06 神子姫、動揺する
「あなたは一体今まで何を学んでこられたのでしょう? その頭は飾りでしょうか? ただ被っているだけの帽子でしたらいっそ他のものと取り替えてしまったほうがよいでしょうね」
嫌味、嫌味、嫌味のオンパレード。
ううっ、私だって替えられるもんなら替えたいよ~~! エヴェパンマン、新しい頭よ~って!
この嫌味の主は、本来はアーロイス様の側近をやっているらしいオルトルートさん。
アーロイス様に任せられたとかなんとかで、今は私のお妃教育の総監督もしてくれている。……くれている、なんて言いたくないけどね! こんにゃろう!
「――姿勢」
端的な指摘に、猫背になりかけていた背をあわてて伸ばす。
ピシャリとした声はロボットのように温度を感じない。オルトルートさんのほうがよっぽど氷だと思う。
「もう物差しを背中に入れて歩いたほうがいい気がします……」
「皇帝陛下のお妃様がですか? とんだお笑い種ですね」
「すみません、冗談です」
この~~!! お姑ルートめ! ネタにマジレスはモテないぞ~~~!
いや、わかっているんですよ。仮にも皇帝陛下のお妃がね、一般庶民かってくらいお粗末な礼儀作法しか身につけてなかったら、そりゃあ困るよね。
でも、普通の女子高生だった前世を持つ私はどうしても思っちゃう。理不尽だって。望んで得た立場じゃないのにって。
無邪気に玉の輿に憧れてた前世の私は若かった。上に立つものにはそれ相応の苦労がつきものなんだよ……。
「座学はとにかく繰り返し取り組むしかないでしょう。しかしせめて、立ち居振舞いは少しでも早く習得していただかなくては。ひとつひとつ、課題を潰していきましょう」
「……がんばります」
真剣な表情を向けられて、口をついて出そうだった文句をどうにか飲み込んだ。
オルトルートさんは厳しいし、無駄に嫌味ったらしいけど、私をいじめたくて言っているわけじゃないことはわかる。
この人はたぶん、アーロイス様のことがすっごく好きなんだろう。敬愛してる、と言うのかもしれない。だから、私がアーロイス様の不利益にならないか心配してるだけ。
……そう考えたら、ちょっと悔しくなってくる。
私だって、アーロイス様のことが好きだ。私のせいでアーロイス様の評判を落としたくない。何よりアーロイス様にがっかりされたくない!
アーロイス様のために、巡り巡って私のために、もっともっとがんばらないと!
「やる気に関しては評価します。いえ、それ以外に評価のしようがないとも申しますが」
「まあまあ、そんなふうに言ってはかわいそうだよ」
唐突に会話に割り込まれて、私とオルトルートさんはバッと振り返った。
開けたままにしていた扉に寄りかかるように立っていたのは、アーロイス様と同じ黒髪の、アーロイス様よりも柔和な顔立ちの男性。
……見覚えは、ある。すごくある。
うん、ちょっと待ってほしい、記憶から掘り起こすから。
「ヴァルトブルク様……」
オルトルートさんがヒントくれた! ありがとう! お姑ルートとか言ってごめんね!
なんか大仰な名前だなぁ。私も人のこと言えないけど。
えーっとえっと、大丈夫、覚えてる。任せとけ。
たしか結婚式のあとの宴で挨拶したし、この国の基本情報として何度も名前を教えられた人。絶対忘れちゃいけない人リストの筆頭だ。
ヴァルトブルク・ロイエ・カイム・シュトルム。先帝の弟君にして、現皇帝陛下――アーロイス様の叔父君。
アーロイス様が皇帝として立つ時に、陰日向から支えた功労者、と聞いたような聞いていないような。
「久しぶり、アーロイスのお嫁さん。あ、皇妃様とお呼びしたほうがいい?」
お嫁さんだって、お嫁さん!
その呼び方がまたかわいらしい。癒やし系ですねヴァルトブルクさん。
宴の席でも、紳士なのに自然体で、笑顔が素敵な人だった気がする。
部屋に入ってきたヴァルトブルクさんは、琥珀色の瞳をゆっくり細めて微笑んだ。
笑いジワが深いのは、よく笑う証拠。アーロイス様よりもクセの強い黒髪がちょっとキュートな、とってもダンディーなおじさまだ。
「いえ、好きに呼んでください」
「お好きにお呼びください」
「……お好きにお呼びください」
にこやかに返したら、ソッコーでオルトルートさんに突っ込まれた。厳しい……。
「ははっ、相変わらずオルトルートは容赦がないね。アーロイスも昔は泣きべそをかいていたな」
「アーロイス様が?」
何それ、詳しく!!
