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昼時を迎えようとしている館内は、利用者の昼食時間の頃合いもあって、丁度人気が薄くなっていた。勿論天候が下り坂のせいもあるだろう。何処と無く足元から忍び寄るような冷気が、外の寒さを教えてくれるようだ。
カウンターの前の席から見える景色も、出入り口のガラス戸の向こう側にて次第に白んでいく。遠くの見通しが利かなくなっていく様は、エイリオの気持ちを重くした。まるで今の自分の様だと、はっと溜め息をこぼした。今更、大人しく従ってしまった事を後悔しても遅かった。
「なぜ、私がここに座っていないといけないんだ。いい加減仕事に戻らせてくれないか」
「シシリィと居たかったのなら、俺で悪かったな」
エイリオの眉間の皺は、ずっと取れない。フラムが隣で手帳から顔を上げる事無く、淡々と答えるせいもある。
解放しろという要求は返答なくあっさりと受け流されて、エイリオはまた一段と眉間に渓谷を刻んだ。いっそカウンターを飛び越えて出ていってやろうかと、何気なく辺りの様子を伺う。しかし、そんなエイリオの気配を察したのか、フラムの視線がこちらに向いた。
「それに、お前も少なからず興味あるだろうと思っただけだ」
タイミングの良さに辟易しつつ、エイリオ気持ちを落ち着けようと足を組む。
「一体何に?」
「セイミア研究技師」
「……確かに技工は、興味深い分野ではあるけれどもね。路面を自由に走る列車だの灯りだの作り出してしまうくらいだもの。けどね?」
当然の様に告げられて、今度こそエイリオは頭を抱えた。
「生憎、研究をしている人間には、それほど興味は抱けないかな。技工士は皆癖のある人たちだって事は、学生時代に嫌と言う程知らされている」
「女の技工士でも、か?」
即座に知らされた相手の情報に、一瞬詰まる。エイリオ自身も面白いくらいに視線が揺らいだのが解ってしまった。
返答のない彼に、フラムは何を思ったのだろうか。ひょいと肩を竦めると、どっかりと背もたれに体重を預けた。
「ま、確かにあの女は一癖どころか灰汁そのものだから、憂鬱になるのも無理はないけどな」
納得したようにフラムは頷く。自分の結論に疑う様子すらない彼に、エイリオは頬を引き吊らせた。
「……言いたい事はいろいろあるけれどね。少なくとも女性を平気でそのように言う、君の神経を疑うよ」
「ふふふ、ホント。貴方の周りはまともな方が多いと言うのに、どうして当人はこんなに捻くれてしまったのでしょう、フラム?」
「え?」
同時に、背中でくすくすと笑われて、エイリオは振り返った。そこには白衣をまるでロングコートの様にたなびかせる、セイミア研究技師の姿があった。鈍色のショートヘアの裾を揺らす彼女は、悩ましそうに頬に手を添える。
「やあねえ。忙しい時間の中足を運んで来たと言うのに、来て一番に言われるのが灰汁女ってあんまりじゃないかしら? 私だって傷つくんだから」
小さく唇を尖らせて、真っ当な不満を零しながら微笑んだ彼女に、フラムは鼻で笑った。
「ハッ! 何を馬鹿な事を。傷ついているって言うなら、その左手に握っているものを見せて見ろ。どうやって刻んでやろうかって顔をしながら、ポケットの中でカミソリを握るな。それと薬品が付いているかもしれないような白衣くらい、ちゃんと脱いでから来い。
大体、言いたい事は言わせてもらう性分でね。優しくして欲しいっつーなら他を当たれ」
「ふふ、あら? 嫌だわ、私ったら。つい癖で、ね?」
始終柔らかい表情で彼らを見返すものの、その目は全く笑っていない。カウンターに肘をつき、つまらなそうにそんな彼女を眺めていたフラムは、視線を反らしながら溜め息をこぼした。
「ああ……だからシシリィが良かったってどいつもこいつも言うのか。次はそうする」
「いや、次はって……!」
そうじゃないだろう。エイリオは言い募ろうとして、諦めた。どうせ彼に何を言っても無駄だろうと、この短い時間の間に理解させられたせいだ。
遣る瀬無い気持ちは溜め息となるばかりだ。くしゃりと髪をかき上げて、エイリオは椅子に身体を預けた。
「どうしようもないクズだな、君は。一体どうしたら、そのような結論が出せるんだい? シシリィ・クレメンスが嘆きたくなる理由が、とても解る気がするよ」
「ほんとねえ」
「何とでも」
しれっと答えるところを見ると、心から気にしていないのだろう。しかし不意にエイリオを見据えた表情だけは、真剣だった。
「だがな、甘えるだけ媚びるだけの奴を相手にするほど無駄な時間はない。女だろうが、男だろうが、な。そんな奴、隣に置く価値もねえって、そうは思わないか」
「人には得手不得手があるのだから、出来ない事で甘えるのは仕方ない事だろう?」
「っつって、得手しかないあんたは、一体どういう扱いを受けて来たんだろうな、エイミーさんよ? 弱みのない女は可愛くないって言われてるんだろ?
けどな、そんなもん言う方も言われる方も、甘ったれてるだけだ。やる事自分で考えてやるからこそ、隣に置くだけの価値があり、自分で動けるからこそ、息詰まった時に手を貸してやろうって、少なくとも俺は思うが?」
「君が誰かを助けるなんて、天地がひっくり返っても有り得もしないだろうに、言い分だけはご立派だよね」
「単に、そう思う機会がないだけだ」
「やはり君はクズだ」
ひょいと片眉を吊り上げたフラムは、気にした様子もなく肩を竦めた。
好きに言ってろと、態度で受け流されてエイリオは苛立った。自分はこんなにも迷惑被って腹立たしく思っているのに、同じ思いをさせられない事が悔しくて仕方がない。
「おい。外には――――」
「少しここの蔵書を拝見させてもらう。館外には出ない」
椅子を倒す勢いで立ち上がったエイリオは、フラムの呼び止めには応じなかった。これ以上ここに座っているのも不愉快だったせいだ。
彼らのやり取りを傍観し、その背中を見送っていたセイミアは、やれやれと首を振った。
「それで、フラム? 私の頼んだものはどこかしら」
フラムの事をよく知るセイミアは、あえて咎める事もしなかった。ただ、じっと彼女に見つめられて、少しだけ唇を引き結んでいた。
「ああ、これだ」
差し出した紙の束は、そのあまりの数に紐で縛られていた。
「今度はこれで、誰を撲殺するつもりなんだ」
「ふふふ、貴方でもそういう冗談言えたのね。折角だから、試してみる? 取りあえず一発、彼の分として、ね」
「遠慮しておこう」
「残念だわ。でも少しくらい、気を使ってあげるべきだわ。彼だって女の子、でしょう?」
「怒っているのか」
「あら、貴方からそう見える?」
「解りにくい」
「声を荒げるだけが主張の仕方じゃないのよ。男たちの中で戦うなら、尚更ね」
「…………精々努力しよう」