3-2
呆れたように肩を竦めたフラムに、シシリィ・クレメンスはぷっくりと頬を膨らました。つんと顎を上げて、絶壁のような胸を反らして不貞腐れているが、そうしていると、まだ発育前の十代半ばの少女にも見える。
「何です、リドリー。私が小さいって言いたいんですかー? 相変わらず失礼な人ですねー」
「一言も言ってねえ。お前がそれを押すと、立端と重さのバランスが危ないからやめろって、単に言ってるだけだろ」
むくれながら飛び跳ねて枯草色のツインテールを揺らす姿に、フラムはうんざりとした表情で一歩下がる。そんな彼を逃がすシシリィでもなくて、詰め寄りながら腕を組んだ。
「ちょおっとー、私がちっさか弱いからって保護者気取りですかー? セクハラですよー」
「あ? だから一言も言ってねえ。第一てめえのどこがか弱いって?」
「もおーっ貴方の目って節穴ですか! 空洞ですかー! 実はその目は貴重なオレンジのシーグラスでも入っているんじゃないですかー? リドリーのくせにっ。
どこからどう見ても可憐で、可愛らしくて、庇護欲そそる私に向かって、貧弱とはあんまりじゃないですかーっ」
「うぜえ。だからそういう事はなんも言ってねえつうの。俺に絡むな。甘えたいなら他所でやれ」
「ぷーう。平等に接する事とつっけんどんはイコールじゃないんですよー? 解ってます? リドリー」
「知らねえよ」
ハエか何かを払うように、しっしと手を振る姿に、シシリィはまた頬を膨らませる。
「全くもう、貴方と言う人はー!
酷い男だと思いませんかー、そこの美丈夫さん! 貴方からもどうにかこれに言ってくださいなー。こんなか弱いレディに向かって、邪険にするのはやめろー! って」
「え……あ、そ……」
「あ、申し遅れましたー! 私はシシリィ・クレメンスですー。よろしくお願いいたしますねー、美丈夫さん!」
ね? と、胸の前で両こぶしを握り、ことりと首を傾げたシシリィに、フラムはこめかみを抑えた。
「……こいつにも絡むな。てめえの相手をさせるのは流石に気の毒だ」
「んもー! リドリーの冷徹漢! 朴念仁! これだから空気読めないカタブツは嫌なんですー! 私に嫌われてから泣きついたって、知らないんですからねーっ」
「おーおー、てめえに泣きつくとしたら、仕事以外には有り得ねえから安心しとけ」
だからそれ以上絡むな、と、言外にあしらうフラムに、シシリィも諦めたように肩を落とした。
「……そこで仕事なら断られないと思っている辺りが、貴方らしいというか憎たらしいですねー」
じとりと湿度の籠った目を向けるシシリィに構わず、フラムはあたりを伺った。「そんな事よりも」 と切り出した彼に、まだ唇を尖らせていたシシリィが首を傾げた。
「シシリィ、さっきの精霊はまだいるか?」
「んー、どうでしょうねえ。私は見かけていませんので何とも言えませんが、多分、もう自分の寝床に帰られてる頃だと思いますよー」
フラムの態度も、いつもの事だと割り切っているのだろう。つまらなそうにしつつ、彼女自身も何気なく目を向けていた。
途中、思い出したようにスチールブックトラックから、何冊かの本を抜く。背表紙の分類番号に目を通しながら、シシリィは何事もなかったかのように離れて行った。目当ての本の隙間を見つけて、その間に手早く戻していく。
「それでフラム、早速彼を連れていこうって事ですかー?」
話の切れ目に何気なく、シシリィは尋ねた。フラムは頷く。
「ああ。とっとと取り戻さないといけないからな」
「相変わらず仕事熱心ですねー。尊敬しますー」
全く心の籠っていない様子の褒め言葉に、フラムは肩を竦めた。シシリィに習ってトラックから本を抜き、彼女の身長では届かない段へと戻していく。
そんな彼らの姿を呆然と見ていたエイリオは、漸くハッとして、無表情のフラムに尋ねた。
「取り戻すって、一体何をしようって言うつもりかな? トーキィの逃げた場所なんて知らないって、さっきから言っているだろう?」
「あんたに関係のある場所だ。必ずな。だから問題ない」
手を休める事無くきっぱりと告げられて、エイリオは眉間に皺を刻んだ。
「心当たりを言えとでも? バカバカしい。私に関係ある場所があるとしたら、この街のどこにでも該当するとも。巡査とはいえ、この街の平和を守る事が使命なのだから」
「だろうな」
「まさか、虱潰しにするからその間同行しろ、なんて言わないだろうね? 私には仕事があるんだ。今、この時間だって……」
「解っているさ。けど、言いたい事はそれだけか?」
フラムはぱんっと、手をはたいて、ついていない埃を落とすしぐさをした。それが単に、エイリオの言葉を遮りたかっただけだとエイリオ自身が理解しても、彼が何か反論する事は無かった。それ以上何かを言うにしても、出鼻をすっかりくじかれてしまった。
シシリィは、悔しそうに唇を噛んでいる美丈夫を脇目に捉えながら、やれやれとこっそり吐息を零した。
「そうだリドリー、外に行くならその前に、ちょっとカウンター業務を請け負ってくださいなー。もうすぐ論文の複写を依頼してきた、セイミア研究技師がいらっしゃる筈ですからー」
「お前にしては珍しいな。忙しいのか?」
「えーとー、セイミア技師の立派なお胸が嫌なんですー。なのでリドリー、やってください。それまで美丈夫さん、私とお茶でもしましょうかー」
丁度今思い出したとは言い難いくらいに白々しいシシリィに、エイリオだけが彼女を伺った。驚いた様子の彼に、あざとさを感じさせる笑みがウインクする。
唯一そんな彼らのやり取りに気が付いていないのは、フラムだけだ。
「ああ、解った」
彼の様子からは珍しく、二つ返事した。同時に、立ち尽くしたままだったエイリオをちらりと見た。
「丁度いいか」
ただ、せっかくシシリィが気を利かせても、意味がなかった事だと思い知らされる。効率を重視したように呟いた言葉に、彼女までも天井を仰いでいた。
「……美丈夫さん。リドリーは話が聞けない子なんです。諦めてくださいー」
「ああ……その様だね」
可哀想なものでも見るような目を向けられて、エイリオは深く溜め息をついた。