本気の浮気
亭主元気で留守がいい。
誰が言ったんだろう…
昨日までの私もそうだった…
最近、夫の博文はすぐに怒る。
今も私の何気ない言葉に怒って二階に上がって行った。
テレビを見ていた子供達が振り向く。
「パパ、どうしたの?」
「わかんない…」
会社で何かあったのかしら?
最近あまり夫婦の会話がない。
明日は子供達がバイトだから、二人で外食でもしてゆっくり話そう。
博文は近頃、怒りっぽくなった自分を持て余していた。
邦子のせいだ。
邦子と付き合い始めて4ヶ月になる。
邦子とは15年間同じ部で仕事をしているが、女性として意識した事など一度もなかった。
少し太めで笑顔をあまり見せない邦子は、仕事では重宝されるがプライベートとなると敬遠されるようなタイプだ。
そんな邦子と、昨年の10月に部長の送別会で隣り合わせになった。
送別会も中盤になり、けっこう酔いがまわってきた頃、同期の由美子が
「佐々木さん、テニスしてるんですか?」
「うん。やってるよ。」
すると5歳下の吉田が
「え? 僕もやってるんですよ。今度一緒にしませんか?」
「私も!」
「そうだね。やろうか。」
その時、邦子の視線を感じた。
運動神経の鈍そうな邦子に、おそらく断るだろうと思いながらもお愛想のつもりで声をかけた。
「早川さんも一緒にどう?」
「はい。教えて下さい。」
邦子の以外な返事に俺は驚き戸惑った。
そして二週間後の土曜日、4人でテニスをする事になる。
自分で言うのも何だが、俺は運動神経は良い。
中・高校とテニス部で部長をし優勝経験もある。
結婚をしてからは妻と一緒に週に一度、友人夫婦の所属するチームでテニスを楽しんでいた。
しかし妻は水泳の方が楽しくなりテニスを止めた。
妻は10年経った今、全国のマスターズ水泳大会に出場してメダルをもらうまでになっている。
もしかしたら、この頃から二人は違う方を向き始めたのかもしれない…
「明日会社の人とテニスをするから。」
「ふーん、珍しいね。誰と?」
「吉田と女の子二人。」
「女の子?」
「女の子って言っても40歳越えてるから…」
「ふーん。じょうずなの?」
「ううん。初心者ぽい。」
「じゃあゲームにならなくて、おもしろくないんじゃないの?」
「まあね。」
普段になく妻は話してくる。
少しは妬いているのかな?
確かにつまらないかもしれない。
早めに切り上げて帰ろう。
コートに着くとすでに邦子達は来ていた。
由美子は今流行りのウェアを着ている。
邦子は昔の中学生みたいなジャージを着ている。
邦子のレベルを知っているのだろう。
吉田と由美子はラリーをし始めた。
二人を横目で見ながらコートの隅でラケットの握り方から教える。
やれやれ、まるっきり初心者かよ。勘弁してくれよ…
しかし、邦子の頬を赤らめながら真剣に聞く眼差しを見ていると、優しく教えてあげようという気になってくる。
月曜日の朝、邦子はいつもより早く出勤していた。
「土曜日はありがとうございました。あの…相談に乗っていただきたいことがあるんです…。」
「いいよ。どんな事?」
「ここではちょっと…」
「じゃあ、今晩一緒にご飯でも食べようか?」
場所は邦子の指定で、静かなイタリアンレストランになった。
なかなか相談事を切り出さない。
デザートを食べ終わる頃やっと
「実は…部内の女の子がうまく言ってないんです。」
女性特有の揉め事のようだ。
今では内容も覚えてない。たわいのない事だったように思う。
「気にしないでいいんじゃないかな。」
この一言で終わったような記憶がある。
ただこの日から二人が近づいた気がする。
ちょうどその頃、新しいプロジェクトを任され、持っている仕事を分担する事になる。
その一部を邦子にも引き継ぐことになった。
当然邦子と接する時間が多くなる。
気がつくと終業時間を越えていたりして、何度か食事をするようになった。
だんだん職場での邦子が明るくなっていく。
その日も遅くなり飲みに行った。
ガヤガヤした雰囲気も手伝って邦子はよくしゃべる。
「最近 明るくなったね。」
「そうですか。」
頬を赤らめて
「たぶん佐々木さんと話すようになったからだと思います。」
「え?」
「私ずっと前から佐々木さんて素敵だなって思ってたんです。でも全然話しかけてもらえなくて… 今は話せるようになって、嬉しくて…すごく楽しいんです。」
何? これって告白?
