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09 神子姫、街に下りる



 カラカラと車輪の回る音がする。

 ゆったりと走る馬車は揺れも少なく、ふかふかのソファとクッションのおかげもあって快適な行程だ。


 窓の向こうに広がるのは、きれいに整備された城下町の景色。

 ベージュやアイボリーの壁に、色鮮やかな屋根。整えられた草木も点在し、大広場には噴水も設置されていた。

 今はちょうど春も盛り。完璧な計算のもと配置されたお城の庭の花々もきれいだけれど、城下町で見かける自然はどこか伸びやかで胸が躍る。

 現代日本人の感覚で言えば、異国情緒あふれる風景というやつだ。

 テレビやパンフレットでしか見たことのない景色が、目の前に広がっている。

 へばりつきたいのを必死に我慢しながら窓の外を眺める。

 まばたきすら惜しいと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。


「外だぁ……」


 うっかり、そんな気の抜けまくった声がこぼれた。

 感想どころかただの事実でしかない。

 人間、感極まりすぎると言葉が出てこなくなるものなんです。私だけじゃないんです。


「物珍しそうだな」


 私の向かいに座っているアーロイス様が、おかしそうにくすりと笑う。笑われた、というほうが正しいかな。

 たぶん、私の態度が初めて旅行で遠出した五歳児にでも見えたんだろう。

 実際、それくらいオーバーな反応をしている自覚はある。

 今の私は、下手をすれば五歳児よりも外の世界を知らないんだから。


「そりゃあ珍しいですとも。私がどれだけ箱入りだったと思ってるんですか! 神殿の外に出たのなんて、嫁ぎに来るときが初めてですよ!」

「……ああ、そうか」


 全力で言い訳すれば、今度は痛ましいものを見るように眉尻を下げた。

 別にそんな表情をさせたかったわけではなかったんだけれども。

 とっても優しい旦那様は、私以上に私の出自を気にしてくれているようだ。


「アーロイス様……あ、今は、アルフレド?」


 出立の前に告げられた偽名で呼び直してみるものの、とてつもない違和感を覚える。

 感覚的なものでしかないけれど、アーロイス様にはアーロイス様というお名前が一番似合うと思う。

 呼び捨てが照れるっていう理由のほうが大きい気がするのは、ちょっと否定できない。


「馬車の中でまで装う必要はない。孤児院に着けば、護衛の一人として扱ってもらうことになるが」

「もう、普通に夫婦で慰問に行けばよかったんじゃないかって思うんですけど」


 この世界――少なくともこの国では、立場の高い人が慈善事業をするのは半分義務のような部分があるらしい。

 歴代皇帝に関するお勉強のとき、福祉問題に生涯を捧げた皇帝の話も出た。……時代も名前も忘れたけど。

 私を一人で行かせるのが心配だったなら、皇帝として隣にいたほうがフォローだってしやすいはず。

 わざわざ変装までしてこそこそとついてくる必要はなかったんじゃないだろうか。


「……氷陛下が孤児院に現れてみろ。阿鼻叫喚だ」

「アーロイス様でもアルフレドでも、顔が怖いのは変わらないじゃないですか」

「人は姿形以上に名を恐れるものだろう。世を知らない幼子ですら」

「そういうものですか?」


 セレーノの神殿から出たことのなかった私の耳には、氷陛下の噂もほとんど届くことはなかった。

 アーロイス様のどこが氷なんだろう、と不思議でしょうがないくらいには、彼を怖いと思えない。

 顔だけで言うなら、たしかに人よりも少しおっかない気はしなくもない。

 けれど、声や表情や言葉選びで作られる雰囲気が、それを上回る人の好さを伝えてくる。

 今、目の前に座っているアーロイス様をじっと見つめても、やっぱりどこにも恐れる要素を見つけられない。

 だって、私を映す氷色の瞳は、その色に反していつもやわらかな光を宿しているから。


「……エヴェリーナ?」


 凝視しすぎたのか、困惑したように名前を呼ばれた。

“氷陛下”とは思えない気弱そうな表情に、私は堪えきれずに笑みをこぼす。


「まあ、黒髪よりは威圧感が少ないような気もしますね。染めてるんですか?」


 ごまかすように、いつもと違う色をした髪に話題を変える。

 とっさに出てきた疑問は、地味に気になっていたことでもあった。

 作り物のようには見えないけれど、皇帝陛下が簡単に髪を染めても許されるものなんだろうか。


「色の源石だ。瞳は無理だが、髪の色なら変えられる。染料のように色を落とす必要も染め直す必要もない」

「便利ですね……」


 この世界の生活に、源石は思っていた以上に密接に関わってきている。

 前世の歴史で様々な発明や商品開発によって便利になった部分のほぼすべてを源石が補っていると言ってもいい。さすがに、前世ほどの文化レベルではないけれど。

 クルイークに来るまでこれほどとは知らなかった。質素倹約を善しとする神殿住まいの私は、本当の本当に箱入りだったんだと思い知った。


