16-1.幻影との再会
エイリオ自身、よもやかつての家を再び目にする事なんて、有り得ないだろうと思っていた。
「っ……はは」
だからだろう。思わず乾いた笑みが溢れる。
夢と現実の境界に、起こり得ない事などないのだと再認識する。
やはりと言うべきか、探していた仏頂面の姿はない。仕方なしに辺りを見回して、父の愛馬がここに連れて来た意図を探ろうと見回した。
「ここに何があるって言うんだ? メニエル」
尋ねるが、小さく喉の奥で返されただけだった。ぶるっと微かに首を振って、まるでそこで黙って見ていろと言わんばかりだ。
そっけない青毛の馬に困って、ひょいと肩を竦めた。
大人しく、メニエルが見せたいものを待つほかにない。
その時だ。通りの向こうからとぼとぼと歩いてくる、子供の姿に気が付いた。
ブロンドの髪を後ろでひとつにくくり、生成りの生地の外套を羽織る少女の姿だ。
何かを堪えるように顔をくしゃくしゃにして、地面を睨んでいる。時折、袖でごしごしとこすって目元を赤くしているから、泣くのを必死に堪えているのだろう。
一度ぴたりと足を止めると、にいっと無理矢理笑顔を作って駆けだした。メニエルの横を駆け抜けて、先に見えた家へと元気に帰っていく。
「お母さん、ただいまー!」
涙に上ずりそうになりながらも、いつもの溌剌さを振るまっているつもりらしい。しかしその声は、傍から聞いていれば何ともお粗末な演技だった。
ここまで聞こえて来た声に、嗚呼と嘆息してしまう。
同時にエイリオは理解した。自分が立っている今この場所が、あの一番苦い日なのだと知る。
「メニエル……君が見せたいものって、未熟な私の姿かい? それとも……」
確かに今なら、母が叱りたかった気持ちも解る。
馬鹿にされた事が悔しかったからとはいえ、力で対抗しようとするべきではなかった。
こうして改めて突きつけられると、自分が当時、もう少し聞き分けの言い子供だったら、何かが変わったのかもしれないと、苦笑せざるを得ない。
「おっと……」
しかし、メニエルは小ばかにしてひんっと笑っただけだった。
過去は過去。黙ってみていろと言わんばかりに、首を家の方に振って地団太を一つ踏んだ。
ただでさえ危なっかしく座っていたエイリオは、あわやバランスを崩しそうになって姿勢を正した。
恨めしく伺うと、メニエルは素知らぬ顔で澄ましている。溜め息が、自然とこぼれた。
何を待てと言うんだと思っている間に、状況は変わる。かつての自宅の方で、子供の癇癪が聞こえた。
「っ……! わたし悪くないもん! 向こうがバカにしてくるから、バカにされる覚えないって教えただけだもん! 母さんのばか! もう知らない!」
「あっ、待ちなさい!」
ガンッと扉は乱雑に開け放たれた。
同時に先程横切ったばかりの少女が飛び出して来る。
音に驚いたのは、何もエイリオだけではない。僅かばかりの往来の人も、何事かと振り返っていた。
その間に、外套を羽織った姿は駆け抜ける。思わず目に留まった少女表情は、悲痛に歪んでいた。
追いかけるべきかと思い手綱を引くが、メニエルは動こうとしない。仕方なく降りようと足に力を入れたら、余計な事はするなと言わんばかりに、わざと身体を揺すられた。
「おい、メニエル……!」
慌ててしがみついたら、メニエルは満足そうに鼻を鳴らした。
馬に主導権を握られている自分が何だか情けない。しかし、メニエルがこんな所でどうして欲しいのかがいま一つ解らなくて、どうするべきかとエイリオは途方に暮れた。
遅れて家から出て来た、母の姿に息を呑む。
出て来た姿は、エイリオの記憶の中の母の像と変わりなかった。
当たり前と言えばその通りだ。彼にとっての実母の記憶は、これが最後になるのだから。
出来る事ならば、母の元に駆けつけたい。
抱き締めて、自分が間違っていた事を謝りたい。
そしてどうか、出ていく事を待ってあげて欲しいと訴えたかった。
だがそうしたくとも、メニエルが許さない。降りようとする度、向かおうとする度に、身体を揺すって威嚇してくる始末だった。厳しい表情を浮かべて当たりを見回していた母は、肩を落として家の扉を閉ざしていた。
そもそも、エイリオ達の姿は、他の人々に彼らの事は認知出来ていないのかもそれない。そうでなければ、街の誰もが知る黒毛の馬に股がる見知らぬ男に、咎めるものがいないのも可笑しい。
困った馬だ、と、エイリオは肩を落とした。
通りの向こうに消えた少女の姿を探して、ぐるりと視線を投げる。その時、向こうからやってくる三人ばかりの旅装束に目が止まった。