だが悪い気はしない。
「そんな嬉しいことを聞いたら誘いたくなるよ。」
「誘ってください。会社帰りじゃなくて…。」
そこまで言われると男としてはほっとけない。
京都に紅葉を見に行くことになる。
美智子には仕事で会社に行くと家を出る。
最近、夫は飲んで帰ってくることが多い。
上司や部下達と週に二度は遅くなる。
昨日も
「仕事の担当が代わったんだ。これからは接待が多くなるから遅くなるよ。」
「そうなの? お酒弱いのに大変ね。」
「まあね。」
何かの本に浮気防止法は美味しい料理を作る事って書いてあった。
自分で言うのも何だが、私はレパートリーも多いし腕もいいと思う。
夫も美味しいと言ってくれる。
だが結婚して25年、最近では話しかけても話しが続かなくなった。
続くといえば子供の話しぐらいかもしれない。
いつだったか、私がその日の楽しかった事を話していると夫はテレビのボリュームを上げた。
楽しく話していたトーンが下がった。
悲しかった…。
夫は妻が外で楽しく過ごしているのがおもしろくないんだ。
その日を境に私は夫に楽しかった話しは、なるべくしないようにした。
すると話す事が少なくなった。
そして、私は子供達とリビングにいることが多くなる。
夫は食事を終えると会話に入って来ることもなく、寝室に行く。
友達に聞いたら、結婚生活が長くなるとみんなそんなものよって言う。
そんなもんかなあ…
私は日曜日だけ仕事をしている。オープンハウスの案内だ。
中古マンションに待機して一日に、二・三件のお客様の案内をする。
読書をして時間を潰す。
退屈だが好きな読書が出来てお金がもらえるのだから、辞めるのはもったいない。
子供達も大きいし夫婦で出掛ける事もないし…。
日曜日の夫はたいていテニスか会社で、今日も仕事だって言っていた…。
日曜日、邦子と紅葉を見に京都をドライブに行く。
まだ紅葉は早いが観光客は多い。
邦子は嬉しそうだ。
あまり笑わない邦子が笑っている。
会社の話しや趣味の話しをしながら、妻との会話のように話しが途切れることもない。
邦子は俺だけを見て、俺の話しを嬉しそうに聞き、俺の冗談に楽しそうに笑う。
邦子の目には俺しか写っていない。
いつも俺の方を向いている。
決して美人とは言えない邦子だが、可愛く見えてくる。
嬉しそうな邦子を見ていると また何処かに連れて行ってあげたくなる。
俺の事をこんなにも必要としてくれる人がいる事が嬉しい。
俺をほったらかしにしている美智子に、ざまあみろ!って言いたくなる。
紅葉を見に行ってから急に二人の仲が接近した。
月に何度かドライブを楽しみ、週二回は会社から帰りに食事をする。
そうなると男と女、お互いをもっと知りたくなる。
「君が欲しい…」
「うれしい…でも私の事どう思ってますか?」
「大切に思ってるよ。」
「奥さんよりも?」
「うん。」
「私と一緒になってくれますか?」
「君の事は好きだよ…でも僕は子供が大切だし、女房には愛はないけど25年の歴史がある。
簡単には捨てられないんだ…。」
邦子は少し考えるように
「子供だったら私も産めます。でも私も、もう40歳だから時間はあまりありません…一年の間に私を選ぶか奥さんを選ぶか、決めてくれませんか?」
「…ごめん。 俺はもう子供はできないんだ…パイプカットをしているから…。」
邦子の顔がみるみるうちに歪んでいき、泣き崩れた。
俺は何も言えず、邦子の高ぶりが治まるのをただ待った。
翌日PCにメールが入る。
邦子のデスクは俺の斜め後ろだ。
邦子が顔を上げるといつも俺の後ろ姿が見える。
邦子の視線を感じる…
「今日会ってください。」
「いいよ。6時半にいつもの場所でね。」
店に入ると一番奥の席で邦子は待っていた。
座るとすぐに
「私、調べたんです。
ある大学病院でパイプカットした人でも子供ができるって書いてありました! 睾丸から直接精子を採取して手術になるけれど…私…何でもします!」
邦子は子供さえできれば結婚出来ると思っている。
そんな邦子がたまらなく可愛い。
「行こう。」
驚く邦子の手を引っ張ってタクシーを拾う。
邦子の服を一枚一枚脱がしていく。
そこには長く誰にも見せたことのない肌があった…
「素敵だよ」
「 恥ずかしい…」
処女と思える程何も知らない邦子に一つ一つ教えていく。
少し身体は固く、ぎこちないが素直に俺の言う通りにする邦子にこれ以上の喜びはない。
「初めてだったの?」
「そんなこと聞かないで…」
俺の胸に子供のようにしがみつく。やっと結ばれた安心感から邦子は眠っている。
ふと美智子や子供達の顔が浮かぶ。
これからどうなるんだろう…
邦子と一緒になるのも悪くないかな。
だが俺は結婚という言葉を決して口にはしない。
昨晩も夫は急に怒り出した。
最近、夫の携帯代が高いので3件まで登録をすると半額になるから番号を教えてって言った。
「そんなのわからないよ!」
「あのね、例えばお義母さんの番号と後輩の吉田さんを登録すると通信料が半額になるのよ。」
「誰にいちばん電話するかなんてわかるもんか!」
真っ赤な顔をして怒った。
何で怒るの?
