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「ごきげんよう。下谷平子さん。私は二年桜組の聖華純。生徒会副会長を勤めていますわ。以後お見知りおきを」
聖華純の第一印象は、「凛々亜にひけをとらない才色兼備の令嬢」という具合だった。どこか日本人離れした西洋人形のごときふわふわな凛々亜の髪とは対照的に、華純の髪は漆黒のサラサラロングストレートであり、和服がこの上なく似合いそうな和風美人という感じだった。
そんな彼女は日本中に展開する大手百貨店シオングループの会長の孫娘であり、平子とは住む世界の異なる雲上人ともいえる存在だ。いつも神藤道子や他の生徒会メンバーと一緒にいるところをよく見かけるが、今日はひとりのようだ。
「どうぞ。お座りになって」
華純は柔らかに微笑み、育ちのよさを感じさせる優雅な仕草でベンチに着席し、平子にも隣に座るよう促した。
だが、その笑顔の仮面の下に隠された支配者一族の娘としての顔を見透かしていた平子には飼い犬に対する「おすわり」に聞こえた。
「失礼いたします」
平子は軽く一礼してから華純の左側に腰かけた。中庭の中央に佇立する社会主義国家の指導者然とした学院創立者の銅像、その頭部にちょうど日がさしかかり、後光がさしているかのような錯覚を与える。
「テストも近いのに、いきなり呼び出してごめんなさいね」
表向きはまだ敵意を露わにしていないが、恋敵としてこちらの真意を探りにきている、と、敏感な平子にはわかっていた。上品な言葉遣いと態度は、己の真意を隠し敵の腹の内を探る鎧なのだ。
「勉強の方は進んでいるのかしら?」
「ええ。まあ。一夜漬けするタイプではないので」
「いい心がけね。偉いわ。私、まだ全然勉強していないの」
それは勉強しなくても高得点がとれるという自慢か、と、平子は内心毒づいた。東陽女学院では競争心や功名心を煽り、生徒たちの学力を向上させるために、各学年の成績優秀者上位二十名までを校内掲示板に貼り出している。聖華純の名はいつもその中で首位争いしていることで有名であった。
「家に帰ると、いつもアントーニエがかまってほしいってしつこくて」
「はあ」
「ああ、アントーニエは我が家のペットで、ローシェンというマルチーズに似た犬種なのよ」
華純は生徒手帳を懐から取り出し、開いて見せた。そこには彼女がいかにも血統書つきといった小洒落た愛犬と一緒に写った写真のシール(たしかプリクリとかいうゲームセンターとかで見かけるミーハーな機械だ)が貼られていた。なお東陽女学院では携帯電話やスマートフォンの持ちこみは禁止されている。
「かわいいワンちゃんですね」
平子には全然かわいいとは思えなかったので、どこか棒読みだった。何となくベートーベンに似ているのでいっそ改名してはどうか。
「あなた、ペットは飼っていて?」
「ペットは飼ったことないですね」
「そう。なら犬を飼うことを薦めるわ。とてもかわいくて、幸せな気分になれるのよ」
「はあ」
テスト前のこの時期にわざわざ呼び出され、初対面というか敵意を持っているであろう人間に要件と関係ない無駄話に付きあわされ、平子はだんだんうんざりとしてきた。むろん上級生の手前そんな態度を表に出せば、相手に付け入る隙を与えてしまうので、あくびを隠しながらも付きあっていたが、いいかげん早く帰って今流行りのスマホ音楽ゲーム「SYTUC」をプレーしたくなってきた。
「あの」
キリがないな、と思った平子はしびれを切らしたように、遮った。この女の笑顔の裏に隠されし獲物を狙う毒蛇のごとき眼光が、平子には不快だった。一刻も早くここから離れたいと思えるほどに。
「申しわけありませんが、私も試験勉強がありますので、世間話でしたらまたの機会に」
「あら。ごめんなさい。せっかくこうしてお会いできたのだから、ゆっくりお話がしたかったの」
態度を一変させた平子に動じることもなく、華純は品の良さそうな柔和な笑みを崩さず……
「あなたは凛々亜さまのことをひとりの女性としてどう思っているのかしら」
いきなり冷ややかな声色でそう問われ、数秒前の淑やかな態度とのあまりの落差に、平子の心の臓は直下型地震のごとく激震した。
華純は相変わらず笑顔だったが、よく見ると今は眼が笑っていない。
「質問の意味がわかりかねます」
動揺を悟られぬよう、平子は取り繕うので精いっぱいだった。
「凛々亜さまはあのように完璧な御方だから、校内にファンは多いわ。あなたが凛々亜さまに恋焦がれていたとしても、別に不思議ではないけれど」
百七十センチ前後と女性としてはかなり長身の華純は、座ってなお平子より頭半分くらい高い位置から今度は露骨に見下し、圧を加えるように低い声で続ける。
「分を弁える、というのは大事なことよ。下谷さん。身の丈にあわない恋は身を滅ぼす原因。長生きしたければ、分不相応な望みは捨てることを勧めるわ。人生の先輩として、一応忠告ね」
何が人生の先輩か、と、平子は胸の内で唾を吐いた。
「ご忠告ありがとうございます。肝に銘じておきますわ。では、テスト勉強もありますので、これにてお暇を」
もういい加減にそそくさとその場から立ち去ってしまおうと立ちあがった平子に対し。
「あなた五月から編入してきたけれど、東陽には高等部の入学試験はあっても途中編入は原則認めてないのは、ご存知かしら?」
華純が勝ち誇ったような笑みでそう言った。
「といっても、まったくないわけでもない。大人の事情でねえ。うふふふ」
「何をおっしゃりたいのかしら」
平子の顔から笑みが消えた。
「別に? 誰しも他人に知られたくない秘密のひとつやふたつあるし、私、他人に言いふらして回るようなお下品な趣味はないから、安心なさい。くすくす」
「まるで私が何かいけない隠しごとでもしているかのような言い草ですね」
可能な限り自然な作り笑顔で、平子はそう返した。
「あら。違うとおっしゃるのかしら」
想定外の展開に、平子の思考回路は熱暴走寸前であった。
何だ、この女は。
どこまで知っている……?
金持ちのお嬢さまらしく探偵でも雇ったのだろうか。
いや。そんなことは重要ではない。
問題はこの女が凛々亜に首っ丈で、私の〈秘密〉を知っているかもしれない、ということ。とどのつまり、聖華純はこう言っているのだ。
「秘密をバラされたくなければ私の凛々亜さまに近づかないで。この泥棒猫」と。




