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18.のこされたもの

 

 落ちるように降りていった男たちは、怒号を上げた。


「くそっ、やられた!」

「追え! 街にだけは行かせるな! 厄介だぞ」

「待ちやがれぇ!」

「射殺しても?」

「待て、外で音を立てるのはマズい。引きずり倒して毒でも打っとけ。お前は後から来い」

「ああ」


 エイリオが後れを取りながらたどり着いたエントランスには、怯えた馬たちが隅で震えていた。

 恐らく、メニエルが派手に暴れたせいだろう。ただでさえ父に鍛え抜かれていた健脚は、弱っていたとしても、未だ周りの脅威になるほどの力を残していたようだ。


 辺りはエントランスにわずかばかり置かれていた、飼葉や水の桶が散乱していた。


 やはりと言うべきか、メニエルの姿はない。先程の嘶きが彼のものだったと、逃げ出したのがメニエルだと理解するのは容易かった。



 メニエルが居た筈の場所を一瞥すると、真新しい千切れた手綱の残り端が落ちていた。触れようとして、やめる。


「メニエル……!」


 もしかして、彼はずっと父と共にここに閉じ込められていたと言うのか。自分をここまで連れて来た、思い出が実現した幻みたいな存在の行動に、嫌な予感が重なってどきりとする。



 慌てて塔の外に出ると、彼は随分と出遅れてしまったことを知った。

 一つ目の丘陵を下ろうとしたところに、既に男たちの姿は有る。急いでそれを追いかけている筈だと言うのに、この距離がもどかしい。


 メニエルの走り方は、遠目から見てもおかしかった。まるで力の入らない足を、無理矢理前に進めて身体を支えている様な、今にも倒れて可笑しくない走り方だった。


 同時に気が付く。

 先程まで見ていた筈の、たくましい体つきをしていた父の愛馬は、限界までやせ細っていた事に。


 骨が浮き、節々が妙に筋張っている。あれ程美しかった黒毛はやつれ、彼までも光沢を失っていた。轡をされたためだろう。絶えず喉の奥で鳴く様は苦しそうで、見ていて胸が痛かった。


 大の大人が走って追いついてしまう程、速度も出せていない。けれど、その背中には必死さが滲んでいた。


 だから、知る。

 メニエルもまた、父サイアスと共に放置されていたという事に。


 本当は立って歩くことすらつらい筈だ。そんな体力は最早、父同様にやせ細ってしまった彼には残されていないだろう。


 しかし、それでも明確な使命を携えて、街を目指しているのだとすぐに解った。


 それはきっと、かつての自分に身の危険を知らせる為。

 あるいは父と母の存在を知らせる為。



 もしかしたら、せめて街の誰かに、父が可愛がっていた黒い馬だと見かけてもらうためかもしれない。ただ、彼が街の者に姿を見せることさえできれば、何かが変わるという事は明白だった。


「メニエル……!」


 だからだろう。男たちはあらんかぎりの力でメニエルを追いかける。


 千切れた手綱を捕まえ、制御しようと試みる。

 残った力で男たちを蹴り倒そうとするメニエルの頭を引いて、もつれるようにその場に転がしてしまった。ひっくり返ったメニエルは、それでも男たちを振り払い、あわよくば道連れにしてしまおうと身体を左右に揺する。


 しかし抵抗空しく、毒針を先端に仕込んだ杖を手に、遅れてやって来た男が合流する。どうにか暴れようとするメニエルの首筋に、深く突き立てた。


「っ……!」


 その一瞬だけ、目を反らしてしまう。直視する事は、とてもじゃないが難しかった。


 男たちの幻も、姿を消した。

 ゆっくりと動きを鈍らせ、苦しそうに身体を横たえたまま立ち上がれなくなった姿に、居ても経っても居られなくなる。



 間に合わない事は解っている。もはや過ぎ去った事でしかない。今更自分が駆けつけたところで、意味はまるでないという事も解っている。


 それでも、少しでも自分に真実を見せてくれた彼に報いたくて、必死に丘陵を下った。



 漸くたどり着いた時には、もうメニエルは立ち上がる力もないようだった。

 足にしびれが出ているらしく、微かに震えていた。浮き上がったあばらが、苦しそうに膨らんでは萎む。緩やかに体力を奪われているだろうに、エイリオの存在に気が付いてこちらをまっすぐに見据えていた。