男の更年期かな?
昨晩、久々に夫が布団に入ってきたが、
途中でできなくなってしまった。
たしか前回も…
仕事で毎晩遅いからストレスかしら?
できなければ仕方がないけれど、やっぱり寂しい…。いつかテレビで亜鉛がいいって言ってたわ。
買ってこようかな…
男と女は関係が出来ると後は転げるように落ちていく。
抱くたびに邦子は聞く。
「私の事、愛してますか? 今、何%ぐらい結婚の可能性がありますか?」
本当は半分はあるのに
「10%ぐらいかな。」
と意地悪を言う。
邦子は淋しそうな顔をする。
「私、好きなんです。ずっと一緒にいたいんです…どうしたら私の事を、もっと好きになってくれますか?」
邦子は俺が望む事は何でもする。
妻なら嫌がることでも邦子はする。
プライドも捨てて裸でぶつかってくる。
俺はそんな邦子をおもいっきり抱きしめ、思い通りにする。
妻にはなぜかブレーキがかかるが、愛人には自分を遠慮なく出せる。
激しく思うままに、相手を痛ぶれる。
征服欲が満たされる。
だから男は妻以外の女と関係を持ってしまうのだろうか?
父親が早く死に病弱な母親との生活が長い邦子は、俺と出会った今が人生で一番幸せだと言う。
昨晩、美智子とは出来なかった
美智子のことは嫌いになった訳ではない。
美智子は冗談で
「他の人とだったら出来たりしてネ。」
「そんな事ないよ。」
笑ってごまかしたが、冷汗が出た。
気付いてるはずはない。
もう美智子を抱くのは無理なのかな…
美智子はスポーツをしているせいか若く見える。
47歳だが邦子よりも若く見えるかもしれない。
妻とは社内恋愛だった。
当時可愛くてアイドル的存在で、それは今のスポーツクラブでも変わらないようだ。
妻がいつまでも若く輝いているのは夫としては嬉しい。
しかし俺の知らないところで生き行きしているのをみると、いい気はしない。
時々仲間と夜に飲みに行くのも俺は面白くない。
水泳の大会で泊まりに行くのも許せない。
だが俺はいい夫として笑顔で送り出す。
美智子はこんな俺の気持ちを思っても見ないだろう。
同僚で飲みに行こうと誘うと女房に電話をして、了解をとってるやつがいる。
「すまん。女房が駄目だって言うんだ。」
聞いていると情けない。
その点、俺のところは何も言わない。理想の妻だ。
だが何だか淋しい。
なぜなら妻は俺の事を全く見ていないから…。
土曜日夕食後、突然夫が
「来週の木曜日から出張で岡山に行くから。」と言った。
「いつ帰って来るの?」
「土曜日の夜。遅くなるから夕飯はいらない。」
「土曜日? 休みなのに?」
「うん。工場の人が観光案内してくれるんだって。」
「ふーん。珍しいね。でも岡山ってどこ観光するんだろね?」
「そんな事、俺に聞かれても知らないよ!」
また怒って部屋を出た。
お風呂に入る音がする。
また怒らせてしまった。
でも怒らせるような事言ったかな…
ふとテーブルの上の携帯電話が目に入る。
受信メールを見る。
送信メールを見る。
消去されている。
スケジュールを見る。
6日木曜日東京、
7日金曜日TDR、8日土曜日TDC…
TDR・TDCって何?
木曜日岡山に行ってから東京に行くのかな…
…なんだか変…
さかのぼって見る。
2月姫路・1月梅林・12月神戸・11月京都…
「…。」
二階に上がって夫の鞄を開ける。
私の知らない携帯電話がある…
携帯をニ台持ってるの?ロックがしてある。
0425…
間違っています。
「…浮気するのに結婚記念日を暗証番号にするわけないか…」
まだ夫を信じている自分に苦笑い。
どうしよう…今度は本気かもしれない。
身体中がガタガタ震えてくる。
どうしよう…
とりあえずエプロンのポケットに携帯を入れる。
そして何事も無かったように一階に下りていく。
どうしよう…
何も考えが浮かばないまま朝が来た。
「おはよう。」
「おはよう。」
美智子はいつもと変わらず朝食を作っている。
やはり美智子じゃないのかな?
