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10 神子姫、歓迎される



「皇妃様、お手を」

「……ええ、ありがとう」


 差し出された手にそっと自分の手を重ね、馬車を降りる。

 アーロイス様、本当に騎士様みたいだ……。

 他の護衛の騎士たちは平静を装っているけれど、一部顔が引きつっている人もいた。

 余裕そうに見える数人は、もうアーロイス様の無茶に慣れきってしまっているんだろうか。

 ご苦労様です、と労りの気持ちを込めてゆるりと微笑みかける。

 それはもちろん、出迎えてくれた孤児院の方々に対しても。


「お出迎え、どうもありがとう。エヴェリーナ・クルイークです。今日はよろしくね」


 優雅に腰を落としながらも、子どもにもわかるよう言葉選びは単純明快に。

 とにかく、今回の目的は民を味方につけること。

 そのためなら、今まで習ってきた礼儀作法は一部脇に置いて、親しみやすさをにじませるのも大事だ。


 今日を迎えるまで、オルトルートさんと何度もどう動くべきか確認し合った。

 アーロイス様はそのままの私でいいと言ってくれるけれど、好き勝手に行動して、皇妃として求められていることから大きく外れてしまっては意味がない。

 私の立場を確立するために考えてくれたのだから、その機会をきっちり活かしたかった。


「ようこそおいでくださいました、皇妃様。お会いできて光栄でございます」


 孤児院の院長さんは、人好きのするやわらかな笑みで出迎えてくれた。

 事前にオルトルートさん経由で挨拶は簡略化するようにと伝えてもらっている。

 親代わりの院長さんが膝を折った相手に親しみを覚えることは、なかなか難しいだろうから。


「あまりかしこまらないでね。私も今日をとても楽しみにしていました。この国に来て日も浅いので、色々と教えてもらえるとうれしいわ」

「お優しい皇妃様に心より感謝いたします。年端もいかぬ子どもたちですので、礼儀に欠けた振る舞いをお見せしてしまうかもしれませんが、どうかお目こぼしください」

「ええ、もちろんです。子どもは元気が一番ですから」


 私の肯定に、院長さんの目尻に笑いジワが増える。

 子どもたちのことを本当に大切に思っていることが、その表情と少しの言葉だけで伝わってきた。


 お優しい、だって。うふふ。

 おべっかを含んでいることを織り込んだとしても、つかみはまずまずなんじゃないだろうか。

 孤児院にいる人たちは一般的に立場が弱い。だからこそ、『弱者の味方』と思わせることができれば、貴族より立場の弱い大多数の平民からの心証はあがる。

 中央区の教会に隣接した孤児院を選んだのは、地域密着型の教会には多くの人が集まるからだ。

 人の口に戸は立てられない。今日の一挙手一投足すべて、城下町中に噂が広がると考えていいかもしれない。


「まずは、子どもたちの歓迎の歌をお聞きいただけますか」

「まあ、すてき。よろしくお願いします」


 身長別に横一列に並んだ子どもたちは、合計二十人ほどだろうか。

 上は十五歳、下は三歳くらいまでの彼らは、私を見てそわそわと体を揺らしている。

 小さい頃の発表会では私もこうだったような気がする、と懐かしさがわき上がる。

 彼らにとっては、絵本から出てきたような存在が目の前にいるんだから、緊張するなというほうが無理な話なんだろう。


 チリンと甲高い鈴の音が合図だった。

 子どもたちは、後ろ手に持っていた花を胸の前で持ち替える。

 ギクリ、と心臓が変な音を立てた。

 その花と、一斉に吸った息の音だけで、彼らが何を歌うのかわかってしまったから。


――ふわり ふわり ひかり舞う

  どうか どうか ほほえんで――


 とても、とてもよく知っている歌だった。

 多くを知らず、多くを失ってきた私が、忘れる暇もないほど繰り返し紡いできた歌だった。


――夜は いつか明けるから

  氷は いつか解けるから

  どうか どうか ほほえんで

  春の色した うすらいの花――


 幼子でも覚えられるような短い歌だ。

 思考が停止している間に終わっていて、余韻も風にさらわれていく。

 子どもたちのキラキラと期待のこもったまなざしが、一直線に私に注がれている。


 笑え。


 笑いなさい、エヴェリーナ。


 未来ある彼らの夢を壊すような感傷なんて捨ててしまえ。

 今このとき笑わずに、なんのために今まで笑ってきたのか。

 人にとっては努力とも呼べないようなことだろう。ささやかすぎる覚悟だろう。

 それでも私は選んで、決めた。

 決めたのなら、あとは貫き通すしかない。

 嗚咽になり損なった息を吐き、ゆっくりと吸ってから口を開く。


「……とても、とてもすてきな歌をありがとう」


