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11-2


 住居区を抜けて再び小道を足早に抜ける。幸いな事に、先程昔話に花を咲かせたご婦人たちに、もう一度捕まる事はなかった。


 どうにも少女は先を急いでいるようで、声をかけても振り返る事すらなかった。角を曲がられて、見失う前に追いつこうと思い、速度を上げる。


「あれっ? おかしいな……」


 けれど、覗き込んだ先の広場には、彼女の姿はなかった。

 見通しのいい場所で、即座にどこかに隠れるにも、隠れる場所はない。強いて言うならば、どこかの店に入ったくらいだろうか。


 軽く息を弾ませているエイリオを、通りかかった老婦人が不審そうに見ている。


 愛想笑いを浮かべようとして、ハッとした。

 もしかしたら追いかけられている事に気が付いた上で、先程街の外で声をかけて来た不審な男を警戒して、逃げているのかもしれない。その考えに至ると、バツが悪くて頬をかいた。


 気になると言っても、先の会話の延長程度だ。何事もないならそれでいいか、と気を取り直す。


「……フラム?」


 はたと気が付き、後ろにいた筈の姿を探す。

 きょろきょろと伺うが、どうやら彼女の背中を追いかけるのに夢中になりすぎて、振り切ってしまったらしい。


「流石にマズかったかな」


 思わず自嘲してしまいながら、広場に来たついでに、あたりにぐるりと目を向ける。先程の露店のオリヴは席を外しているらしい。焼き菓子のお礼がしたかったなと、残念に思いながら踵を返した。


 きっとどこかでフラムに会えるだろうと踏んで、元来た道を丁寧に辿った。或いは、はぐれた事が解れば、元の場所に居るだろうと当たりを付けての事だった。



 流石に土地勘もなしにうろつかないと、高を括っていた。しかし、本当に彼が追いかけてくれていたのかと疑いたくなるほど、見かける事がなかった。


 途中、街の入り口で見かけた男性を見つけ、声をかけたものの、フラムの姿は見かけていないと言われてしまう。


 こんな時程、噂好きのご婦人たちの力を借りられればと、彼女たちと話した場所を通りかかる度に思う。しかし、そんな姿もとんと見かけなくなってしまっては、すっかりお手上げだった。


 風が吹いた拍子に、彼女たちのいた場所で巻き上がる砂埃が、無情感を煽って来る。



 間もなく自宅跡まで戻ろうと言うのに、フラムが見つからない。どこで振り切ってしまったのだろうと、内心で歯噛みしていた。


 そのせいだろう。少なからず、エイリオは自分に気を取られていた。故に、向こうから足早にやってくる姿に気が付かなかった。


 足元に落してしまっていた視界に、ふっと影が落ちた。反射で身を躱したが、急ぎ足の向こうも避けきれなかったようだ。


「あっ」


 相手から、小さな悲鳴が上がる。あちらも気が付いていなかったのか、肩が触れてしまっていた。気がついた時にはもう、遅かった。勢いに負けた相手が、バランスを崩していた。