昨日、邦子に電話しようしたら携帯がなかった。
落とした? いやそんなはずはない…
鏡台の引き出し、美智子の洋服ダンス…ここと思う所は全て探した。
どうしよう…
邦子との約束の時間までいろいろ考えるが落ち着かない。
いつもならホテルに直行というところだが今日は、それどころじゃない。
美智子は9時に会社に着いた。
オープンハウスは10時からなので、それまでは電話番。
パソコンの電源を入れる。
TDR…検索。
画面いっぱいに、東京ディズニーランド!
手を繋ぐミッキーとミニーが鮮やかに出る。
そうか…ディズニーランドだったんだ…会社が終わってから二人で行くつもりだったんだ…
頭が真っ白になって何も考えられない。
どうしよう?
今度は本気かもしれない。
博文はこれまでに二回浮気をした事がある。
一度目は会社の若い女の子。
当時、親子電話を引いていた。
夜中に起きると夫がいない。
何気なく足元の電話が気になって受話器を取ると夫の声がした。
若い女の甘えた声に夫の声が重なる。
私がバタバタと階下に行くと夫は観念した。
その場で女に別れを告げた。
二度目は東京の出張先の女だった。
年上で二度目という事もあって私は夫を殴った。
決して嫉妬からではなく私のプライドが許さなかった。
その二回とも根拠はないが私には自信があった。
浮気だと。
だた今度は違うかもしれない…
博文は約束の時間より早くカフェに着いた。
邦子はすでに来ていた。
メールで知らせてあったので不安そうな顔をしている。
「奥さんにばれたんですか?」
「わからない。でもいつもの女房だったら携帯を見つけると、すぐに興奮して怒り狂うはずなんだ。
見つけて黙ってる女房じゃないんだ。」
邦子は冷静だ。
「今までにも他の人を好きになった事あったんですか?」
「うん…前に一度。その時はわかってすぐ、ののしられて殴られたんだ…
だから携帯を見つけて静かに黙っているのはおかしいんだ。
もしかしたら
子供かもしれない。」
「そんな…」
「もし奥さんが知ったらどうするんですか?」
「女房が知ったら離婚になるかもしれない…女房はプライドが高いんだ。今度浮気したら離婚するって言ってた…」
「浮気…」
「うん…」
「私の事、本気って言ってましたよね?」
「うん…」
俺はパニクっていて、邦子が俺を問い詰めているのにも気付かない。
そんな時、一瞬だが邦子の目が光ったような気がした。
邦子と知り合って4ヶ月、寝物語に将来の事も話したりした。
結婚の二文字は決して口には出さなかったが、一緒にいたいとか邦子の夢の話しを微笑んで聞いていた。
将来はお互いの母親と4人で暮らそうなんて事も話していた。
今、俺にとっては一大事だが邦子にとっては一年先に出す答が、早く来たって思ってるのかもしれない。
いざとなったら邦子と暮らしてもいいと思っていたはずだったのに、どうしてこんなにうろたえるんだろう。
邦子が俺を見ている。
「女房が知ったら離婚になると思う。」
「じゃあ私と結婚できるんですね。」
「うん。でもすぐには出来ないよ。離婚の原因が俺達の不倫にあったって会社に知れるとまずいから…。一年は置きたい。」
「そうですね。わかりました。」
俺の不安さとは逆に邦子はなんだか嬉しそうだ。
美智子が仕事を終える時間に間に合うように家に帰る。
「ただいま。」
「おかえり。」
美智子はいつもと変わらない。
美智子はどうしていいか、わからなかった。
夫は本気かもしれない。
怒りっぽかったのは、好きな人が出来たからだったんだ。
浮気ならバレないように私に優しくするはずなのに…ここ何ヶ月間は夫はいつも不機嫌だった。
夜の生活も途中でダメになった。
もう気持ちは相手にあるんだろう。
どうしたらいいの?
五日後には夫は彼女と旅行に行く。
旅行に行くその朝に問い詰めようか…
それともディズニーランドで楽しく遊んでいる時に電話して困らせようか…
でもそんな事したら、楽しみにしてた彼女がかわいそうかな…
テレビドラマのように何も言わず我慢して、
いつか私のもとに帰ってくるのを待っていた方がいいのかな…
仕事中もずーと考えてた。
どうしてこんな事になったんだろう…
私が水泳にばっかり夢中になって夫の相手をしなかったから?
