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14-1.小さな花の根は切られ

 

「自分ちだと思ってくつろげばいいから」

「……ありがと」


 その家は、一時的に街に立ち寄る行商人の為に用意された内の、一棟である。


 少年の家族は他所の街で仕入れたものをこの街で売り、稼いだ金でまた物を仕入れる暮らしをしていた。彼の家族が訪れるのは、決まって今の時期である。

 広い土地と綺麗な水が作り出す、酪農の産物を今は仕入れているのだと少年は言う。


 少年の家で、少女は温かく迎えられた。

 特に少年の母親は喜んだ。貴女みたいな可愛い娘が居たらっていつも思うのよ、と。少年は少し不貞腐れた様子でいたが、少女が居てくれる事に満更でもないらしい。



 少女は快く迎えてくれた少年の家族の存在に心強く思う反面、自分の母親の事を思うと憂鬱な気分になった。


 そんな少女の気持ちを察したのだろうか。彼女を迎え入れた彼の母親は、早々にどこかに出かけて行った。

 出掛けたまましばらく戻ってこなかったものの、陽が暮れた頃になって、彼の母親は安心させるように笑った。


 明日、一緒にお母さんのところに行きましょう。同じことを母親に言われた時には、行きたくないと突っぱねた彼女も、素直に頷くことが出来た。

 そして、日は明ける。



 どれほど気持ちが落ち込んでいても、明けない夜はないのだ。

 まだ市場も始まったばかりの朝の時間に、少女は少年に見送られた。


「怒られるのがこわいの?」


 彼の家を出る直前に、少年はくすりと笑った。揶揄われているような気がして、少女はむっとする。


「おばさんと一緒だから、怖くないもん」

「いじっぱり」

「うるさい」


 べっと舌を突き出すと、少年の母と手をつないだ。微笑ましそうに彼女達を見る彼の母は、少しだけ困ったように眉を落とす。


 行きましょうと促がされて、少女は岐路についた。

 生憎、さわやかな一日の幕開けとはいかないらしい。曇り空は、どことなく重々しく見えた。少女にはそれが、自分の気持ちみたいだと感じた。


 それでも見送ってくれる彼の母親に余計な気を使って欲しくなくて、精一杯明るい笑顔を取り繕った。


 きっと、彼の母親が帰れば、こんこんと怒られてしまうだろう。それでも、昨日よりかは落ち着いて聞いていられるのではないだろうか。怒られたら、昨日よりかは素直に謝れるだろうか。


 我が家の屋根が見えてくるにつれて、不安がつのる。しかし、帰らないという選択肢は、もう彼女の中に無かった。

 悔しいながらも、気を効かせてくれた少年の存在は大きい。



 ドキドキしながら扉の前に立つ。家の中はしん、としていて、少し緊張感が増した。


 思わず隣を見上げると、励ますみたいに背中をとんとんと優しく叩かれる。ごくっと固唾をのんで喉を潤すと、思い切って息を吸った。


「ただいま、母さん!」


 扉を開けると同時に、そう所は畳みかけるように告げた。そうしないと、言おうと心に決めた思いもくじけてしまいそうだったからだ。

 しかし。


「昨日はごめんな――――」


 そこまで言いかけて、あれと首を傾げた。


「さ、い……?」


 ぐるりと部屋の中を伺って、きょとんとする。え? と、思わず口を突いた声は、がらんとした部屋の中に消えていった。


「え……?」


 状況が理解できなくて、呆然とした。


 彼女の様子から異変に気が付いたのだろう。扉の向こうで母親との和解を待っていた彼の母も、そっと扉から部屋を覗いて息を呑んだ。



 その部屋は、まるで誰かが暴れた後の様に荒れていた。

 割れ物は床に叩きつけられ、壁際に花瓶と共にあった小さなテーブルは叩き折られていた。


 いつもならば玄関からすぐに、家族三人で囲めるどっしりとしたテーブルがある筈なのに、何故かそれはなくなっていた。


 少女が慌てて、母がいつも立つ台所へと駆け込むが、やはり探している姿はない。もぬけの殻だ。

 いつも整然としている筈なのに、中はどこも荒れている。大きな家財道具は失せていた。



 ふらふらとした足取りで奥へと向かおうとしたら、かちゃと陶器の触れる音が足元から聞こえた。

 のろのろと視線を落とすと、白地にピンクと水色の水玉模様の描かれたマグカップが割れていた。見間違えるはずがない。それは、渡し役の父が少女への土産にと買ってくれたものだ。


「……どうして?」


 いつも母が居た場所に問いかけても、答えはない。


「なんで?」


 かたりと音がして振り返ると、心配そうな少年の母が伺っていた。だが、見合ったのは一瞬で、彼女が無理に笑おうとしたのを見て、少年の母が動いていた。


 抱きしめられた拍子に、ぽろりと少女の頬を涙が伝った。


「お母さんは、わたしが悪い子だから……いなくなったの?」


 彼女の頭を自分の胸に押しつける少年の母親は、ゆるく首を振る。言葉はない。たったそれだけに過ぎなかったが、堪えようとした彼女の気持ちが堰切るには十分だった。


 ひとつ、ふたつ、視界を滲ませていた大粒の涙は、次から次へとあふれ出る。


「う、あ……ァ! アッ……!」


 唇を噛みしめて嗚咽を堪えようとするも、少女に抑える術はない。

 きっと、彼の母親に彼女の気持ちは解らない。それでも、わんわんと泣く彼女を突き放そうとはしなかった。


「おがあ、さんは! あだじ……あ、おどうさ、あ……!」

「……貴女は悪くないわ、悪くない。自分を責めないで」


 とんとんと、少年の母は緩やかに背中を叩く。


「帰りましょう。大丈夫」


 幾度となく大丈夫だから、悪くないよと囁かれ、少女は縋る様に抱き着いた。

 香る匂いは母のものとは違う。それでも、今は他によりどころに出来るものがなかった。

 

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