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19-1.決意と

 

 扉は軋む。もう長い事動く事を忘れていた蝶番は、ぎくしゃくとしていて引くのも一苦労だった。


 扉を開けた途端、むわっとかび臭い匂いが立ち上がった。人の出入りが無いために埃っぽい。久しく入れ替えられていない空気は淀んでいる。



 石畳の隙間から覗く土には水気が多いらしく、壁や天井の陽が当たるところでは苔むしていた。


 天井から夕陽の差し込む明り取りが無ければ、きっとここは真っ暗になるのだろう。あまりのんびりしていられないなと感じながら、エイリオはぐるりとエントランスを見回した。



 エントランスは、先程の幻で見たものとほとんど同じだった。切れたメニエルの手綱や、彼が暴れた時に散らかした桶などは散らかったままになっている。

 思い出して扉を振り返ったら、くっきりと蹄の後が残されていた。


 思わず呆れて、唇を引き結び、片眉を吊った。これでは扉を開けた者が間違いなく不審に思うだろうに、何も隠した様子がない事が不思議でならない。


「余程、あの鍵を信頼していたんだねえ」


 口にしてから、確かに十分には違いないと納得する。

 これまでずっと閉ざされていた塔は、文字通り誰も用が無くて、閉ざされていても困らなかったのだろうから。



 やがてエントランスの一角に、一度石畳を掘り起こして、無理やり戻したような跡を見つけた。そこは、父の愛馬が教えてくれた記憶の中にもあった場所に相違ない。


 急いでそちらに向かおうとして、ぐっと踏みとどまった。


「父さん、母さん。すぐに連れ出してあげられなくてごめんね。でも、あいつら捕まえる為には、どうしてもここを下手に荒らすわけにいかないんだ」


 代わりに必ず、目に物を見せてやるから。決意を滾らせて、エイリオは螺旋階段に向かった。

 たった一つの足音だけが、こつりこつりと響いている。目指すのは、屋上だ。



 エイリオは粛々と螺旋階段を登った。その間も、渦巻いた気持ちが足早に脳裏で自問自答を繰り返す。


 母は、出ていった訳ではなかった。


 あまりにも言う事を聞かない自分を見限って、捨てる為に商人と共に家を出たものだとばかり思っていた。

 だからこそ、もう一度母とあいまみえる事が出来たなら、きちんと向き合おうと心に決めていた。自分で決めた道を、必死に極めようとしていた。


 父は、行方不明になっている訳ではなかった。


 行商の渡し役として出ていったきり戻ってこなかった父は、同じ渡し役の人達の捜索で見つからなかった事から、もともとどこかで命を落としたものだと思っていた。


 しかし、当時は生きている確証も、死んでいる確証も何もない。渡し役の仲間たちの好意によって建てられた父の空の墓は、彼女を気の毒に思ったからだと聞いている。

 だからこそ、どれだけの時間が経っていても、確かなものが見つかるまで、彼女は諦めないつもりでいた。



 だが、結果は全て、惨敗と言っていい。

 どれだけ街の外に出て、二人の足取りを探しても、解る筈がなかった。ずっとここに二人はいたのだと思うと、自嘲せずにはいられない。


 女として功績を立ててみせると息巻いていた自分が、滑稽に思えて仕方がなかった。


「でも、まあ……」


 くすっと笑いながら、足を止める。つい先程、一度足を踏み入れた筈の場所は、やはり長い事誰も入った事がないと言わんばかりに、埃臭いにおいを放っていた。



 かつて父が閉じ込められていた部屋は、くつろぐための部屋だった。

 今となってはもぬけの殻で、家財道具はあの商人たちが持ち出したのではないだろうかと当たりをつける。壁際の趣味の悪い拘束具の名残を見つけて、眉を顰めた。


「ここで二週間、か」


 何気なく、父が横たわっていた場所に立ってみる。

 暖炉の側にいたのは、少しでも脱出を試みた名残なのだろうか。あるいは、難しいと解っていても、雨水を得ようとしたのか。

 みっともなかろうが何だろうが、それだけ父も必死だったのだろうと思わずにはいられない。


 もちろん、だからと言って何がある訳でもない。ただ、よくもこんなことが出来たものだと、静かな怒りがこみあげてくるばかりだ。


 許すわけにはいかない。

 やらなくてはいけない。


 沢山の成すべき事を頭の中に並べて、やがて、今一番にすべき事として、母の顔が浮かんだ。

 自分が最後に見た姿と変わらない、母の顔。もう、年老いた姿を見ることも叶わなくなってしまったと思うと、遣る瀬無い。



「男だったら、なんて。思う必要がなかったんだね、母さん」



 ぐっと息を詰まらせたのは、そうしなければ涙が出そうだったからだ。


 堪えるように、乾かすように、宙を見上げて深く溜め息をつく。じっとしているとまた、動く気持ちが折れてしまいそうな気がした。

 急ぎ、足を動かす。



 目指すのは、かつてこの塔に自由に出入りしていた時、一番のお気に入りだった場所だ。


 入り口と対角線上にある、もう一つの扉に入って行く。

 もう一つの、螺旋階段が姿を現した。微かに砂埃が舞い上がり、こちらも長い事使われていない事がすぐに解る。


 階段の明り取りがなくなり、螺旋階段が薄暗くなる。

 それでも一定のリズムで登り続ける事で、明かりには困らなかった。


 螺旋階段はやがて、一回り小さい扉の形に、光を零しながら終着した。

 扉を押すと、鍵はかかっていない。しかし、外で吹く風に押されているのか、普通よりも重たかった。


 それでもゆっくりと、扉を開く。こちらも久しぶりに扉の役目を果たせることが嬉しいのか、ぎいぎいと音を立てていた。


 途端、さっと眩いほどの朱色が階段に差し込んで、思わず目を細める。



 エイリオの身長よりも頭一つ低い扉をくぐるようにして抜けると、そこに先客の姿はあった。


 闇夜のような頭髪は、ここらではまず見かけない。どこからか流れて来たと想像するには容易い。


 もしかしたら、これを手掛かりにすれば、『彼ら』がやって来たという地方も見つかるのかもしれないなと、場違いにもそんな事を思った。異国情緒を感じさせる肌はもしかしたら、外海から流れて来たのかもしれない。



 呆然とその姿を眺めていたせいだろうか。

 あるいは相手が軋んだ扉に気が付いただけかもしれない。


 どちらにせよ、手すりに寄りかかってのんびりと読書を楽しんでいた姿は、この読書空間にやって来たものが何か知る為に、ゆっくりと顔を上げた。


 赤い瞳は、夕日よりも赤く見えた。その瞳が、エイリオを捕える。



 彼を拾った時は空ろな眼差しをしていたと言うのに、今ではらんらんと輝いて見える。その違いはなんだろうと、エイリオは首を傾げた。


 だがすぐに、そんな些細な事は気にならなくなる。


「やあ、トーキィ」


 先手をとって、エイリオは声をかけた。


「調子はどう?」


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