下の名門私立東陽女学院の校長で、援助交際の常習犯であり、すでに一万二千人の女性と臥所(ふしど)を共にしたと言っていた。平子の境遇に同情したのか、学費や生活費はすべて校長(パパ)が肩代わりし、中卒援交少女の人生は一転して天下のお嬢様学校の生徒という、まるでどこかの小説みたいな超展開に平子は夢でも見ているのかと思わず頬をつねるなどしてしまったほどであった。


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