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21-1.背反に告げる

 

 予想していなかった姿に呆けていたのは、エイリオだけだ。目が合った途端に、フラムはずかずかとやって来て、その頭を捕まえた。


「なっ……?!」


 驚いてエイリオが身体を強張らせた刹那、ガツンと額に鈍い痛みが走っていた。思わず頭を押さえてよろめいてしまう。

 力強い手に逆らう事も出来ずに、フラムに頭突きされたのだと、随分と時間が経ってから気が付いた。


「な、にを、するんだ! フラム・リドリー!」


 掴まれていた手を振り払い、エイリオは涙目になりながら叫んだ。だが、頭突きをかました当人は、ただでさえ深かった眉間の皺に、渓谷を刻む。


「てめえは、反省がないな?」


 ぎろりと睨まれて、思わず黙った。

 何の事かと状況を理解するよりも先に、変に心当たりがあるせいで、身体の方が先にぎくりと萎縮してしまった。


 彼らの様子に「わあ、怖い」 と茶化したトーキィも、暴君に睨まれて肩を竦めた。


「人を食って喜ぶ奴に、何を気圧されているんだ。阿呆」

「そんな、つもりは……」

「酷い言われだなあ。暴力男にそんな事言われるなんて心外だよー?」


 唇を尖らせて不満そうにする姿に、人を揶揄ってって愉しむ、嗜虐に満ちた気配はない。指摘をすれば、恐らく誰かさんのせいで台無しだと不満を零す事だろう。


 フラムはふんと鼻を鳴らし、腕を組んだ。


「こいつの言う事を真に受けていてどうする。てめえは、てめえの心でどうするかって決めたんだろ」

「あーあ。無粋だなあ、もう」


 吐き捨てられるように告げられて、度肝を抜かれて目を見開いた。思わず視線を反らす。

 残念そうなトーキィには、唯一張り詰めた空気を緩ませられた。


「……解っている」


 背中を押されるようにして、エイリオは頷いた。


「信じて、いいんだよね。私の考えを」

「てめえが信じずに、一体誰が信じるんだ?」

「ははっ……。それもそうだ」


 もう一度、視界を閉ざして呼吸を整える。緊張感を押し流して、真っすぐに赤い瞳を見つめ返した。


「初めは、そこの目つきの悪いのに言われたから、仕方なくって思っていた事だけどね。貴方がくれたこの機会に、今まで見えていなかったものが沢山見えるようになった。沢山、知らなかった事、知りたくなかった事を知った。

 でもね、色々なものを見たからこそ、私は自分の意思で貴方を探したんだ。トーキィ」


 この決意は、確かに自分のものである。口にした途端、より鮮明になる確信は、迷う気持ちを拭ってくれた。


「エイミーを、返して。私の事は、貴方の好きにすればいい。

 私とエイミーは別人かもしれない。それでもやはり、同じなんだよ。同一だ。ならば、仮初の私が、しゃしゃり出ていいところではない。私は彼女として、成そうと心に決めた事を成し遂げたい」