ついつい前のめりになる私に、ゴホン、とオルトルートさんが咳払いひとつ。
……はーい、はしたのうございましたね。
「昔のアーロイスに興味があるのなら、いくらでも聞かせてあげよう。よく懐いてくれていたからね。なんでも知っているよ」
「ヴァルトブルク様。失礼ですが、どういったご用件でしょう」
なおも続けようとするヴァルトブルクさんに、オルトルートさんは迷惑そうな様子を隠すことなく尋ねる。
仮にも王族に対してその態度は不敬すぎやしないだろうか。いや私も人のことはまったく言えないんですけど。
それだけ、オルトルートさんが彼らの信頼を勝ち取っている、ということなのかもしれない。
「いやなに、アーロイスのかわいいお嫁さんの顔を見に来ただけだよ。帝国の空気はあっているだろうか、とね」
「お気遣いありがとうございます。みなさまよくしてくださいます」
「それはよかった。お嫁さんが笑っててくれればアーロイスもより一層精が出るだろうさ」
ヴァルトブルクさんは変わらず柔和な笑みを浮かべているけれど、その言いように、少し引っかかりを覚える。
精を出さないといけないようなことが、これからあるのかなって。
それはもちろん、皇帝陛下としての通常執務だけでも充分大変なんだろうけども。
「……何か、あるんですか?」
どこまで突っ込んでいいのかわからず、ずいぶんふんわりとした聞き方になってしまった。
それでも二人にはちゃんと伝わったようで、ヴァルトブルクさんはにっこりと笑みを深めて、オルトルートさんは深いため息をつく。
何、その対照的な反応は。
「……お妃様には、お伝えしなければとは思っていたのですが。セレーノ王国の王妃と第三王女が、シュトルム帝国に里帰りいたします」
「えっ……」
思いも寄らなかった内容に、私は素で驚きの声を上げる。
セレーノ王国の王妃と第三王女。
それは、私の義母と異母妹のことを指している。
「今さら言うまでもありませんが、セレーノ王国の王妃は我が国の有力貴族の出。王妃の父君は、その一族の現当主なのです。国を代表する六貴族の当主たっての願いとあっては、我々も無下にするわけには参りません」
オルトルートさんの声が右から左に抜けていく。
シュトルム帝国の六貴族は、絶対に忘れちゃいけない人リストのトップ集団だからだいたいは覚えてる。
まさか、パーティーへの出席よりも前にその知識を引っ張り出さなきゃいけなくなるとは思ってもいなかったけど。
「王妃は折を見て修道院へと送られることになるでしょう。王女の扱いは、ひとまず厳重な監視のもと保留、といったところでしょうか……。まったく、頭が痛いことです」
「エリーゼ、が……」
小さく、その名前をつぶやいた。
言い慣れるほどには呼んだ記憶のない。でも忘れられないほどには印象に残っている。
彼女がこの国に来ると知って、自分でも驚くほど心が揺れた。
「会いたければ会わせてくれるだろうし、会いたくなければそう言えばいい。アーロイスならうまく取り計らってくれるだろう。かわいいお嫁さんに頼られて嫌な気になる男はいないよ」
私の反応をどう捉えたんだろうか。ヴァルトブルクさんはそう、気遣うように言ってくれた。
アーロイス様が、どうにかしてくれる?
そうか……今の私は、皇妃だから。
私は、アーロイス様を頼ってもいい立場にいるんだ。
「そう、ですね……ありがとうございます、ヴァルトブルク様。私は大丈夫です」
なんとか、笑顔でお礼を言うことができた。
いざというときの保険があるというのはとっても心強い。
優しいアーロイス様なら、頼ってきた人を突き放すなんてしないだろうし。だからって無責任に安請け合いするような人でもないと思う。
きっと、ちゃんと助けてくれる。
そんなふうに思える自分に、私はこっそりうれしくなってしまった。