「悪用される危険もあるため、市井にはあまり出回らないようにしている」

「まあたしかに、いくらでも使いようはありますよね。まさか、天下の皇帝陛下のお忍び道具に使われるとは誰も思わないでしょうけど」


 アーロイス様の変装姿を改めて見て、ふふっと笑ってしまった。

 女の子なら誰しもが憧れてしまいそうな、見事な騎士姿だ。

 深い眉間のシワも、髪色のおかげか格好のおかげか、怖さよりも頼もしさを感じる。

 こんなに格好いい人が私の旦那様だなんて。無理を通してついてきてしまうほど、私のことを本気で心配してくれるなんて。

 クルイークに来てからずっと、夢の中にいるみたいだ。


「……笑うようなことか?」

「いえ、アーロイス様のそういう親しみやすいところ、好きですよ」

「っ……」


 ふわふわとした気持ちのまま告げれば、アーロイス様は眉間のシワを増やして目をそらしてしまった。

 照れたんだろうなぁ、という予想はおそらく間違っていない。

 最初の頃は、怒らせてしまったかもしれないと気を揉んだものだったけれど、この程度は察せられるくらいには仲良くなれたと思う。

 何より、アーロイス様は顔と身分に似合わず、とても素直な方だから。

 不器用ながらも私を大事にしようとしてくれる気持ちがうれしくて。私との間に変な壁を作らないでいてくれることに、とてもほっとする。


「それにしても、いいんですか? “ただの護衛”が妃と同じ馬車に乗っちゃって」


 まあ、今現在は、壁のなさが逆に心配になってしまうんだけれども。


「二人きりともなれば問題だが、侍女もいる。護衛が傍に控えているのは何もおかしなことではない」


 言いながら、アーロイス様は馬車の中にいるもう一人にちらりと目を向ける。

 そう、実は二人きりのような調子で和やかにお話ししていたけれど、私付きの侍女はその間もずっとうつむきつつ微笑んでいた。

 今日ついてきてくれた侍女は、あのイーダ。私とアーロイス様を見る目が、完全に憧れの芸能人カップルへのそれになってる彼女だ。

 きっと今も、彼女の脳内では私たちのやり取りがラブラブ変換されていることだろう。


「……さすがに、中で大人しくしていてくれ、と他の護衛に泣かれた」


 私が納得しきっていないのを察したのか、アーロイス様は複雑そうな表情を浮かべつつ補足してくれた。

 なるほど、完全に理解。

 護衛の人たちとしては、本当なら最優先で守るべき皇帝陛下がついてくることだって反対したかったはずだ。

 そこが覆せないのなら、せめて一番守りやすいところにいてほしい。それこそ、今回の警護対象の皇妃のすぐ傍に、と。

 皇帝陛下に振り回される護衛たちの苦労がしのばれる。


「アーロイス様がこんな無茶をする方だとは思いませんでした」


 今回は私のためというのがあるとしても、周りの反応からして、お忍びは今に始まったことではなさそうだ。

 オルトルートさんに諦められてしまうほど、となると相当なものじゃないだろうか。


「無茶をしているつもりはないんだが……気軽な身の上だったときの感覚が、まだ抜けきっていないのかもしれない」

「身軽……? 皇太子時代ですか?」

「オルトルートから聞いていないか?」


 私の問いかけに、アーロイス様のほうが不思議そうな顔をした。

 そう言われましてもなんのことやらですよ。

 オルトルートさんの話なんて、勉強に関することと私へのダメ出しくらいだ。……ちょっと泣きたい。

 まったく思い至るものがなくて、私は小首をかしげる。


「いや、今はやめよう。もうじき到着する」


 ちらりと窓の外に目を向けたアーロイス様は、そうやって話を区切った。

 気づけば、窓の外の景色はすっかり変わっていた。

 ほどなくして減速し始めた馬車から見えるのは、賑やいだ町並みではなく、緑の多い庭とその先の赤い屋根の建物だけとなった。


「緊張、しているか?」


 完全に停止したタイミングで、アーロイス様はおずおずと尋ねてきた。

 気遣わしげな視線はまっすぐ私に向けられている。

 本当に優しい人なんだから、と私は内心苦笑してしまった。

 もちろん、皇妃としてふさわしくない姿を国民に見せるわけにはいかない、という意味の心配もあるんだろうけれど。

 それだけじゃないことは、ちゃんとわかっているつもりだから。


「皇妃らしい対応ができるかは、正直自信がないです。でも、緊張はしていません」


 そう言って、私はにっこり笑う。

 少しでもアーロイス様を安心させられればいい。

 ……逆に、別の心配をされそうな気もしつつ。


「子どもは、好きなんです」


 実のところ、最初のお仕事の場として、孤児院はこれ以上ないほどの好条件だった。

 皇妃として人の上に立つより、子どもと野原を駆け回るほうがよほど私らしいだろう。

 もちろん、そんなことは今の私には許されてはいないけれど。

 それを少しだけ寂しいと思ってしまうことだけは許してほしい。



 前世の私――『もとか』は、保育士を目指していたから。







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