 そっと、その頭の脇に膝をつく。


「メニエル……」


 呼びかけると、応えようとしているのが解った。

 どうしようもない気持ちに、エイリオは言葉を失って唇を噛んだ。眉間に皺を深く刻み、一つ大きく深呼吸した後、もう一度ここまで自分を導いてくれた、父の愛馬を見た。


「ありがとう、メニエル。お前のお蔭で、私は本当の事を知る事が出来た。本当にありがとう。そして……おやすみ」


 エイリオの言葉に、メニエルはゆっくりと目を閉じた。カサついたあばらの動きも段々と弱々しくなる。やがて、静かに息を引き取った。


 労わるように、首筋に手を伸ばす。けれど、やはり水で固めた砂の様に、あっという間に崩れて消えた。



 一瞬だけ。本当に一瞬だけ触れた気がする彼の毛並は、生きていた微かなぬくもりと、乾ききって、がさがさになった肌だった。


 さざ波が立つ心を宥めようと、メニエルが消えた場所に目を落とす。その地面に、掘り返した跡を見つけてハッとした。


 そこからわずかに覗く白いものに、慌てて土を掘り起こす。出て来たのは、彼の骨らしき頭骨だった。


「ああ……メニエル。君も返ろう。必ず」


 溜め息が、零れる。

 そうしなければ、言葉に出来ない思いを、言葉にすることもせずに叫んで、わめいてしまいそうだった。

 自分の無力を、ただ当たり散らしてしまいたかった。



 一重にそうしなかったのは、喚いた事で何も解決何てしないと、わずかばかり残った理性がそうさせた。否、誰かさんだったらそう言うだろうと、こんな時に仏頂面を思い出す。


 空を焼き尽くしそうな程真っ赤な空が、かつてひっそりと起きた出来事を嘆いているかのようだ。その景色に、エイリオの心も決まる。



 メニエルの頭骨をそっと置くと、片付けるべきものを成そうと、塔をもう一度振り返った。


 嘆いている場合ではない。何が最良なのか考えろ。


「後悔も、懺悔も、今はする時じゃない。今は……」


 自分に強く言い聞かせて、今すぐ泣きじゃくりたい思いを殺す。その表情に、憂いも迷いも浮かんでいなかった。

 ただ真っ直ぐに、飛び出してきた塔に向かう。



 すぐに見えてきた塔の麓に止まる、紫電石車に気が付いた。


「戻って来た、のか?」


 自然と口にした言葉が、エイリオ自身口にして可笑しかった。何処から何処にと説明は出来ないものの、確かに『戻って来た』という感覚だけがある。それが堪らなく不思議だった。


 紫電石車の持ち主の姿は、相も変わらず見当たらない。しかし、あの小憎たらしい男の存在が、どうも心強かった。


「一体どこをふらついているんだか。あの迷子は」


 呆れて苦笑してしまえるくらい、気持ちに余裕も出て来た。今ならば、どんな敵も悲しさも、怖くない気がしてならない。



 目指すのは、頑丈に施錠されている塔の入り口だ。最近は内部を全く改められていないのか、すっかり錠はさび付いていた。


「そりゃ、特別用もない塔に鍵がかけられたって、誰も気が付いてくれないよね」


 一人苦笑する。果たしてこれをどうしたものかと逡巡しながら、錆び切った錠前を手に取った。途端、触れると鉄の錠が、夢の中と同じく砂となって崩れてしまった。


 驚いて、息を呑む。


「いや……まだ、私は夢の中にいるのかな」


 言葉にしてから、それはその通りかもしれないなと納得した。そうでなければ、自分の存在までも説明が付かなくなる。



 夢みたいな事実が、またたまらなく可笑しかった。

 皮肉っぽく唇の端に笑みが浮かぶ。


 いっそ、たしなめる言葉がいちいち嫌味っぽい男が隣に居てくれたら、もっと何か言われただろうに。そう思うと、残念で仕方なく思えた。


「でもきっと、これは私が決着をつけなければならない事なんだろうね。……そうだろう、フラム?」


 居ないものを、当てにしても仕方がない。そう割り切ると、錠の失せた木の扉を思い切って開けた。

 

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