転生したらロリエルフになっちゃった件
◆
「東雲くん、死んだってよ」
「どうして?」
「知らない。お葬式は今週末だって。クリスマスイブ」
「あはは。クリスマスイブって……何の儀式なのよ。復活でもする気?」
「だから普通に、お葬式」
「え? ほんとに死んだの?」
「うん。じゃ、そういうことで」
中学の同級生から、数年ぶりに連絡が来た。久しぶりに聞く名前は、十年付き合った元彼のものだ。
この時はまだ、特に感慨も無かった。現実感が無かったのかもしれない。むしろ、ありがたいとさえ思った。だって葬式がクリスマスイブだったのだ。
二十七歳の女子が何の予定も無いなんて、恥ずかし過ぎて誰にも言えない。それならまだ葬式でも予定があった方が、幾分かマシである。
だが――おかしなこともあったものだ。東雲の死因を、誰一人知らないのだから。
彼の葬式は一般的だった。
小さなホールを借り切って、それなりの花に囲まれて、棺桶に入り、白い衣服を着せられた遺体は酷く普遍的だ。
しかし一方でその顔は青白く、お世辞にも安らかとは言えなかった。強引に顔を形成したと分かる程度には、頬の筋肉が引き攣り固まっている。ただし、それは醜い顔を修正したんじゃない、笑顔だ。満面で笑っている顔を、普通にしたような形。今にも「ひひ……」と独特の笑い声が聞こえてきそうだった。
いよいよ私には、疑惑が沸き上がって来る。東雲は、自殺したのかもしれない。だけど笑っているなんて、気でも狂ったのだろうか?
まあ、東雲ならゾンビになることを望んで自殺しても、決しておかしくは無い――そう思うのは、私が彼の性癖を知っていたからだろう。あるいは愛していたからかもしれない。だけど死体を見て男の性癖を思い出すなど、笑えるけれど失礼だった。
焼香のやり方は、親族の方々を見てなんとか理解した。けれど付け焼き刃感は否めない。何より問題は、数珠を忘れていたことだ。これでは焼香をしたところで、東雲の魂が安らぐとは思われない。心の中で「悪ぃな」と呟き、詫びておいた。
まあ、十年も付き合ったよしみだ、許してくれよ。
葬儀が終わると、同級生達で集まって東雲の思い出話をした。
アイツは良くも悪くもオタクで、目立たない存在だった。だから友人も少なく、親友と呼べる存在もいない。
それでも私と彼が中学時代に付き合ったのは、私が隠れオタクで家出少女だったからだろう。笑えることに、アイツはオタクでありながら、性欲が強かった。
もっとも――そんな話をすべき場所じゃない。私と東雲が付き合っていたことを知る者なんて、この場にはいないのだ。つまり私は私の思い出を、ここでは誰とも共有する事が出来ない。
「東雲は、どうして亡くなったの?」
ここでも、私の問いに答える者はいなかった。だからといって、両親にずけずけと確認出来るほど、私の精神は強くない。
私は早々に葬儀場を抜け出し、家に帰ろうと思った。途中――親族の――多分、東雲のお母さんに呼び止められたけど、火葬場にまで行く気にはなれなかった。
私の中で、どうも彼はまだ死んでいないらしい。いや――死んで欲しく無いのかも知れない。それが骨を見てしまえば、否応無しに終るから。
だから、呼び止められて少しだけ泣いた。別れていたのに女々しいけれど、別れていたからこそ、多分泣けたのだ。
不思議と、実家に帰ろうという気になった。東雲を自分なりに偲ぼうと思ったのかもしれないし、彼がどうして死んだのか、手掛かりが欲しかったのかもしれない。
実家に寄ると、母が目を丸くして驚いていた。私がいきなり喪服で現れたのだから、当然だ。私は今日の帰省を伝えていない。これも多分、悲しかったから。帰る理由を聞かれたとき、「東雲の葬儀」と言って泣き出す自分を想像したのだ。だから今も、彼の名前を出さなかった。
「友達が死んだ。だから……」
一言告げると、母は「そう……」とだけ言ってお茶を啜る。コトンと音がした。古いコタツの上に、湯のみを置いた音だ。このコタツも、私が中学生の頃に買ったものだった。
