08 神子姫、初仕事が決まる
帝国に嫁いできて、あっという間にひと月が過ぎた。
順調に、かはわからないけど、だいぶアーロイス様と打ち解けてきた気がする、今日このごろ。
アーロイス様が優しい人だということも、ちょっと不器用な人だということももう知ってる。
最近はちょっとした表情の動きで、アーロイス様が何を考えているのかもわかるようになってきた……ような気がする。
アーロイス様は私に、好意は持ってくれていると思う。
ただそれは、神子姫として利用価値があるからかもしれない、っていう疑念もある。
疑念というか、それならそれで当然だし、しょうがないことなんだけど。
ダンスの練習はびっくりするくらい順調だ。
アーロイス様は適度に私をリードしながら、ダンスのコツを教えてくれる。
全部をすぐには覚えられないけど、私が間違えてもアーロイス様は呆れずに、できたところを褒めてくれる。
褒めて伸ばすなんて、アーロイス様は本当に良い上司だ……っていや上司じゃなかった。旦那様だった。
根気よく付き合ってくれるアーロイス様のおかげで、今日はダンスの先生にも褒められた。
「最初は心配でしたが、エヴェリーナ様はとても飲み込みが早いのですね」って。一言余計だ。
ダンス以外にも、歴史の勉強だとか時事問題だとか、ちょっとした雑談の際にアーロイス様が助言をしてくれることが増えた。
寝る前の少しの時間が、皇帝陛下という贅沢すぎる家庭教師付きの勉強タイムになりつつある。
理解できるようになってくると、勉強の中にも楽しみを見いだせるようになる。そういえば前世の私は、学校の勉強は嫌いだったけどテストはクイズみたいで好きだったなー。
そんなこんなで、少しずつ好転してきたお妃教育。
オルトルートさんの眉間のシワが微妙に浅くなったかなーって頃に、その話はやってきた。
「慰問?」
「ええ。城からほど近い、教会に隣接した孤児院へ行っていただきたいのです」
ほうほう、と私は習ったばかりの地図を脳内に広げる。
帝国の都は周りをぐるっと城壁で囲った城郭都市だ。昔、激しい領地争いがあった名残なんだとか。
等間隔に整備されている街中は、五つの地区に分けられる。東西南北、そして政治の中心である中央区。私たちが今いる城も、中央区のド真ん中に建っている。
教会は地区ごとにあって、中央区に建ってる教会が一番大きい。教会と孤児院が隣接してるのはこの国では普通のことで、孤児の保護以外にも教会は慈善活動の中心になっている。
ちなみに城のすぐ横に建っている神殿は、地上での神様の仮の住居みたいな感じで、国内にいくつも点在している教会とは区別される。
神殿は基本、一国につき一カ所で、国を挙げての祭事のときなんかに使うだけ。たとえば皇帝陛下の結婚式とかね。普段から国民がお祈りに行ったり、ちょっとしたチャリティーなんかが開かれるのは地域密着型の教会のほう。
とかなんとか、セレーノとシュトルム帝国は同じ国教だからその辺はだいたい一緒のはず。
神子姫だったにも関わらず、そんな基本情報すら知らなかったんだから、教育係の心労も推して知るべし、だよね。
「いくら他国から嫁いでいらして、慣れない環境で苦労なさっているとはいえ、皇妃としての役割を果たしていただかなくては方々の不満が溜まります。けれど今のお妃様では、魑魅魍魎に揉まれてはひとたまりもないでしょう」
「自国の貴族をすごい言い方しますね……」
「そこで、それならば先に民を味方につけてしまおうというのが、陛下と私の共通認識です。幸い、お妃様にはセレーノの神子姫という大変輝かしい肩書がございます。民のため祈っていらした神子姫様が、慈善事業に積極的に取り組まれても、なんの不思議もございません」
「なるほど……」
パーティーとかはまだ出られなくても、国民のために動いてるんだから文句は言わせねぇぜってことか。
表向きは皇妃としての慰問だけど、神子姫としての私も期待されてるってことだよね。
実のところ、セレーノでは神殿から一歩も出たことがなくて、来る日も来る日もただ祈ってただけで慈善事業も何もあったもんじゃなかった。
皮肉なものだけど、セレーノを出てようやく、神子姫として世のため人のために働けるようになったのかもしれない。
「皇妃がそんな簡単に外に出てもいいんですか?」
「当然、護衛の者をおつけいたします。移動は馬車で、街を自由に歩くことはできません」
「それはもちろんです、けど……」
私が聞きたいのはそういうことじゃない、ってオルトルートさんもわかってるだろうに。
まだこの国の、この世界の常識に疎い私には、これが普通のことなのか判断がつけられない。
じーっとオルトルートさんを見上げると、彼は面倒そうにひとつため息をついた。
「……あなたに少しでも外の景色をお見せしたい、という陛下のお心遣いです。どうか無下にはなさらないでいただきたい」
「アーロイス様が……」
どう言葉にすればいいかわからなかった。
うれしいのに、戸惑いと、泣きたいような気持ちが入り混じる。
なんで、そんな、彼は知っているんだろう。
外に出てみたいなんて、一言も言ってないのに。あの神殿から出られただけで、充分だって思ってたのに。
神殿で暮らしていた18年間、憧れ続けた、外の世界。
皇妃っていう立場になって、どっちにしろ籠の鳥だけどしょうがないかぁ、なんて諦めてたのに。
アーロイス様は、できる範囲で、私に自由を与えてくれようとしているんだ。
「きちんと皇妃として恥ずかしくない振る舞いをなさってください。国民の希望となれるよう」
「はい。がんばります!」
ぐっと握りこぶしを作って、力いっぱい頷いた。
セレーノからこっちに来たときは、厳重警備すぎて外なんてほとんど見られなかったし。
そう考えると、遊びに行くわけじゃないってわかってるのにわくわくしてきた。
もちろん、皇妃としての初仕事も、期待に応えられるようにがんばるよ!