「ふふ。うん、解った。いいよ」


 エイリオがきっぱりと告げると、今度こそあっさりとトーキィは頷いた。その呆気なさに、エイリオの方は肩透かしを食らってまじまじと見返してしまう。


 そんなエイリオの表情に気が付いて、トーキィは澄まして笑った。


「そんなに意外? でもね、僕にしてみれば、エイミーでもエイリオでも構わないんだよね」


 お話が集まりさえすれば、と。どこまでも打算に忠実な姿に、苦笑せざるを得ない。


「それじゃあ」


 トーキィは先程から手にしている朱色の本を見えるように掲げてみせた。ちらりとエイリオの視線の先を確かめて、見せつけるように表紙と小口に手をかける。


 ぐっとそのまま力を入れようとする姿に、エイリオは慌てた。


「ちょっ、何を?!」

「何って? 『君を』返すんだろう? エイミー?」


 期待通りの反応を得られた事が嬉しいのだろう。にこにこしながら、トーキィは朱色の本の背表紙を引き裂いた。


 思わずエイリオが息を呑む。そんな彼の反応に、トーキィは最後の最後まで楽しそうにしていた。


「はい、あげるー」


 そして破き取った束を、ぽいっと気軽に投げてよこした。


「え、ぅわっ」


 『それ』が何か理解している身として、落とす事はし難い。慌てて掴もうと伸ばした拍子に出た声は、随分と高かった。


「え……?」


 束を掴み、思わずまじまじと自分の手を見てしまう。同時に、掴んだ筈の束がふっと消えてまた驚いて自分の手を凝視した。


 ほっそりとして、どことなく丸みを帯びた指は、とても男のものには見えない。

 さらりと落ちてくる髪に変化は無いように見えるが、こころなしか、胸元は窮屈に感じた。


 ハッとして顔に手を当てるが、変わったかどうかが本人に解る訳がない。


「呆気なさ過ぎてピンと来ないかい? エイミー?」


 彼女の反応を楽しむようにトーキィは尋ねた。何かそれらしいものが起こる事を期待していたのならごめんね? と、揶揄いだす始末だ。


 そんな彼に、恐る恐るエイミーは目を向ける。


「私は……夢でも見ていると言うの」


 絞り出した声は、なんとも不安そうだった。


「あっは! そうだね。夢みたいなものでしょう? だって、物語を夢中で読んでいる時って、現実でもどこでもない、架空の世界を見ている訳だし?」


 相も変わらずにっこりと笑う様子は、エイミーの疑心の満ちた視線に嬉しそうだ。


 このころになって漸く、彼の言葉を一言一句気にしていては、こちらが気疲れしてしまうのだという事に気がつく。だが、指摘をしてやめる様に言ったところで、彼が言動を改める事もしないだろう。


 エイミーは、いつまでも人で遊んで楽しそうにしている姿に、じとりとした視線を彼に向けた。

 そこで、その手にしていた本に気が付く。つい先程破壊された筈の、朱色の表紙の小さな本は、何事もなかったかのようにトーキィの手に握られていた。


「これは、後でゆっくり楽しむね?」


 彼女の視線に気が付いて、ひらひらとそれを振る。刹那、ふっとコマ落ちしたかのように、本だけが消えた。


「あ……」


 待ってほしい、とは、エイミーは言えなかった。


 そもそも待ってもらったところで、何を言いたいわけでもない。ただ、彼女の中で、あまりにも違和感がなさ過ぎた。


 女から男に。そして男から女に。

 身体も考え方も確かに変わっていた筈だと言うのに、違和感がまるでなかった。


 そのせいで、本当に一時でも、魔法にかけられたように自分が男として生きようとしていたのかさえ、疑いたくなっただけだった。


 ただ、自分の何かが失われてしまったような、それでいて、何が失われたのか解らない微妙な気持ちに眉を顰める。



 そんな彼女に、トーキィは何を思ったのだろう。くすっと笑うと、お道化て肩を竦めた。


「エイミー、君が気にすることではない筈だろう? だって、君の中にはエイリオとして生活したわずかな時間もちゃんとある。そうだろう?」

「……ええ。だから、不思議なんだよ」

「何がだろう?」


 確実に彼は、エイミーの言いたい事を理解した上でシラを切っている。そうとしか思えないくらいに、トーキィの表情は雄弁だった。

 だからこそ、エイミーの疑問もつのる。


「ねえ、トーキィ。貴方は一体、私の何を回収したのだろう? って」

「さあ? なんだろう? タイトルには、エイリオの名前があったね」


 返答は、案の定だった。まるで煙に撒くような物言いに眉を顰めていると、彼はころころと笑った。


「でも君が『有りえない、それは違うって言うなら』違うのかもね?」

「私が何を疑問に思おうが、貴方の知った事ではないって?」

「さあねえ。そうなのかも? どっちがいい? 君が決めて?」


 自分には関係ない事だからと一点張りではぐらかす姿に、エイミーは辟易する。



 だが、謎かけを出すいたずら者と、頓智に頭を悩ませる回答者のような雰囲気だったのは、ここまでだった。


「後は下がれ、エイミー・ルフロッテ。これ以上は、時間の無駄だ」


 すっとエイミーの隣に立った姿が、低く告げた。その表情は険しく、相手を視線で射殺そうとするかのようだ。


「被害者の回収を確認。これよりリベロニアの名において、ミラージュを駆逐する」

「嫌だねえ、堅苦しいったら。エイミーもそう思わない?」


 面白味の欠片もないと言わんばかりに唇をゆがめ、うえっとわざとらしく呻く。


 だが、まるで効果が無ければ反応もないと解るや否や、はあと深く溜め息を零した。

 次の時には、真面目腐って、フラムを見据えた。

 

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