16-3
母を連れた流れの行商人たちは、人目を避けているらしい。人通りの薄い道を選び、早々に街を出た。
まさか何の装備もなく、徒歩で一番近い街を目指すつもりなのかと、ついつい訝しんでしまう。だが、完全に人目がないと解った時点で、彼らは進路を変えた。
行商人達にエイリオが見えていないお陰もあるだろう。そうでなければ、メニエルが距離を開けていても、行商人達は後をつける怪しい馬に警戒し続けていた事だろう。
「この道は……」
すぐに、目的地に気がつく。
分厚い雲を引き連れて来たかのような、街の外れの塔に他ならない。
何故こんな所に母共々商人達が向かうのか。エイリオは怪訝に眉を顰めた。
その答えも、大人しくついて行けば解る事だと自分をどうにか宥める。待て、落ち着けと、何度も何度も呟いた。
ふと思い出して、街の向こうに目を向けた。
丘陵の先に見えるのは、いつも自分が街から塔へと向かうために使っていた道だ。
そこに、とぼとぼと歩く小さな姿と、その後ろを隠れる事もなくついて行く姿を見つけて、あっと声を漏らす。
メニエルが向かう先に目を向けば、一言として会話もない大人たちが歩いていて、遥か後方を振り返ると、丘陵の麓に子供たちの姿がある。
この距離感を思うと、何だか悲しく思えた。
同時に気が付く。当時、何故馴染みの彼の母が困った顔をしていたのかという事を。
自分を置いて行く為に、これほど早く行動した母を思うと、悲しさが鼻の奥を突いてくる気がした。もし、あの時無理やりにでも塔まで来て、母と顔を合わせていたら、と。出来もしない絵空事を思わずにはいられない。
すぐに首を振って、センチメンタルになりそうな気持ちを追い払う。今は、メニエルが見せたいとしているものの全貌を、この目で確かめてやろうという気概一つだ。
もう一度だけ振り返ると、小さな二つの姿は街へと戻っていく。
あの時の鬼門がここにあったのだと、あそこにいる彼女が知ったら、どう思うだろう。
エイリオはもう一度塔を見上げると、だんだんと日の暮れ行く空に聳える塔が、不穏な空気を纏っている様に見えた。
やがて塔の麓にたどり着くと、先行していた母親と行商人は、塔へと入って行った。
遅れて塔の麓にやって来たエイリオは、あるはずのものを探して辺りを見回す。しかし、確かに塔の近くに止めた筈の、フラムの紫電石車が見当たらなかった。
「ここも、彼女の記憶が影響しているって言うのか……? でも、それなら私だって……」
心当たりくらいあるのではないか。口にしようとして、やめた。
疑問は尽きない。
どうにか推測を立てようにも、メニエルはそれを遮るように歩みを進めた。エイリオが戸惑っている間に、塔の内部へと入り込んでしまう。かぱん、かぱんと石造りに蹄の音がやけに響いた。
塔の内部は、湿った土と微かに腐敗した匂いが鼻につく。長年扉が閉ざされていたせいなのか、人工物であるにも関わらず、洞窟と家畜小屋を足して二で割ったような香りがした。
よく見ると、あちらこちらに開けられた明り取りから、光が届きにくい場所の石畳が外されている。洞窟のような匂いは、湿った土が原因のようだ。
塔のエントランスには、馬の先客が居た。
普段であれば外の厩につなげばいい筈だと言うのに、まるで外からの目を凌ぐかのように、三頭ほど行儀とく並んでいた。
皆、こちらを気にした素振りもない。恐らく母親と同行した行商人たちは、随分と注意深い人物なのだろう。自分たちの移動手段である馬さえも、人目につかせないために塔に招いているのだと見た。
その証拠に、三頭の馬の側には裏の厩から持ち込んだと思われる飼葉や水桶が置かれている。徹底した痕跡の隠滅に舌を巻く思いだ。
エントランスの天井は高く、街の建物の二階に相当する高さまで吹き抜けている。
明り取りの窓からは、どことなく冷たい風が隙間風となってか細い音を立てていた。その音が、妙に不気味さを助長している。
塔の入り口あたりに飾り気なんて物はない。唯一エントランスの最奥に、上層へと続く階段があるくらいだ。塔の角に立てられている、尖塔の螺旋階段だ。
エイリオは暫し戸惑ったが、メニエルが今度こそ降りろと言わんばかりに目で訴えてくる。この先に、自分行けない事がよく解っているみたいだった。
「私が見るべきは、この先にあるって言うんだね?」
尋ねれば、小さく鳴き返して肯定される。
賢い父の愛馬には、頭が下がるばかりだった。すっかり強張った身体にぎくしゃくしながら、メニエルの背中から危なっかしく降りる。
感謝も兼ねてたくましい首と鬣を撫でてやったら、心地よさそうにしていた。
だが、何かを思い出したかの様に、メニエルはふいと頭を下げた。つぶらな視線は、地面に落ちた何かを見つめている。
「ん?」
一体何だろうと手に取ると、それは千切れた手綱らしきものだった。
「これは……メニエル、君の……? いや、古い?」
触ってみて、つい先ほどまで手にしていた感触に似ている事に気が付く。しかし、何かこすりつけて無理やり千切ったような跡が、年季の入ったそれには不自然だった。
「もしかしてこれは、かつての君の手綱だったなんて事……」
自分で口にしてみて、流石に有りえないだろうと自分で首を振って否定した。
「いや、まさか。君がここに居るなんて、そしたら父は――――」
父親が行方不明になって、仲間が探していた時は、メニエルがここに居たのか。
そんな馬鹿なと思いつつも、じっとこちらを伺う真っ直ぐな目は否定している様に見えない。むしろ、エイリオの推測が正解だと言わんばかりに、嬉しそうに尾で尻を叩いていた。
どういう事だとメニエルを伺った、その時だった。
「なんて事を! しっかりして、貴方!」
母の叫び声が、塔に響いた。