ちなみに、返事の元気がよすぎてやり直しさせられた。解せぬ……。
* * * *
ってことで、孤児院に慰問に行く日がやってきたんだけど。
今日はこの者が護衛につきます、とオルトルートさんに紹介されたのは、よーく見知った人でした……。
「アーロイス様!? なんでいるんですか……!?」
ピシッと騎士の制服を着こなしたアーロイス様。
今日もかっこいい! きゃーっ! じゃなくって……!
カツラをかぶってるのか染めてるのか、髪が茶色いけど、瞳の色は同じアイスブルーだし。さすがにもうひと月以上同じベッドで寝起きしてる旦那様を間違えたりはしない。
なんで皇帝陛下が近衛騎士の格好してるんですか……胸に手を当てながら跪いて、忠誠のポーズなんて取ってるんですか……めちゃくちゃ似合ってますけど……。
「お妃様。彼はアーロイスという名ではございません。近衛騎士のアルフレドです」
「え、いや、どう見ても……え、他人の空似……?」
「……そういうことにしていただけませんか」
「え、え~~……」
そういうことにって、どういうことなの?
苦々しげなオルトルートさんの表情を見る限り、彼も乗り気ではない模様。というか確実に、致し方なくって感じだ。
と、いうことは……。
「アーロイス様……」
何がどうしてこうなってるのかわからないけど、私の前に跪いているアーロイス様に声をかける。
どうやらこれは、アーロイス様自身が決めたことらしい。
オルトルートさんが文句を言えない相手っていうと、目の前の皇帝陛下しかいないもんね。
「アルフレドだ」
「あ、アルフレド様……?」
「皇妃が護衛の騎士に対して敬称をつけるのか?」
「それを言ったら、アーロイス様だって騎士の口調じゃないです」
「それは失礼を。皇妃様」
アーロイス様はそうするのが当然のように私の手を取って、指先に口づけを落とす。
似合うなーー!! かっこいいなーーー!!!
ダンスの練習のときといい、普段はちょっとコミュ障っぽい感じなのに決めるところは決めてくるんだから、ずるい。これだからイケメンは!
「……アーロイス様って実はけっこうお茶目なんですね」
なんだか悔しくて、私は拗ねてるみたいに唇をとがらせる。
騎士に変装して慰問についてくるなんて、まさかアーロイス様がそんなことを考えるとは思ってもいなかった。
新たな一面を知って、驚けばいいのか呆れればいいのか、ときめけばいいのか。当然ときめきますけど。
「貴女を一人で行かせるのは……少し、心配で……」
とたんに不安げな顔をする彼は、もういつもどおりのアーロイス様だ。
まるで飼い主に見捨てられるのを恐れる大型犬みたいで、無性に頭を撫でたくなる。
「そりゃあ、私は世間知らずだし、信用がないのはしょうがないですけど」
「そういうことじゃない。……ただ、心配なだけだ」
「……はい」
私にまっすぐ向けられる、真摯なまなざし。
冗談なんて何も言えなくなってしまった。
氷の奥にひそむ優しさは、指先へのキスなんかより、よっぽど心臓に悪い。
「陛下の無駄な威圧感は決して見かけ倒しではありません。悲しいことですが、陛下をお守りする近衛よりも腕が立ちます。万が一刺客に狙われるようなことがあっても、陛下が遅れを取ることはないでしょう」
オルトルートさんがアーロイス様のフォローに入った。無駄とか言っていいのか第一の側近よ。
アーロイス様が強いって話は聞いていたし、今さら驚かないけど、それじゃ近衛の仕事がなくなっちゃわないかな。
周りに守ってくれる人がたくさんいるのに、その人たちより強いって、アーロイス様チートすぎない?
「皇帝陛下がそれでいいんですか……?」
「物申したいことは山のようにあるのですが……陛下のお忍びは今に始まったことではありませんので、すでに諦めています」
「今に始まったことじゃないんですね……」
いいのかなー。天下の皇帝陛下がそんなんで本当にいいのかなー!?
今まで無事で済んでいるってことは、それだけ安心安全の実績があるんだろうけど。もしもってことがないとは言えないじゃないか。
まあ、アーロイス様の気持ちもわからなくはないんだけど。
……城の奥深く、周りを囲われながら外を知らずに暮らすわびしさは、私も知っているつもりだから。
「貴女のことは必ず守る。俺を信じてほしい」
私の手をそっと握りながらの、このセリフ。
もうどこから聞いてもナイトなんですけど。あなたエンペラーでしたよね、アーロイス様。
騎士の制服で言われると、本当に似合いすぎてて、わたくし鼻血が出そうです。
「ちゃんと、自分のことも守ってくださいね。この国で一番大切な身の上なんですから」
「……ああ」
ちょっと下手くそな笑みを浮かべて、アーロイス様は頷いた。
うん、それならいいんです。
なんだかんだで、一緒についてきてくれることに安心してしまった私もいたりするから。
ということで、皇妃として最初のお仕事には、お忍び皇帝陛下がついてくる模様です。