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7-1.追憶の道

 

 どこまでも広がる丘陵地帯に、たった一本の道が走る。放牧された牛がゆったりと歩き、草を食んでいた。


 風が青さを含んだ香りを運び、天上では綿をちぎったような雲が流れている。



 自分が今どこに居るのか解りかねて、ゆるりと辺りを伺った。風に遊ばれた髪が頬に触れて気を取られたものの、すぐに彼は自分の目を疑った。


 ここに、視界を遮るような街はない。

 あるのは遠くに見える街の入り口と牛舎、そして自分が立つ一つの塔だけだ。彼は塔の屋上に立っていた。


 昔、この地を収めていたという領主が妻に贈ったこの塔は、今では街から街へと渡り歩く商人たちの目印でしかない。あるいは、子供たちの格好の遊び場所になるばかりだ。


 しかし今は、辺りに人気はない。

 エイリオは人気のないその場所にぽつんといた。まるで、草原に佇む塔と同じだ。


 やがて、ああそうかと否応なしに理解した。あり得ないものを、遠くに見つけてしまったせいだ。


 向こうからやって来る姿が、実在するはずがない。

 丘の向こうに見えた小隊の影には見覚えがあった。


 風に鬣をたなびかせている青毛の馬に堂々とまたがる姿に手を振ると、遅れて振り返された。自然と口元が緩んでしまう。



 伸ばしたままの髭のせいで、表情までは伺えない。


 いつもは稲穂のような金髪は、長旅のせいかくすんで見える。それさえも、胸がくすぐったくなるほど嬉しい。

 似たような背格好の同業者の中でも、背中に背負う鉄の棒のお蔭で見間違う事もない。


 気がつくと、彼は塔を下って、こちらにやってくる姿に向かって駆け出していた。



 これが、心やすらぐ都合のいい夢であるのだと知って、悲しく思う。同時に、今だけはこの懐かしい気持ちに浸っていてもいいのではないかと思えた。


 隊列を組む幌馬車に一言断ったのだろう。一足先にやってくる姿に、手が疲れても構わないくらいに、何度も、何度も手を振った。



「父さん、お帰りなさい!」



 上げた声は今よりずっと高く、子供らしいものだった。驚いて手の平を伺うと、とても小さい。


 だが、そんな些細な事はもうどうでもよかった。

 一本道の向こうから、次第に大きくなる姿を待ちわびて、先陣を行く姿に向かって懸命に駆ける。


 自分に気が付いた姿が、馬から降りて腕を広げてくれているのだ。飛び込まない訳がない。


「ああ、ただいま! ■■■■、わざわざここまで迎えに来てくれたのか?」

「もちろん! だって、父さんに早く会いたかったから」

「嬉しいけどね、街の外れに一人で来るのはやめなさい。転んで怪我しても、誰も居なかったら困るだろう?」

「ちぇっ、子ども扱いしないでよ。ボクはもう、立派な大人なんだから!」


 不貞腐れて唇を尖らせたら、さも可笑しいと言わんばかりに吹き出されてしまった。


「ははあ、泣きべそかいてた奴が、子ども扱いするなって?」


 荒々しい手つきで、目元と頬を拭われる。

 節くれだった固い手は、野営の生活と武器代わりの鉄の棒を握っているせいでとても荒れて、子供の柔い肌にはざらざらとしたやすりの様にも感じた。それでも、エイリオにとっては間違いなく待ち望んでいた手に違いなかった。


 しかしそれを口にするのは悔しくて、慌ててその手を掴む。


「父さん、痛いよ。ボク泣いてないもん」

「ははは! そうか、泣いてなかったか。じゃあ仕方ないな」

「うわっ」


 豪快に笑い飛ばされたかと思うと、抱き上げられて肩車をされて、いつも見ている世界と景色が変わる。

 待ち望んだ景色があり、そして待ち望んでいたごわごわの頭がそこにあった。馬の頭が近くなり、興味深そうにこちらを覗き込んでこられる。その近さに、少しだけ身を竦めてしまった。


