23.無表情修書士は物語を残す
その日、仕事の休みにエイミーは街一番の図書館へと足を運んだ。
手土産に焼いたオレンジのパウンドケーキは、酸味が効いており、甘いものが苦手なニコライからも好評だった自信作だ。この出来ならあの仏頂面も文句はないだろうと、彼女は自然と意気込んでいた。
もののついでに、こういう時だけはしおらしいと揶揄ったその同僚には、漏れなくみぞおちにこぶしを沈めてある。
女の子らしさを瞬間的に捨てるなとぼやいた余計な口には、洗濯バサミを挟んでおいたのは余談だ。
正面の大きな扉から入って行くと、途端に外の空気は締め出された。
音は全て、高い天井の方へと吸い込まれているかのようだ。蔵書を守る為に、照明の彩度は少し落とされていて、どことなく肌寒い。
天井に見合った、人の背丈を優に超す高さの本棚の数々がずらりと並んでいる様は、一種の迷路に迷い込んだ様に錯覚する。
窓際と言う窓際には、読書や勉強の為のスペースが設けられている。
本日もにぎわっているらしく、本棚の間を抜けていく間も、子供たちとすれ違った。お互いに口元に人差し指を立てて、くすくす笑っている様は微笑ましい。
先日連れ込まれた時とは見方が違ってしまうのは、ただ気持ちの問題なのだろう。
たったそれだけの事なのに、心が弾む気がした。
カウンターに足を運ぶが、そこに見知った顔はいない。
仕方なく本棚の間をうろついて探していると、動くスチールブックトラックを見つけた。
相も変わらず率先して、身体に合わない役目を請け負っているのかと思わずにはいられない。
それでも、彼女は彼女なりに頑張っているのだと思うと、妙に親近感がわいた。
「シシリィさん」
彼女の仕事の邪魔にならない様、そして周りに迷惑かけないように気を付けて声をかけた。
だが、声をかけてからはたと気が付く。もしかしたら、彼女は以前会った事が解らないかもしれないと、気が付いてしまった。
ひょっこりこちらを覗いた表情は、相変わらず幼さすら感じられる。これで成人だと言うのだから、にわかに信じがたい。
そして、表情の反応を伺うには、予想通りだった。
「はい、何か御用ですかー? 美人さん」
恐らく先日世話になったと気が付いてすらいないだろう。しかし、以前と変わらない呼び方には、流石に笑ってしまった。
解らないなら、それはそれでいいかとエイミーは思ってしまった。自分でも状況を説明するには細かい話が必要過ぎて、いささか面倒臭さを感じていたから、丁度いい。
「忙しいところすみません。フラムはいますか?」
「フラム?」
きょとんとした表情は、ますます彼女の年齢を下げる。その事に気が付いてしまい、けれど言うと気を悪くさせてしまうのは解り切っているから、言わないように堪えながら頷いた。
「はい、フラム・リドリー」
「ええと……」
途端、シシリィは困った様子で眉尻を下げた。そのまま数秒ほど固まってしまい、流石のエイミーも不安に感じた。
まさか、会うつもりがないからと、ここを出たとでも言うのだろうか。そこまでされてはどうしようもないが、そうまでされると何だか悲しく思えてくる。
否、確かにあの融通の利かない頑固者ならば、それくらいやってもおかしくないか。納得できなくはないが、納得し難い微妙な気持ちだ。
だが、彼女の返答は思いがけなかった。
「ああ、お待たせしてしまって申し訳ありませんねー? レファレンスサービスにアクセスしましたので、少々お待ちくださいませー」
「え?」
驚いて、その場に固まる。ぺこりと頭を下げてとことこと行ってしまう背中に、咄嗟に声をかけることが出来なかった。
どういうことだと戸惑っている内に、すぐにシシリィは戻って来る。
「お待たせしました。フラム・リドリーに該当したのは一件です。
こちらでよろしかったですかー?」
差し出されたのは、一冊の本。タイトルを見た途端に、すべてが溜め息に変わった。
「え、アクセス……?」
そして漸く、もう一つの違和感を口にすると、シシリィは振り返り、いたずらっぽく笑ってウインクした。
「私は機械司書ですから。これくらいお手の物、です。
今後ともご贔屓にしてくださいねー?」
それでは、と。再び自分の背丈よりも高いブックトラックを押し始めた姿に呆然としてしまう。
「機械司書……女性だったんだ」
もう一度、渡されたものに目を落とす。
「……君も、随分な嘘つきだよね。フラム?」
タイトルは、『魔想悪食と修書者』。
全てはそこから始まっていた。
Fin.