不意に涙が込み上げてくる。東雲の死体が、脳裏に蘇った。モノ言わぬ死体――死体がモノを言ったら、それは死体じゃない。私は必至で自分を笑わそうとする。だけど失敗だ。どうしたって、胃の奥底からムカムカと悲しみが込み上げてくる。
母が「誰が亡くなったの?」と問い掛けてくるが、答える気にならなかった。
私は嘗ての自分の部屋へ立てこもり、膝を抱えて丸まった。まるで中学時代に戻ったような心境だ。
――――
二十七歳にもなって、アルバイトなんて――と、実家に帰るたび、いつもなら母の小言を聞かされる。特に弟が就職してからは、余計に酷い有様だ。
今、田舎は両親が二人だけで暮らしていた。父は地方公務員で、母は専業主婦。正直言って私には、両親の生き方がよく分からない。
ただ息を吸って、吐いて、食事をして、たまに旅行に行き、愚痴を言って――時期が来たら死ぬんだろう。そう思っていた。つまり、馬鹿にしていたのだ。こんな風に思い始めたのが多分、中学生くらいだった。
だから私は、よく家出をした。
家出と言っても友達の家に行くくらいで、大したことはしていない。
尤も――中学生としては少しだけ早熟だったかな。同じ様に考える男の子と、それで仲良くなって、付き合ったんだから。それが東雲だった。
アイツは家出もしなかったし、両親に反抗もしなかった。けれど心は誰よりも自由だったように思う。アイツの本心を知っているのは私だけだと思っていたし、私の本心を知っていたのはアイツだけだと思っていた。心が繋がれば、身体だって繋がりたいと思うのは、自然の流れだったと思う。
結局今にして思えば、普通は偉大だ。ただ息を吸って、吐いて、適度な不満しか抱かず、それなりに好きな人と結婚して、僅かの愚痴を抱えて死んで行く。これが出来れば、きっと人間は幸せになれるんだ。
たぶん東雲は、私をそんな風にしてくれる人だったんじゃないかと思う。だから嫌になった。だから別れた。嫌いじゃなかったのに……また、涙が零れ落ちた。
膝を抱えていると、いつの間にか窓から差し込む夕日が、うすべったい四角い箱にぶつかっていた。古いノートパソコンだ。本体の脇からコードが伸びている。その先をコンセントに入れて、私はそれを起動させた。
もうサポートの終了したOSが立ち上がり、青い画面が広がった。その中に一つのファイルがある。
“転生したらロリエルフになっちゃった件”
「ぷっ……」
思わず空気が漏れる。在りし日の東雲が、記憶の中で照れくさそうに笑っていた。
これは昔、東雲が書いていた小説だ。私も色々と協力した覚えがある。自分が女の子になって、親友とアレやコレをする話だ。
生理のことや何処が気持ちいいかなど、根掘り葉掘り聞かれ、ぶん殴ったことさえ記憶に新しい。まるで昨日のことのようだ。
それにこれは当時、何者かになりたいけれど、何者になればいいのかすら分からなかった私に、明確な方向性を与えた作品でもある。
つまり私は東雲がこの作品を書いていたから、小説家になろうと思ったのだ。だから今もアルバイトをしながら小説を書いている。まあ、状況的には、この出会いが必ずしも幸運とは云えないけれど。
尤も――アルバイトというのも酷い話で、両親には飲食と言っているが、本当はキャバクラだ。それも二十七歳になった今、ババァと呼ばれる始末だし……収入も減っている。
そりゃあ若い頃は時給四千円とか五千円とか貰って、夜の数時間を働けば生活が出来た。それで小説も書き放題だったけれど――今となっては流石に限界を感じている。
指名を呼べなければ白い目で見られるし、指名をとる為には時間外でラインや電話、食事に行ったりしなければならない。正直私は、そこまでのことをしたくなかった。
だいたいにおいて、私は下戸だ。指名をとる為に甘えて酒を飲んでも潰れるだけだし、アフターで潰れてヤバい目にあったこともある……多分もう、潮時なんだろうな。
ともあれ、先のことは後で考えよう。今はとにかく、この古いパソコンを持ち帰るのだ。善は急げと思い、すぐに立ち上がって実家を後にした。今は少しでも、東雲のことを思い出したい。彼が何をして、何を思い、どうして死んだのか――私くらいは、知ったっていいと思うのだ。
