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私論、ファンタジーノベルとはなにか?

作者: 小財 明

熊本の合志市、菊池電鉄の沿線のくぬぎの森が繁生する学校教育においては、「考えさせない」、「集団の事を個人の都合に優先させる」、教育、つまりマルクス主義的な教育が盛んである。マルクス主義教育については賛否の別れるところではあろう。しかし、朗は中学時代、酷い陰湿ないじめに会い、今、こうして作家をしている。


今は個人主義的な考え方に基づく『魔女の世』が旺盛を誇っている。


朗は2001年に熊本佐久木病院を半年間勤めた後、池田付属小の事件などもあり、体調の不調から来る疲れなどもあり、「自己都合退職」をした。


退職した後は、古マンガ屋でフリーターをしたり、公文教室で採点スタッフをしたりしていた。


どちらかと言えば、どちらとも知的な部分が必要になるアルバイトである。


それにもかかわらず、当時の通院していた「熊本心の診療所」の大山医師は精神向薬、睡眠材を服用するようカルテに記載し処方箋を出し続けた。


違法な、少なくとも「社会」で働いている「健常者」と変わらない身分にある者にとっての大いなる侮辱である。


だから精神科は悪い意味において、駄目で、変な医者、変な人達が多いのである。


朗の人生上の過程もこの辺から大きく変な方向へ崩れて行く。


精神科に行くような奴は人として、人生を成り立たすことが出来ない屑であり、何故そう言うかと言うと、個人的な問題意識の範疇に入るのだが、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修を卒業し、ブログをインターネット黎明期に開設し、ニューヨーク、N.Yの一流の最先端のIT企業から、Trackbackをもらうような業界の最先端をいく朗にとっては、そう思えた時期もあった、それだけである。異分野の人達をかいま見えたことは、少なくとも少しは「人生勉強」にはなったとは言えよう。


先程の文章に付け加えるならば、「これでは、精神科は手助けにはならなかったはずだ」ではあろう。


さようなら、政治に翻弄されていた私。荷台の馬車には珈琲豆が積まれている。荷台の荷をほどくか、山脈の冷たい清き水、阿蘇の天然水を喉の補料とするか、悩ましき問題ではある。魔族に欠けているのは、小説を書いている時に、あれこれ言ってくるほどには、羞恥心が無いことである。小説は左右どちらのウィングに属しているかにか関わらず、個人的な恣意性が大きく関与して良いものではない、決してない。今は、保守の考え方が「魔女」に対抗するため、強く必要とされ、求められている時代ではある。


真にコミュニケーションすると言う問題は、ただお喋りをすれば良いと言うことにつきる。会話の技術と言うものは枝葉末節の問題であって、「話すだけの何か」が会話をするメンバーの中にどれだけ本来的に貯蔵されているかが会話の成功を握る鍵となる。


まず、電話、メール。


精神科は、基本的には、狂者、詰まり動的な王、血筋の高い人を、最も朗の家はいたって普通の年金暮らしの両親を持つ低所得世帯ではあるが、病気に仕立てあげ、精神科の封鎖空間の中に閉じ込め、化学成分まみれの「薬」で心を荒廃させ、知識しかないような空虚な教養人にその王位を一時的にであるにせよ簒奪せしめんことを許すことを助ける機関である。


テレビ朝日が三日間休業を決めた日に。精神的に解放された日に。


解放された朗は自由な眼で新聞を読み始める。


或いは過去の記事を現在の事象と結び付けて考え始める。出来るだけ、丁寧に時間をかけて新聞記事を読むことにする。


魔法が使われている、そう言う記事は、朗の家は朝日新聞の土日版と熊本日日新聞を取っているが、一面には載っていない。


しかし、高校の世界史の恩師、阿川

は、また熊本日日新聞の新聞記者は「魔族」の存在を認め、特に阿川は2016年の出来事を「最初の革命」と話し、人類史上大きな事件と断定した。


双魚宮を守る小説を書いた朗は、書いたのは今から約15年前だが、毎日、小説、主として短篇小説を書いた後に、

このところ毎日の様に午前4時ごろに「夕食」、魚が多かった、を食べ、自らの小説を書くことによって生じた「デーモン」の支配する部分、心の弱い部分を引き離すために野田病院から処方される精神科の薬を飲むのだった。薬を飲むときのコップは決まって、薄い緑色の変な魚の絵がついた少し上品なコップである。


