5-1.ルフロッテ巡査
がたがたと、紫電石車は石畳のつなぎ目に合わせて揺れる。
人や馬、或いは同じ紫電石車などが繰り返し通っているせいで、みぞれ状にかき立てられているのだろう。積もり始めた雪の上を通る度に、車輪に轢かれてびちゃびちゃと湿った音が聞こえてくる。
フラムの運転する最先端の車内では、特別会話が弾むような空間でもなかった。緩やかにそれが停車するまで、その沈黙は続く。
スタッフルームにて暖を取っていたエイリオが落ち着くまでに、時間はかからなかった。
シシリィが気を利かせて、暖かいコーヒーにチョコレートを添えて出してくれたお蔭もあるだろう。すっきりとさせる苦みと、鼻に抜ける香りが重たくなった心の靄を追い払い、そこにコクのある甘みが優しく染みて、エイリオはやっとホッと一息つくことが出来た。
気持ちが落ち着いてくると、気になったのは仕事の事だった。巡回を途中で切り上げて戻った時にはまだ誰も居なかった。しかし、そろそろ誤魔化しもしにくい。
フラムに頼むことに抵抗を感じていた彼も、そうは言っていられなかった。真剣に願い出ると、一瞬眉を顰められたものの、フラムが同伴する事で妥協したのだ。
「そもそも君の許可がいるというのは、可笑しい話じゃないのかな。私には私の生活があるのだから」
エイリオは沈黙を破るように、わざとらしく溜め息を溢した。ちらりとこちらに向けられた視線も、直ぐになくなる。
「無駄口叩くなら、このまま図書館に戻るぞ」
「……無駄口でも叩いていないと、やってられないさ」
吐き出した溜め息は、今度こそ本物だった。
窓にこつりと頭をぶつけて外を伺うと、灰色の空の下に並ぶ、建物の最上階が凹凸して流れていった。窓の冷たさが、今の彼には心地よかった。
そんなエイリオの様子に、暫しフラムも黙った。
「あれだけ帰してくれって言ってたくせに、今更嫌になったのか」
「見ての通りだよ。……何を言われるのか、考えたくない」
呆れた様子で言われても、エイリオの気持ちは向上しない。自分を知る人間に会うのが怖いと思ったのは、今までで初めての事だったせいもあった。
「……どうせ心配する必要もねえよ」
そんなエイリオに、フラムの呟きが届くこともない。
よく知る道に入ると、エイリオは次第に緊張が高まるのが解った。厄介事が待ち受けていると思うと、溜め息の数も自然と増えていく。
「おら、ついたぞ」
「ああ……」
どれほど憂鬱に感じていても、自分が願い出た以上、目的地にはたどり着く。
毎日見ている筈の建物には、エイリオには新鮮味ささえ感じられた。一瞬そうして逡巡しまっていたものの、二の足を踏んでいても仕方がないと、思いきって紫電石車の扉を開けた。
吐く息は白く、中に踏みいるのを少し躊躇う。視界の端に映る、車の向こう側に立つフラムは、エイリオの様子に急かすこともせず、ただひょいと肩を竦めていた。
同時に、支部所の前に停められた紫電石車の存在に気が付いたのだろう。常駐していた巡査の男が、ひょっこりと顔を出していた。
感慨に浸っていたエイリオの姿に、飛び出して来た姿は翡翠の目を見開いていた。
「ちょーおい、ルフロッテ! どーこ行ってたのさ!」
「ニコライ……」
どこか拗ねたような声色で有りながら、ニコライ・サコーはエイリオと降りてきた紫電石車とを見比べて、目を瞬いた。
すぐに、面白いおもちゃを見つけた猫の様に、にやっと笑う。
「全く、結構探したんだぞ? お前居ないと、俺も叱られるんだからさあ? 勘弁してくれって」
ぽんっとエイリオの肩に腕を置くと、「それで」 とフラムに目を向けた。
「仕事放っぽり出して、恋人とドライブか? 良い身分じゃないか、ルフロッテ」
くすくすと軽い調子で告げる彼に、エイリオは半眼で見やる。勘弁してくれと言わんばかりに、肩に乗せられた腕を振り払い、肩を竦めた。