 どうしても、声は震えてしまった。

 それでも、オルトルートさんがギリギリ認めてくれるくらいには、きれいに笑えたような気がする。

 一筋、まばたきと共にこぼれ落ちてしまった涙を、私は笑顔のまま指ですくい取る。


 ゆがんだ視線の向こうで、子どもたちは驚きでカチコチに固まってしまっている。

 いや、どうやらそれは子どもたちだけではないようだった。

 院長さんや孤児院の他の職員、護衛たちや……アーロイス様まで。

 彼らを安心させるように、私は微笑みながらゆっくりと視線を巡らせる。


「ごめんなさい、感動してしまって。私のためにこの歌を選んでくれたのね。その気持ちが本当にうれしい。心震える歌声を、ありがとう」


 春の色をしたうすらいの花。

 それは、セレーノに咲く枯れない薄紅の花を指す。

 神子姫として祈りを捧げるたび、繰り返し繰り返し歌ってきた。

 口を開くとうっかりその歌を口ずさみそうになるほど身体が覚えていた。

 覚えていることに、歓喜と絶望が渦を巻いて襲ってくる。


 考えるな。思い出すな。

 今はただ、子どもたちの純粋な歌声に喜びの涙をこぼす神子姫でなければならない。


「みこさま、きれー……」


 いつのまに近づいてきていたのか、ほわわんとした声がすぐ下から聞こえてきた。

 視線を下げると、この場にいる中で最年少と思わしき少女がトテトテと近づいてきていた。

 空気の読めない幼さに、ふっと場の空気が和むのを感じた。

 涙をこぼす姿をきれいと思ってもらえるなんて、さすがは花の化身と呼ばれる神子姫といったところだろうか。

 現世の自分の優れた容姿に感謝したくなる。


「みこさま、はい。お花あげます。泣きやんで」


 差し出された薄紅色の花は、子どもたちが歌っているときに手に持っていたものだった。

 歌詞になぞらえて花を手にして歌うのがこの歌のお作法だ。もともと渡す予定があったわけではないだろう。

 その証拠に、視界の端で院長さんが冷や汗をかいているのが見えた。


「ありがとう、シーラ。とってもかわいいね」


 膝を折り、女の子と同じ目線になって花を受け取る。

 名前は服に縫い止められたワッペンに刺繍で書かれていた。他の子どもたちもデザイン違いのワッペンをつけているところを見ると、孤児院お手製の名札なんだろう。

 笑顔を向ければ、彼女もエヘヘとあどけなく破顔してくれた。


「みこさまのかみ、お花とおんなじ色。きれいー」

「ふふ、うれしい。シーラの髪も、きれいな蜂蜜色ね」

「はちみつ、すきー。ありがとう!」


 笑顔のかわいいシーラと話しているうちに涙も乾いてきた。

 私の反応次第では間に入るつもりだったんだろう院長さんも、ほっと息をついていた。

 アーロイス様をはじめ、護衛の人たちや子どもたち、その場にいる全員の緊張がゆるむ音が聞こえる。


「みっ、神子姫さま!」

「なぁに?」


 シーラのあとを追うように声を上げたのは、小学生低学年くらいの女の子だった。

 やわらかそうな頬を紅潮させて、まるで好きな子に告白でもするかのようだ。


「あの! 髪! さわってもいいですか!」

「わ、わたしも!」

「さわってみたい~!」

「こ、こらっ! あなたたち!」


 興奮した子どもたちに、さすがに院長さんが止めに入った。

 貴人の髪をさわりたいなんて、よく考えなくても普通はとても失礼なことだろう。時代が時代なら不敬罪だ。

 でも、私は王族である前に神子姫だった。

 神子姫の役割は、人々にしあわせをもたらすこと。

 もし、髪をさわらせてあげるだけでこの子たちが少しでも楽しんでくれるなら、それは神子姫として正しいことなんじゃないだろうか。

 オルトルートさんと話し合った『親しみやすい、庶民の味方の皇妃様』とも矛盾しない気がする。


「ん~……」


 そんなことを思って、私はちらりとアーロイス様に視線を送る。

 今、私の身体は旦那様であるアーロイス様のものでもある。アーロイス様が反対するなら無理を通すわけにもいかない。

 できた旦那様は、無言の訴えをしっかりと受け取って、小さく微笑んでくれた。

 貴方の思うようにしていい、とでも言うように。


「ちょっとだけね。引っ張ったりしちゃだめよ」


 人差し指を立てて、いたずらっぽく笑ってみせた。

 礼儀だとか常識だとかは今後いくらでも学ぶ機会がある。

 でも、今私が断れば、この子たちに同じような機会は二度と訪れない。

 私は神子姫として、あどけない子どもたちの夢を叶えてあげたい。



 わぁっと上がる無邪気な歓声に、心の奥で泣いている“エヴェリーナ”が少しだけ慰められた。







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