今まで夫の事を軽く考えてた自分が思い出される。
夫に何もしてあげてなかった。
彼女も夫も責める気にもなれない。
でも何とかしなくては…
やっぱり…やっぱり私は私らしく我慢しないではっきりと言おう。
そう…私は私らしく…
やっとそう結論が出たのは月曜日の夕方だった。
夕食を済ませる。
いつもなら二階に上がる夫が、珍しくコタツで横になっている。
子供達も帰っていない。
話し合うなら今…
冷静に冷静にと、心に言い聞かせる。
エプロンから携帯電話を取り出し寝転んでいる夫の横に置く。
「本気なの?」
夫は観念したように座り直した。
「…うん。」
「どうして?」
「彼女はすごく優しいんだ。俺を愛してくれてる。」
想像はしてたけどショックで言葉が出ない。
やっぱりもう離婚しかない…。
結婚して25年、夫婦なんて呆気ない。
私だって夫以外の人を好きになったことはある。
14歳年下の水泳のコーチだった。
出会った時からお互い好きになった。
レッスンの後、プールサイドで話しをするのが楽しみだった。
2年後、初めてデートに誘われた。
桜のライトアップを見に行った。
肌寒い日で冷たい私の手を、彼は自分のポケットに入れて暖めてくれた。
心臓の鼓動が彼に聞こえるんじやないかと思うぐらいドキドキした。
嬉しかった。
愛してるって言われて、ときめいた。
「あなたには家庭があるから誘うのに二年もかかってしまいました。」
彼の言葉にすごく嬉しかったけれど、私は踏みとどまった。
苦しかった…辛かった…
だから夫が彼女を好きになる気持ちも、彼女の気持ちも分かりたくないのに分かる。
だから夫が幸せになるんだったら、それでいいと思った。
私は離婚の条件を言った。
「私は自活できないのであなたが出て行ってください。
養育費込みで毎月20万円ください。
姓はいまさら替えて人に説明するのも面倒なので、私も子供達もあなたの姓を名乗らせて下さい。
あなたと会うかどうかは子供達に任せます。
家は子供達が独立したら売りに出して折半しましょう。」
私はこの数日間、考えていた事を全て取り乱さず冷静に話した。
夫は私の望むようにすると言ってくれた。
不思議と彼女への怨みも夫への怨みもなく、離婚に向けての話し合いは数時間で静かに終わった。
最後に夫は
「今までありがとう。ののしられて酷い事になると思ったけど、なんかいつもの君とは違うみたいだ。俺には、まだ知らない君があったのかもしれないね。」
「そうね。私もあなたが何を思ってたのか、初めて聞いた気がするわ。
不満があったらその都度言ってくれれば良かったのに…」
「うん。」
離婚が決まると、なぜか二人とも素直に話せた。
「明日、離婚届けを取ってきます。ただ一つだけ言います。あなたは彼女が優しいといったけれど、それは永遠に続くかわからないですよ。」
「うん。わかっている。」
優しいって何?
夫を奪う人が優しい人なの?
その言葉を私は飲み込んだ。
そして付き合う事になったきっかけを聞いた。
「相談に乗って欲しいって言われて…」
それを聞いたとたん私は逆上した。
「前の浮気も相談に乗った事から始まったのよ。
相談を持ち掛けるのは、女が男を落とす手段よ。前の浮気もその前も相談に乗る事から始まったのに、またそんな罠にはまったの?」
私はさっきまでの離婚という気持ちは消えて、彼女の思うようには絶対にさせない…と思い始めた。
二人が出会うべくして出会ったのなら仕方がない。
でも彼女は最初から夫を奪うべく近寄ったとわかった今、彼女の思うようにはさせない。
夫の声がボーと聞こえる。
「手段がどうであれ、ずっと彼女は俺のことが好きだったんだ。
どうしたんだ?急に…
彼女はとても優しくて、俺の事を一番に考えてくれる。
おまえは自分の事ばっかりで、一度でも俺の方を向いてくれた事があるか!」
計算する女は嫌い。
私は絶対にこの女には夫を渡さない。
私の目がキラッと光った。
その瞬間、私は女になった。
頬に涙がひとすじ流れた。
そして夫を優しい目で見た。
「ごめんなさい。あなた…。もしも…もしも…私が…いつもあなたの方を向いていたら…私のところへ戻って来てくれますか?」
夫は驚きながら、そして優しい目で私の肩を抱いた。