「夕飯くらい食べていってもいいじゃない――」
玄関ごしに聞こえる母に礼を言い、私はバス停まで駆けた。
田舎のバスは、一時間に一本。既に日暮れを迎えている。下手をすると、家に着く頃には十二時を回っているかも……。
そう思いながら腕時計の針と錆の浮き出た時刻表を交互に見返し、私は溜め息を吐く。
だけど慌てても仕方が無いし、慌てる理由も無い。
私は後ろを振り返り、コの字形に並んだベンチの隅に腰掛けた。バタバタとトタンの屋根が冬の風で揺れ、今にも飛んでいきそうだ。冬の田舎は、何とも物寂しい雰囲気である。
バスを待つ間、ノートパソコンの電源を入れた。多少は充電をしたので、暫くは持つだろう。私は「ロリエルフになっちまった件」をクリックし、文章を呼び出した。
「トラックに轢かれた結果、神様に会って異世界に――」というベタな始まりだ。けれど、どこか私は引っ掛かる部分を覚えた。
この主人公は、とにかく死んだ。死んで異世界に行き、ロリエルフとなる。東雲の死と、どこかリンクしているように思えた。
そんなことは無いと頭を振ってみても、彼が自ら望んで死んだような気がしてならない。だけど異世界に行くなんて、馬鹿げた発想だ。そんなことは出来る訳が無い。
結局、私は五万文字ほど書かれた拙い小説を最後まで読み、ほっと小さな溜め息を吐いた。バス停の小屋に灯る薄暗い蛍光灯が、チカチカと明滅している。いつの間にか、数本のバスが過ぎ去っていた。
けれど辺りは、思いのほか明るい。見れば雪がつもり、街灯の明かりが反射しているのだ。
私は欠伸を一つして、眠い目を擦る。昨日はあまり眠れなかった。
もう一度バス停を確認して、次に来るバスを調べようとしたところで、私はベンチに横たわる女の子を見つけた。何時からそこにいたのだろう? 物音も立てず、私に近づいたのだろうか?
いいや、多分違う。私はこの存在を、きっと知っている。馬鹿げていると思う半面、確信めいたものがあった。私は女の子に近づき、声を掛ける。
「ねえ、大丈夫?」
女の子は緑色の服を着て、カサカサの新聞紙を体に巻き付け震えている。ギュッと閉じた両目から、小さな涙の粒も見えていた。
「――寒い」
私の予感が正しければ、これは東雲だ。馬鹿げているかも知れないけれど、アイツの目的は転生だった。それもロリエルフになることだとすれば、満面に笑みを浮かべて死ぬ理由も説明がつく。
「これを――」
私はコートを女の子に掛けて、ニッコリと微笑んだ。
「ありがとう……」
女の子は首を動かし、瞼を開ける。長い睫毛が、フワリと揺れた。女の子の目は緑色で、間違い無く美少女だ。黄金色の髪から覗く耳も、細く長い。
まさに完璧なロリエルフ。本来ならば地球外生命体発見とでもいって、大騒ぎするところだろう。しかし今の私には、心当たりがある。
なぜロリエルフが、こんな田舎にいるのか。そして私の前に現れたのか――答えは一つしかない。
「ねぇ、東雲。東雲でしょう?」
ロリエルフの目が、恐怖に引き攣っている。そして鳴らない口笛を吹いた。
「ひゅ〜〜」
「東雲? この為に死んだの? ロリエルフになる為に?」
もう一度、問い掛ける。そして起こし、彼女を抱きしめた。ようやく答えたロリエルフの声は、絞り出す様に薄く、渋い。
「そう……だよ」
「なによ……私にくらい、打ち明けてくれたって良かったじゃない。心配した――ううん、悲しかったんだから、本当に」
「悲しかった? 馬鹿なこと言うなよ……」
「馬鹿なことって……」
ロリエルフは、私から少し身体を放した。金色のサラサラとした髪が、風で揺れている。桃のような香りが、彼女の全身を覆っていた。
ロリエルフは顔を顰めて、こめかみを押さえている。
それから二度、三度と目を瞬いて、澄んだ声を出す。だけどその言葉は、私の心をギュッと締め付けた。
「だってさ、お前にフラれたんだぜ……おれ。だったらもう、ロリエルフになるくらいしか、やることないだろ……」
