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「見かけない髪色だけど、貴方、旅行者か何か?」


 エイミーの問いかけに、闇夜の様な毛色の姿は小さく首を傾げる。先程まで寒さに白く凍えていた頬は、建物の温かさに微かに赤みを取り戻していた。


 その様子にホッとしながら、湯気を立てるミルクのマグカップを差し出した。


 伸ばされる手は強張っていて、それだけ彼が長い間外にいたのだと知らせるようだ。一緒に差し出したビスケットをちびりちびりと齧る様子は、幼い子供のようにも見える。



 何処か西からの流民なのか、南から連れて来られて脱走した労働民か。そのどちらかだとしたら厄介だなあと思いつつも、彼女はあくまで職務を全うしようとした。


「貴方のお名前は?」

「……トーキィ。トーキィ・ミラージュ」


 だがそれも杞憂のようだった。嘘をつく様子もなく呟かれた名前に、取り越し苦労だったかと、エイミーも胸をなで下ろした。


 西の流民も、南の労働民も、この地方とは名前の響きが全く違う。聞けば、すぐに解るのだ。もしも彼がどちらかならば、然るべき対処をしなくてはいけなかった。流民は国に送還し、労働民は脱走先を探さなくてはならない。

 エイミーは安心させるように笑いかけた。


「トーキィ、私はエイミー・ルフロッテ。ここの巡査よ」

「エイミー、ルフロッテ。じゅんさ」

「ええ。私、ルフロッテが貴方を保護したの。ほんとは保護なんてダメなんだけどね、何だか放っておけなくて」

「………………そう」


 にこりと微笑んだ姿を見上げ、トーキィは差し出された身分を示すカードをしげしげと眺めた。


 手のひらに収まるそれには彼女の姓名と所属、そして彼女の写真が記されている。微笑んでいる今の彼女とは違い、どこか緊張した様子の、固い表情の女性が見返している。



 男があまりにも物珍しそうに眺める物だから、巡査は思わず苦笑していた。


「そんな眺めるものじゃないわよ」

「ううん…………すごく、おいしそう」


 そんな彼女を、気にした様子もない。ぽつりと呟き、手元に視線を落としたトーキィは、おもむろにぱくりとカードを口に入れていた。


「え、ちょっと?!」


 エイミー巡査が驚いてしまったのも無理はない。自分の身分証を食べ物と間違えて口に入れられた事も勿論そうだが、大の男がする行動にしては異質すぎた。


「お腹すいてたからって、いくらなんでもこれはダメよ!」


 トーキィがそれをもごもごとねぶっていたのも僅かな間で、唇の端から覗くカードを、巡査は慌てて掴んで取り戻した。


「全く、もう。子供じゃないんだから! なんでも口に……あら?」


 慌ててハンカチで、ねっとりと濡れた唾液を拭う。ふとカードの安否を確かめたら、焼け付けられた筈の名前が掠れていた。

 首を傾げた彼女の視界が、不意に陰る。その影につられて見上げたら、トーキィがこちらを覗き込んでいた。



「エイミー……ルフロッテ巡査」



 まるで読み慣れない言葉を馴染ませるように、その姿は彼女の名前を繰り返す。そして、何か探していたものを見つけたような目が、ひたと彼女を見据えた。


「エイミー、エイミー。…………今の君はお母さんに歓迎されず、悲しまれたままになってしまったんだね、エイミー」

「え?」


 巡査は思わず凍り付いた。


 どんなに時代が女性にも開けたとはいえ、未だ婦女子が職に就くのは珍しい。公安となれば尚更だろう。その為に家族がいい顔をしないのはよくある話だ。


 しかし、彼女が驚いたのはそこではない。確信をもって告げられた過去形に、何もかも見透かされたような気がしてならなかった。


「ま、まあ、そうね。ええ。女の時代が開けたと言っても、このご時世だもの。犯罪者だけを相手にすればいい訳ではないこの仕事に、誰だって女の私に務まると思っていないわ」


 取り繕うように告げた言葉は、それでも彼女の本心だ。言われなれた言葉だからこそ、すぐに落ち着きを取り戻せた。


「でもね、女だからこそ、出来ることだってあるのよ」


 例えばほら、と、目の前の姿を指し示す。


「男の巡査なら、間違いなく貴方を保護しようだなんて思わなかったわ。だってそん――――」

「男の巡査なら、エイミーが何をしたって皆、バカにしなかっただろうに? 女だから出来た事を指折って数えるのは悲しいよ、エイミー」


 遮られて、息を飲んだ。


「っ………………! 貴方に何が!」

「ねえ? 女の子が男のマネなんてみっともないって、お母さんに言われてツラかった?」


 だが怒鳴り付けたところで、目の前の憐れむような表情は崩れない。淡々と告げられているだけだと言うのに、こちらが怒っている側だというのに、まるで心の柔らかいところに突き刺してくるような、そんな言葉だった。


「それ、は……」


 武装した騎士の、鎧甲冑の隙間を狙っているような問いに意表を突かれ、彼女の怒りも一息に削がれていた。それどころか、予想していなかった攻撃に、怯えすら与えていた。

 狼狽した姿に、トーキィは畳み掛ける。


「レース編みよりも木登りが好きって言ったら、女男って言われて悲しかった? 進んで危険に向かって行くのは、正義感ではなくおてんばだからだって、皆に後ろ指刺されて悔しかった?」

「そ……そんなの! 今まで散々言われたわ? でも、でもね、私は今の自分に満足してるのよ! だって、ずっと憧れていた姿に成れたんだもの。

 だから、だから……そんな目で見ないで!」



 離れたかった。逃げ出したかった。

 こちらを食い入るように見つめる赤い瞳が恐ろしくて、エイミーはただ、身を守るように自分を抱いて後退る。

 だが、そんな彼女の様子を見て、トーキィの口元は弧を描くだけだ。


「ねえ、もっと。君の物語を俺に頂戴? 辛かった記憶は、俺がみーんな、食べてあげる。勿論、欠片だけなんて酷いお預けはしないよね、エイミー?」


 無意識の内にエイミーは震えていた。人の成りをしているのに、何とも解らないその姿から離れたいのに、縫い付けられたみたいにその場から動けなかった。


「物語って……! 私をからかっているの?! そういう貴方は一体何よ!」

「あっはは。だから俺は、トーキィ・ミラージュだって」

「そうじゃなくて……!」

「ああ、エイミー。可哀想に、こんなに震えてしまうなんてエイミー。

 でも心配しないで、大丈夫。ごはんをくれた君の為に、直ぐに君の憂いはなくしてあげるから」

「い、いや……っ、いらない! 来ないで!」


 彼女が振り回した腕を捉えたそれは、喉の奥でくつくつと笑いながら耳元で囁いた。


「あるところに、エイミーという女の子がいました」

「や、めて」

 聞きたくないと耳を塞ぎ、涙を滲ませた声を相手に、男の姿をした何かは謳うように続ける。


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