朗は、魔族の世界が定まりつつあるのなら覆したいと思う。朗は、「作家」であり、そう言う政治的な権力闘争からは程遠い世界に住んでいる。作品を書くことによって鍛えられ、馴染みが出来てきた世界である。「仙魔関係」、仙や魔族からあれこれ正統的ではない文句を、付けられることはある。ただマルクス主義だけはとんと判らない。


二項対立式の歴史とは、アーマーゲドン思想の形式を現実に取りやすい。作家は弱者のその時々の弱者の確実な味方です。だから、魔族と仙、どちらの味方にも与しません。


作家は、朗は、恋人の水亜さんを信じ、水亜さんは面白く言葉が少なげだが発言すると発言力がとても強く、社会的弱者にとても優しい人である。そんな弱い人達を助けるため、今日も仙側にたって、文章を書いています。


朗は、歴史とは、「愛」がなくては、良い方向へ進んでいかないと思っている。妻への愛、水亜さんへの妄信的な愛無くして、悪を打ち破る強い力は生まれず、それは、自らに信じるところのある強い力である。水亜さんを頼ってはいけない、頼りすぎてはいけない。それが、自らを宇宙の原理から冷静に一歩引いて、自らを自ら足らしめる自我を保つ唯一の方法である。


自分の意見を言おう。


珈琲より、お茶、水。お風呂には入れたら毎日入ろう。ところで、あんまり綺麗な、町並みって逆に怖くない?


一日少しずつでも良いから、「メールなどの文章」を書こう。本を読もう。音楽を聴こう。


歴史は大きな転換点、変節点を迎えている。大きな潮流の中で、大勢に流されず、自分の身近なことを自覚してみて、それが社会と社会の動きとどう結び付いていくのかを深く考えていく、考えることが大事なのであって、考えるべースは人にある。人を、個人に備わった性分を省みない人は人でなしであって、そう言う人とは付き合わない方が良いです。


あなたは今、革命、第二の革命の時期にあって、周りの大人たちをどう見ますか?


朗は、大人だが、作家をしているのもあって、大勢の大人達に較べ、物事を考える、じっくり考える、「時間」はあります。今までの「夢」の時間は終わり、眠っていた皆の本当の自我が目覚めようとしています。一見すると、ファンタージーというのは、夢や幻の世界を書いているかのような文学ジャンルにも思われていたようですが、実は少し違うようですね。


すれすれの確かに現存して残っている部分に多少強引でも、「夢」の仮構をかけ、現実的にファンタジーを創造していく。そこにこそ、魔族の構造転換がなされ、「終わり」の無くなりつつある世界に、ファンタジーの世界を紡ぎ出す作家の醍醐味がある、とは言えると朗は思った。


朗は書く、ファンタジー小説を書く。一般的なファンタジーとは毛色が違うかもしれない。幻想と虚無、双方に効く、実効的に効くファンタジー小説を書くには、歴史小説を、ファンタジー流に書いて、かつ出来れば日本、舞台を日本の歴史のある都市に設定することである。朗は熊本県のわりかし歴史のある街に住んでいるので、クリアーである。


奇妙キテレツなものが好きで、かつ、科学的、論理的な思考が得意という「面白い人」、日本ファンタジーノベル賞を獲るため、お互いに日々研鑽を積みましょうぞ。


朗は頑張る。ガラケーで頑張る。歴史を必死の思いで食い止めるため、頑張っていく。


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