「なあに、噛みつきやしない」

「わ、解ってるよ!」


 恐る恐る手を伸ばすと、濡れた黒曜石のような瞳が見返して来る。

 怖がってしまっているのは筒抜けなのだろう。鼻筋に伸ばそうとしていた手を、からかうようになめられて、うわっと声を上げてしまう。それでも不思議と不快はなくて、膝の下で豪快に笑う父親の姿に吊られてくすくすと笑ってしまっていた。


「父さん、あのね。話したい事が沢山あるんだ」

「ああ、楽しみだな。何を聞かせてくれるんだい?」

「んん! 家に着いてからのお楽しみだよ」


 足をばたつかせながら告げると、それは楽しみだと長旅の疲れを感じさせずに大股で歩いていく。普段見られることのできない景色と、自分で歩いてもこれほど早くない速度に尚更上機嫌だった。


 ぺしぺしと手元にある頭を叩くと、目じりに皺を寄せた表情が振り返る。


「どうした?」

「あのね、父さん。父さんに習いたい事、沢山あるんだ」


 恥ずかしがりながらも願い出れば、眉を吊り上げて変な顔をされてしまう。


「うーん、父さんが教えられる事なんてあったかな」

「あるよ! 戦い方! 教えて欲しいんだ!」

「はは、お前には必要ないよ。父さんがついてるからな」

「ええー……でもー……。僕、早く父さんの役に立てるようになりたいんだ」


 ぷくっと頬を膨らまし、不満から思わず髪を握りしめてしまう。そのせいか、困った様子で笑われた。


「母さんにそれ、ちゃんと言ったのか?」

「んー……ないしょ」


 はぐらかそうとすると、決まって彼は身体を揺すって笑った。


「仕方ないな、■■■■。父さんと一緒にお願いしてみようか」

「……絶対許してくれないよ」

「言ってみなければ解らないよ。それに、もしダメだったら、その時はその時で別の方法を一緒に考えよう」


 納得し難いと唇を尖らせれば、決まって折れてくれるのだ。

 それがずるいことだと解っていても、たまにしか戻ってこられない父にこれくらい言っても大丈夫という確信があった。


 だが不意に、改まった様子で声を落とした。


「でもね、■■■■。例え母さんが許しても、誰かを傷つける為に戦ってはいけないよ。戦う時は、いつだって自分以外の何かを守る時にしなさい」

「守る?」

「そう。例えば、立場の弱い人とか、誰かが大切にしているものとか、誰かの心とかね。優しさがあって、初めて戦っていいんだよ」

「……父さんは、襲って来た悪い人と闘っているのに?」


 納得がいかなくて唇を尖らせていたら、苦笑されてしまう。


「もちろん、父さんも守ってるよ。商人の人達も、襲って来た人たちの事もね」

「どういう事? 襲って来た人達を守るの? どうして? どうやって?」

「はは! ■■■■。そんなに一度に聞かれたら応えきれないよ」

「なんで?」

「それはね――――」


 話は、そこで途切れた。

 何かヒヤリとしたものが、額に触れて気が反れたせいだ。


 景色が滲む。夢の終わりだとぼんやりと意識した途端、丘陵もなにもかも崩れ去る。



 目覚めだ。

 そう自覚した刹那、視界の端にこちらを伺う少女の姿を見た気がした。


 彼女が何かを告げている。

 一つ、ふっくらとした子供の頬から涙は落ちた。その隣には、先程まで自分を肩車していた父の姿がある気がして、訝しんでしまう。


 父を連れて行こうと腕を引いた彼女の姿に触発されて、慌てて腕を伸ばそうとした。


「待って、ねえ! 父さんをどこに連れていくつもりなの!」


 叫んだ声は響かない。

 振り返った彼女が何かを言っているようだけど、ぼそぼそとして聞き取りづらく、やがて、崩れゆく景色に溶けるようにして頭から消えていった。



「待って、君! 父さんを返し……!」



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