「馬鹿なの? ううん、馬鹿なのよね……知ってた」
ロリエルフになった、小さな東雲の身体を抱きしめた。凄く冷たい。暫く抱いていると、私は自分が失ったものの大きさが、途方も無いものだったとようやくにして気付けた。
不意に東雲が私の頬に手を伸ばし、親指を押し付けてくる。どうやら私は涙を流していたらしく、それを彼女が拭ってくれたらしい。
「でもさ、なんで気付いたんだ?」
ロリエルフがコートを私に返し、その代わり膝の上に座る。自分の身体を最大限利用しようという根性が恨めしいが、コートを羽織ってロリエルフを膝に乗せると、とても暖かかった。
私は鞄を指差し、中に古いノートパソコンが入っていることを伝えると、ロリエルフの頭に軽くキスをした。
「ああ、そうか」
頷いて、ロリエルフが私を見上げた。それから、つむじ辺りを手でなぞる。私がキスをした部分だった。どうやら照れているようだ。
「なんだよ。おれが男の時は、こんなことしてくれなかったクセに」
不平をいう口が尖って、とても可愛らしい。私は彼女の頬を軽く抓り、ムニムニと引っ張った。
「ヤ、ヤメロよ……あ、そうだ。お前にその気があるなら、だけどさ……」
「なぁに?」
「おれと一緒に来ないか? それで、一緒に暮らそう。今度は愛想を尽かされないようにするからさ……」
私はロリエルフを膝に抱いたまま、道路に降り積もった雪を見る。
次のバスは、何時だろう? 実家に戻ることも出来るけれど、ロリエルフになった東雲をなんて説明すればいい? そんなことを考えているうちに、だんだんと眠気が強くなってきた。
「……いいよ」
私は半開きの目で、ロリエルフに答えた。彼女は笑って、手を叩いていたと思う。
「やった! 本当だな!?」
「だってあなた、最初からそのつもりで……ここに居たんでしょう?」
「ひひ……バレてたか」
「ねえ、東雲。あなたって、どうして死んじゃったの?」
「……凍死だよ。ほら、すぐ後ろの山でね。苦しくなんてなかったさ。ただ眠るだけだったからね」
「自殺……したの?」
「あぁ〜……残念ながら、違う。罠に掛かった狸を助けたらさ、転んで骨を折って動けなくなった」
「ドジね」
「でも、お陰で森の加護を受け、ロリエルフに転生出来たってわけだ。どっちかって言うと、得したろ?」
「そうね……ねえ、私、もう眠いのよ……行くなら行くで、さっさと連れて行って」
「おっけー。未練は無いな?」
「無い……」
私は頷き、目を瞑る。きっと私は、死ぬんだろう。
異世界に行くってことは、多分こういうことなんだろうな。
後悔が無いと言うのは嘘だけど、それよりも東雲とまた一緒にいられると思うと、ワクワクした。
「よし、行こう。目が覚めたら、その先は異世界さ。これが、おれのクリスマスプレゼントだ!」
「目が……覚めればね……」
これで私も、ようやく本当の幸せを掴むことが出来るのだろう。目が覚めても、覚めなくても……。
そう思ったときチェーンを撒いたバスのジャラジャラとした音が響き、目の前に銀色の車体を止めた。さっきまで腕の中にいたはずのロリエルフは、どこにもいない。ただ、一度脱いで羽織っただけのコートが、風で飛ばされてベンチの隅で揺れている。
膝の上には、電源の落ちた古いノートパソコンが乗っていた。
どこからが夢で、どこまでが現実だったのだろう――辺りには、まだ桃の香りが漂っているような気がする。少なくとも私は、全てが夢だとは思いたく無かった。
「異世界に行くのは、また今度。さよなら、東雲。好きだったよ、ほんと――」
パソコンをしまうと私は立ち上がり、バスに乗り込んだ。
家に帰ったら、“転生したらロリエルフになっちゃった件”を小説サイトに投稿しよう。主人公の名前は――もちろん“シノノメ”に変えて。
私は駅に着くまでの間、異世界に行った東雲について考えた。きっと毎日楽しく過ごしているのだろう。バスの曇りガラスを拭いて映した私の顔は、涙の跡を残す、ちょっとした笑顔だった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。