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02 神子姫、寝る



 この世界には『源石』と呼ばれる、不思議な力がこもった石が存在している。

 源石によって効果は様々で、たとえば火の力がこもった源石なら、お湯を沸かしたりなんてこともできる。

 前世で言うなら、パワーストーンがもっと明確に効果を発揮するような感じだ。

 質素倹約をモットーとしている神殿では使用の制限があったけど、さすが宮殿、さすが皇妃、使いたい放題とかほんと最高。

 キッチン行かなくてもお茶を淹れられるなんて、すごくいいよね。リッチリッチ。


 お茶を淹れる時間は好きだ。

 ポットをお湯であたためて、人数や葉の種類によって茶葉の量を調節して、沸いたばかりの熱湯を注ぎ入れる。茶葉が軽やかに躍るように。

 茶葉が開くのを待っている時間も好き。

 お茶の香りが少しずつ広がる、ゆったりとした優雅な、有限なひととき。

 前世のお母さんが紅茶好きだったから、自然と私も紅茶党だった。

 黄金ルールだとかちゃんと覚えているわけじゃない。のんびりした性格のお母さんに似て、私もそこまでこだわったりはしなかった。

 楽しく淹れられれば、おいしく飲めればそれでよかった。


「……飲める味をしている」


 私の淹れた紅茶を一口飲んで、陛下はそう言った。

 それは、おいしい、ってことでいいのかな。

 無表情だからよくわからないけど、少なくともまずくはなかったんだと思う。

 うん、第一関門はなんとか突破、ってところだろう。


「ありがとうございます。これでもお茶を淹れるのは得意なんです。自分のことは自分で、という生活でしたので」

「……そうか」


 陛下はひとつうなずいて、また紅茶に口をつける。

 ……会話、終わっちゃった。

 しょうがないから、私も自分のために淹れたお茶を飲もうとして……ふと、気づく。


「そのお茶に、毒が入っていたらどうするんですか?」


 カップに口をつけたまま、皇帝陛下は目を見開いた。

 わかりやすく驚きをあらわにした陛下に、私は思わず苦笑をこぼす。


「皇帝陛下ともあろうお方が、不用心ですね」


 普段なら、毒味していないものなんて口にしないだろうに。私より先に飲んじゃうなんて。

 お妃とはいっても、いや妃だからこそ、警戒するべきだって彼もよーくわかっているはずだ。私の国とだって、円満な関係ってわけじゃないんだし。

 神殿でのほほんと暮らしていた私と違って、皇帝陛下は常に命の危険と隣り合わせだっただろう。

 式の準備でさすがに疲れて、油断していたんだろうか。神殿育ちの箱入り娘に何もできるはずがないって考えなら、まあ正しいと言えば正しいけど、それでももう少し用心はしてほしい。

 もちろん私は毒を盛ろうなんて思ってもいない。ただ、不用心さがちょっと気になってしまっただけ。

 馬鹿にしたわけじゃないけど、そう捉えられたのか、陛下は眉間にシワを刻む。


「……俺に毒は効かない」

「それはよかった。安心しました」


 なるほど。毒に慣らされているのか、そういう加護的なものなのか。

 どっちにしろ、うん、よかったよかった。陛下には長生きしてもらわないと困るもんね。

 今日から私の旦那様だし! 暫定的な片思い相手だし!


「何を笑っている」

「陛下が来てくださったのがうれしくて。ありがとうございます」


 低い声を出す彼に、そういうことじゃないと知りつつ話題をずらす。

 とはいえこれだって偽らざる本心だ。

 本当、来てくれてよかった。気持ちのない結婚とはいえ、初夜に一人寝なんて寂しすぎるから。

 初日から放っとかれるなんて外聞も悪すぎるし、いろんな意味で助かった。

 のほほんとお礼を告げる私に、陛下はまた驚いた顔をする。

 思っていたよりも表情がよく動く彼に、私のほうこそ驚きだ。

 氷陛下って言うくらいだから、もっとカチンコチンなのかと思っていたのに。


「貴女は……」


 陛下は何か言いかけたかと思うと、口を閉ざしてしまう。

 あなたは、何? 何!? めちゃくちゃ気になるんですけど!!

