9-1.螺旋の塔
丘陵地帯の中でも一番高い丘に、その塔は建っている。
一直線に続く道からずっと見えているその場所は、近づくと塔を隠すかのような植木がぽつりぽつりと姿を現していた。
道から逸れて、塔の側に紫電石車を寄せると、視界を遮っていた植木もなくなった。視界を占めるのは、穏やかな草原と雲を浮かべた青空、そしてそんな二つを繋ぐような塔があるだけだ。
しん、と辺りは静まり返り、人の気配はまるでない。
塔の窓ガラスは穏やかな空を映す一方で、中身を無くしたせいで、うつろな目を空に向けているようにも見える。
商人たちの目印に使われていたその塔も、長い間に本来の用途で使われなくなった事を憂いているのかもしれない。
魔除けの為のガーゴイルも、動く機会を得られないまま、すっかりさび付いたようだ。
「久しいよ……ここも。ちっとも変っていない」
発した声は、遮蔽物がないせいかすっと風に溶けて消える。
時は無情なくらい平坦に流れているのだと、自分の成長からしみじみ実感した。だと言うのに、塔は時が止まっているみたいに、今もなお、変わる事無く真っ直ぐに立ち続けているという事が不思議に思えた。
かつては父を待つ為でしかなかった場所も、すっかり懐かしいと思える。エイリオは思わず口角を上げていた。
「おい」
「うん?」
その隣で、フラムが小さく呼びかけた。つられてエイリオが振り返ると、何かが塔の物陰に引っ込む。
何だろうと見続けていたら、恐る恐るこちらを伺う小さな姿と目が合った。
慌てた姿が、向こうに逃げ出そうとしていた。
「あ、ねえ! 君! 待って!」
咄嗟にエイリオは呼び止めていた。
「私たちは君に危害を加えたい訳じゃないんだ」
かえって怪しく思われても仕方がないと考えながらも、じっと相手の反応を待った。
戸惑っていながらも、それでいてこちらが気になっているらしい。物陰の向こう側で、足を踏みかえているのが解った。
一人分の草を踏みしめる小さな音は、やがて心を決めたようだった。ひょっこりと、生成りのフードを目深にかぶった、小さな姿がこちらを覗く。
「お兄さんたち、外の人なの……?」
返って来た声は高く、幼い少女のものだとすぐに解った。
「そうだね、観光ってところかな」
怖がらせてしまわないように、エイリオは出来るだけ屈んだ。いつもよりずっと優しい口調のエイリオに、フラムは鼻を鳴らしていた。
肘打ちの一つでも返してやりたいと思いつつも、フラムのからかいには応じなかった。ただ、安心させるように笑いかける。
「君はここの子なのかな。何をしているの?」
まだ近づくのは怖いと思いつつも、初めて見かける客への興味が隠せないらしい。手にしていた木の棒を握りしめたまま、そろりと塔の影から身を乗り出した。
「うん、あのね。みんなと冒険してるのよ」
「みんなって……」
エイリオは辺りに気を配ってみたが、見える範囲に人の気配はまるでない。
思わず首を傾げてしまってから、はたと気が付いた。もじもじとつま先で地面を掘る姿に、それ以上の指摘は気の毒だ。
「ねえね! お兄さんたちは、どこから来たの?」
「私? 私はずっと向こうにある、大きな街からかな」
「ふうーん。わざわざ? こんなところに? へんなの」
「そうかな? これだけ綺麗な景色があったら見に来たくなるし、道の向こうから誰か来る様子を眺めるのは、わくわくしないかい?」
「……うん」
少女はしばらくそうしていたが、気まずさから視線を逃がすように、そっぽを向いた。
「そう言ってくれるとすごくうれしい。……けど、あのね、今は村の様子がおかしいの」
「おかしい? 何かあったの?」
「わかんない。……けど、変なの。でもね、ここはだれも居なくてちょうどよかったから、こうして用意してるのよ」
エイリオがフラムを振り返ると、ひょいと肩を竦められた。好きにしろと態度で言われ、エイリオも少し眉を寄せてしまう。
「私達で良ければ、村の様子見てこようか。君一人で行くのも不安だろう?」
「ううん、大丈夫。わたしがどうにかしなくちゃいけないの。だから、お兄さんたちには関係ないよ」
きっぱりとした拒絶にエイリオが眉尻を落として言い淀むと、少女は慌てて手を振った。
「本当に、大丈夫なの! わたしね、自分だけで出来るから」
自分だけで、どうにかしないといけないの。真っ直ぐに返された言葉に、何も言えなくなってしまう。
「それじゃあ、わたし行かないとだから。何もないところだけど、お兄さんたちはゆっくりしていって」
問答していても、彼女の抱える問題が片付くわけではないと、彼女自身気が付いたのだろう。ぺこりと頭を下げて、潜んでいた塔の影から駆けだした。
「ああ。君も気を付けてね!」
「うん!」
にこっとフードの影で笑った少女は、木の棒を握りしめて駆け出した。彼女が向かって行く先を伺うと、木立に隠されたずっと向こう側に、軒を連ねた屋根が見える。
懐かしい場所に思わず目を細めながら、そちらに向かう小さな背中を見送る。
思い出すのは、今となっては笑ってしまうような、かつてのほろ苦い記憶だ。塔にこっそりと登り、遠くをひたすらに伺っていた過去も、今では施錠されて入る事も難しい。
変わらないと思っていた場所も、少しずつ変化があるのだと、今更の様に気が付かされる。