 それに気が付いて、エイリオは咄嗟に腕を捕まえ、身体を支える。


「……と、失礼」


 ぼうっとしていてはいけないなと、自らの失態に眉尻を落として苦笑した。

 刹那。エイリオは顔を上げて、凍りついた。


「やあねぇ、あたしったら。こちらこ……」


 身を固くしたのは何も、彼だけではない。

 互いの時間が、止まる。


 はく、と唇を震わせて、彼女は驚愕に目を見開いていた。



 後ろで一束にまとめられた、白髪混じりの亜麻色の髪はありふれている。しかし翡翠の瞳は、間違いなくエイリオと同じものだ。

 目尻の下にはうっすらとくまが浮かび、張りの無い頬のせいか、一層疲れて見える。


 驚きのあまりに手を離してしまったエイリオとは裏腹に、彼女はすがる様にしがみついてきた。


「エイ、リオ……? エイリオなの?!」


 確かめるような問いかけは、はじめだけ。

 すぐに確信を得たように目を見開いた婦人は、感極まった様子で、漏れ出る嗚咽に口元を押さえた。


 そんな彼女の様子に押されるようにして、エイリオはやっと我に返った。


「かあさん……」


 絞り出した声は震え、余りにも弱々しかった。脳裏をちらついたかつての記憶に、気持ちが焦る。


「何故……ここに? そんな、こんなところに貴女が居る、なんて……!」


 エイリオは逃げるように後退った。しかし動揺したせいか、あるいは裾を掴まれ、すがりつく手に握られたせいか、振り払う事がどうにも出来なかった。


「ああっ! エイリオ、ずっと心配していたのよ?!」

「それは――――」


 混乱しつつも咄嗟に否定しようとして、無駄に終わる。叱るように「全くもう! 仕方ない子ね!」 とたしなめられて、無意識に身体が強張った。


「貴方があの日急に飛び出したまま帰らないから、母さん心配で心配で! 手紙一つ寄越さないんだから! この、薄情者っ」

「違っ! いや、そうじゃなくて!」


 振り上げられた手に怯む。


「やめっ……貴女は、()()?!」


 だが慌てて、叩かれないように捕まらないように、腕を振って逃げ出した。同時に声を荒げた途端、目の前の表情は傷ついたと言うように見開かれる。


「え……?」


 ふらふらと、危なっかしい足取りで倒れてこられては、支えない訳にいかなかった。


「今、何て? 何を言ってるの? エイリオ、母さんが解らないって言うの?」


 ぎゅうと万力の如く握りしめられて、エイリオは息を飲んだ。それがエイリオの言動を兎に角責めているような気がして、堪らない気持ちになる。


 だが、エイリオは彼女の攻め立てる言葉に、素直に謝罪する訳にもいかなかった。


「何を、って……? だって、あの日……出ていったのは、貴女の方じゃないか」


 絞り出した声に、目の前の姿は目を見開くと、烈火の如く怒鳴った。


「何を馬鹿なことを! 母さんが貴方を置いてどこに行くって言うのよ! ……だって、私たち、たった二人の家族じゃない! ねえ、エイリオ。落ち着いて、思い出して」


 かと思えば、宥めるような声と共に、エイリオの頬をそっと撫でた。


 変わり身早く、壊れ物のように触れてくる手に、何よりも吐き気を覚えた。あまりの気持ち悪さに、エイリオはどうにか身を捻って手を離させた。


 一歩、二歩と、危なっかしく下がる彼に、女性はそれでも彼を捕らえようと腕を伸ばす。しかし。


「っ……触るな。私の家族は父だけだ!」


 エイリオはきっぱりと跳ね退けると、二歩三歩と急いで距離を取った。


「それに」


 続けようとして、息が上がる。

 背中に滲む脂汗を感じた。


 たった一言突きつけるだけなのに、彼にとっては何よりも苦痛に思えた。


 喉の奥から堰切るままに息を強く吐くと、目の前の姿を睨みつける。


「……貴女が『私』を、知るはず、ない!」

「なんて口の利き方を、エイリオ!」


 追いかけて来る姿が恐ろしくて、背中を向ける。


「っ、待ちなさい! エイ――――」


 しかし、次の瞬間。

 まるで音を断ち切ったかのように途切れた。


 思わず後ろを振り返った。同時に、にわかに信じられない光景に、目を剥いた。


 彼女はまるで何かに躓いたようだった。しかし、膝をついた姿には、膝から下がなかった。

 言う事を聞かない子供に辟易とした眼差しと、拒絶された事への遣る瀬無さに眉を落とした表情が、こちらを見上げる。


 伸ばされた手は、それでも大切なものをその手にしようとしているかのようだった。


「あ……」


 思わず手を伸ばしかけたのは、どんなに身体が逃げ出したくても、心のどこかで燻っていた気持ちがあったからかもしれない。懸命に訴えようとする唇からは、既に彼女の声は聞くことは叶わなかった。


 手が、触れるか触れないかと言う刹那、我が子を求める姿は凍り付いて動きを止めた。

 色が褪せて、人肌の質感が失われる。

 まるでそこだけモノクロの世界に変わり果てたかのようだ。

 

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