 ひそめられた眉は、不機嫌そうにも不安そうにも、寄る辺ない子どものようにも見える。

 まだ、表情を読めるほど陛下のことを知らない私には、言葉にしてくれないと何もわからない。


「馳走になった。もう寝る」


 結局、陛下は続きを口にすることなく、そのままソファーに寝っ転がってしまった。

 ソファー、に。

 …………ん? んー??


「……ちょっと待ってください。なぜソファーに横になっているんですか」

「ここで寝る」


 そんな予感はしてましたけど!!

 本当、ちょっと待て! 常識的にありえないでしょう!


「だっ駄目です! ちゃんとベッドで寝てください」

「ベッドには貴女が寝るといい」

「こ、皇帝陛下をソファーで寝させて自分はベッドになんて、そんなことできるわけないです……!」

「気にするな」

「気にします! お願いです、私がソファーに寝ますから」

「馬鹿を言うな」

「ど、どっちがですか……!」


 ああもう! 私はリアルに頭を抱えたくなった。

 ドサクサまぎれに皇帝陛下を馬鹿呼ばわりしちゃったけど、これはしょうがないと思いたい。

 ソファーで寝ようとする一国の主なんて、いるの? この世界ではこれが普通だっていうの?? そんなわけないよね!?

 お昼寝ならまだしも、夜。グッドなナイト。そんなところで寝てゆっくり休めるわけがないじゃないか。


「……陛下は、私をソファーでは寝させたくない。私も、陛下をソファーで寝させるわけにはいかない。これでいいですか?」

「そのようだな」

「そもそも疑問なのですが、なぜ一緒に寝るという選択肢がないのでしょう?」

「……それは、」


 陛下は私から視線をそらして言いよどむ。

 ふむ、言いたくない、もしくは言えない、って感じかな。

 情報を与えないために言えないのか、私のことを思うと言えないのか。

 どちらにせよ、一緒に寝たくない理由なんてそういくつも思い当たらない。


「寝首をかかれたくないという理由ならご安心を。神の子は刃物も針も持つことを許されませんでしたから、これまで様々な修羅場をくぐり抜けてこられただろう陛下には傷ひとつつけられないでしょう」


 まあ、前世では包丁くらいは持ったことあるけども。それはノーカウントってことで。

 陛下が文武両道っていうのは聞き及んでるから、傷つけられないっていうのは事実だろうし。


「……そういう心配をしているわけではない」


 当然ながら陛下も私なんかに遅れを取るとは思っていなかったらしい。

 うーん、なら他には、ついムラッとして手を出しちゃわないように、とか?

 それこそこんなにイケメンな陛下ならよりどりみどりだろうし、心配ご無用だと思うんだけど。

 男の人のそっちの事情はよくわからないから、万が一ってこともありえるのかもしれない。

 妻としては、旦那様の意向を尊重するのも大事、ということで。


「このベッド、広いですよね」

「そう、だな」

「大人のベッドふたつ分くらいありますよね」

「それがどうした」

「半分に割りましょう」

「は……?」


 さて、そうと決まれば準備しないと。

 材料は……そうだな、ソファーに山ほど置いてあるクッションと、あとはひざ掛けを丸めればどうにかなるだろう。

 かさばるそれらを何回かにわけてベッドに運んで、縦に半分になるように、ベッドの真ん中らへんに置いていく。

 前世に少女小説で読んだ対処法だけど、まさか自分がこんなことするとは思わなかった。

 うん、広いベッドはふたつに分けても充分快眠できそうだ。


「これで大丈夫です!」

「……」


 あれ、なんか陛下、複雑そう?

 いや機嫌が悪いのかな。怒ってるのかな……?

 無表情というわけじゃないんだけど、やっぱりまだ何を考えているのか読み取ることはできない。


「何かいけませんか?」

「いや……」


 私が首をかしげると、陛下はイカ刺しが噛みきれないみたいな微妙な顔をする。

 言いたいことがあるならはっきり言ってくれればいいのに。

 陛下はその微妙な顔のまま、ため息をひとつついてから、言葉もなくベッドに横になった。

 半分に区切られたベッドの、奥のほうに。

 あ、私が手前側なんだ。いやどっちでもいいんだけどね。まあじゃんけんとかで決めるのも変な感じだもんね。


「陛下、先にお休みになっていてください」

「……何かあるのか?」

「日記を書きたいんですが……だめですか?」

「いや、構わない」


 了承を得て、私はベッドの脇の書机に向き合う。

 引き出しの中から取り出した日記帳は、しっかりした作りだけど何度も触れているから手垢で少し薄汚れてきている。

 この日記帳ももうそろそろページがなくなる。次の日記帳は誰に頼めば用意してもらえるだろうか。


「いつも書いているのか」

「はい。忘れたくないので」


 数年前から毎日欠かさずつけている日記は、もうけっこうな冊数になる。

 どうしても手放せなくて、輿入れのときに全部持ってきてしまった。

 ぺらぺらとページをめくれば過去の自分と対面できる。

 昨日までの自分は、未婚だった自分だ。陛下を知らなかった自分だ。

 そう考えるとなんだか不思議な気分になってくる。


「今日は陛下がどんなに格好良かったか書きますね」


 笑顔でそう言うと、陛下はしばしの沈黙ののち、プイッと向こうを向いてしまった。

 ちょっと馴れ馴れしかっただろうか。照れただけだったらいいんだけど。

 そんなことを考えながらもサラサラと手を動かし、ものの数分で日記は書き終わった。

 陛下にならって私もベッドに上がると、陛下はベッドの上のほうにある白い源石に触れる。それは照明になっている天井の源石と連動していて、ゆっくりと部屋が暗くなっていく。

 スイッチ式なんて、ほんと中途半端に発展してるよねこの世界。住みやすくていいことだ。


 照明の落ちた部屋でベッドに横になると、急に色々と考えたくなってくる。

 想定の範囲内だったけど、やっぱり陛下は私を本当のお妃様にするつもりはないんだなぁ、とか。

 一緒に寝るのすら渋るってことは、つまりそういうことだ。

 拒否権なんて最初からない政略結婚。それでも、イケメン陛下とならエッチなことをするのもあんまり抵抗ないかも、とか、むしろラッキーなんじゃ、とか思っていたけど。

 ちょっとだけ安心しちゃったのは、まだまだ私に覚悟が足りなかった証拠なんだろう。

 一目惚れしちゃったかもとか思っても、気持ちだけで全部割りきれるものでもないってことかな。


 それにしても陛下は、私との間に子どもを作らないなら、跡継ぎはどうするつもりなんだろう。

 この国も私の国も周辺各国も、宗教上一夫一婦制のはずだ。それは王族でも例外なく。

 もしかして、お妾さんの子どもでも継承権があったりするんだろうか。神殿暮らしだったせいで一般常識に自信がない。

 名ばかりの妃にするつもりなら、初夜にも来ないほうがよかっただろうに。それはさすがにかわいそうって思ったのかな。

 まあ、私はもう、誰ひとりとして味方はいないんだもんね。


 目の前に掲げた指の輪郭すらあやふやな真っ暗闇の中、手探りで自分の髪を一房手に取った。

 手入れの行き届いた髪は自分でも驚くくらいさわり心地がいい。

 夜の帳に安心するのは、こんなとき。

 この髪が、花のように鮮やかな薄紅色をしている事実は、変わらないっていうのに。

 人を狂わせて、国を傾けるこの色は、受け継がせないほうがのちの世のためかもしれない。

 だから、陛下が私を抱かないというその選択は……正しいんだろう。






 慣れない土地、真っ暗な視界は、ほの暗い感情を呼び覚まして。

 静かに落ちていく思考は、すぐに睡魔に絡め取られていく。

 だから、私はこのとき、隣に寝ていたはずの人が身体を起こしたことにも気づかず。

 彼が、どんな顔で私を見ていたのか。


「エヴェリーナ……貴女は、覚えていないのか……?」


 どんな声でそう問いかけたのか。

 すでに夢の住人だった私は、何も知らなかった。







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