変わらぬ世界
ここは街中にある、とある高校。昨日の晩この高校の生徒が一人死んだが、誰一人としてそれを知っているものはいない。何故なら、彼女が死んだ時点で彼女が存在したという記憶を全ての者が失ったからだ。いや、正確には二人ほど知っている者がいるが。
「ねえ、奴って気持ち悪いよね」
「そうだね。なんであんな気持ち悪い生き物が存在するのか分からないよ」
それはある教室での会話。その教室こそ昨日の晩死んだ女子生徒がいた教室だ。彼女はいじめられっ子だった。そのいじめから逃れるためにある戦いに参加し敗れ、命を落とした。彼女が死んだ今、この教室からいじめは消えたのかと思いきや、そんなことにはならなかった。 今、一人机で孤立し耳を塞いで過ごしているのは、昨日までいじめのリーダーをしていた少女だった。彼女は覚えていない、昨日まで自分が人を平然と傷つけていた人間だということを。彼女にあるのは、今までずっといじめられてきたという偽りの記憶だ。彼女が自身の記憶だと思っている記憶はまさしく昨日死んだ少女のものといえるかもしれない。きっかけは大したことではない、ただ少し口が滑ってしまっただけのこと。だが、それが致命打となった。彼女を取り巻く女子生徒はグループを形成している。学校という小さな社会ではよく起きる現象だ。だが、それはいじめの時恐ろしいほど秀逸に機能する。まずグループの中で彼女を無視しようという提案が出され、可決される。彼女は異変に気付く。周囲が自分を避けているのだ。試しに近づいてみる。
「やだ、来たよ」
そう言って逃げる女子生徒達。最初は面白がって近寄っていく。
「また来た」
心底嫌そうな声。次第に彼女の心は傷ついていく。怖くて他の女子生徒に近寄れなくなる。その頃から始まり出す、卑劣な陰口。
「奴って気持ち悪いよね」
「そうだね。なんであんなに気持ち悪いんだか分からないよ」
その頃には彼女の心は大いにすり減っている。耳を塞いで堪え忍ぶ。陰口は次第に本人にも聞こえるように囁かれ出す。いわゆるいじめのエスカレートだ。まず、授業。今日はハンドボールの授業だ。
「奴がボール持ったよ」
「あーあ、あのボール腐ったな」
彼女が触れると、この世の全ての者は腐敗し、異臭を放つ。
「奴がボール投げた!」
「避けろ!」
こうして、彼女の投げたボールは誰にも拾われないのだ。だがこのままではハンドボールは成立しない。嫌々、いじめっ子のグループでも最も権力の弱い者がボールを拾い、投げる。その後行われるのが菌の移しあいだ。ボールに触れた少女はこっそり他の女子生徒に近づき触れる。そうすると触れられた女子生徒が騒ぎ出す。続いて今度はその生徒が同じことをする。これが、暫くの間続く。
「やめて! 菌が移る!」
彼女はそれを経験して何を思うのだろうか。昨日まで、まさしく自分がやっていたことを経験して。
体育以外の授業でもいじめは表面化し始める。授業中後ろの席から突然椅子を蹴られる。消しゴムのカスが飛んでくる。彼女は次第に精神的に追いつめられていく。理科のような教室が変わる授業では、もっとストレートにいじめられる。
「筆箱の鈴がうるさいんだけど」
「ご、ごめん」
その言葉は昨日の晩死んだ少女にまさしく彼女が放った言葉。彼女は追いつめられていく。それは教室に戻り授業が始まった時のこと。後ろからはまた消しゴムのカスが飛び、椅子が蹴られる。昨日まで率先していじめをしていた彼女は愚かにも自分の不遇を呪う。
(なんで私だけがこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう)
それは昨日まで、別の少女が抱いていた思い。だが今は彼女のものになっている。彼女の記憶の中では両親にも相談したし教諭にも相談したことになっている。だが誰も助けてくれなかった、と。まだ続く消しカスの攻撃、椅子蹴り。ついに彼女の中で何かが壊れた。
(そうだ。死ねばいいんだ。死ねば楽になれる)
授業終了後、彼女は人知れず校舎の屋上へと向かう。偶然何かあったのだろう扉に鍵はかかっていなかった。
(ほら、皆死ねって言ってる。私は死んだ方がいいって言ってる)
少女は屋上に出る。そして、端までゆっくりと歩いていく。端に到達する。下を見る。不思議と怖さは、無い。
(死のう)
彼女はゆっくり右足を前に出す。身体が次第に前に傾いていく。
(これで楽になれる!)
彼女の身体は屋上から転落し昇降口の前で死体になる。その時悲鳴が響く。一つには上から人間が落下してきたことについて。もう一つはその下にたまたま今から帰ろうとしていた生徒がいて、その生徒も巻き沿いを食ったということについて。巻き沿いを食った生徒というのはまさしく彼女を、いや正確には昨日の晩死んだ少女をいじめていた生徒数人だった。彼女たちもまた死亡した。
「ん?」
一人の青年がある高校を通り過ぎようとしていた時、偶然パトカーと救急車が目の前を横切った。この青年こそ、昨日の晩死んだ少女のことを知っている二人のうちの一人だ。彼は自分の罪に耐えられず、自分が未来を奪ってしまった少女に会いに行こうとしている途中だった。
「何かあったのかな?」
彼は殺した少女の高校がここだとは知るよしもない。ただ、
「ここ、高校か、辛いな……」
昨日のことを思い出し、昨日奪った命を思い出し、自分の罪から逃れようと必死にもがくのだ。彼は高校をしばし見つめる。昨晩殺した少女の願い、それを彼は知らない。だが、それは、自身をいじめた者達を消したいという願いは、彼女の死後、ここに起こるのである。
――変わらぬ世界。変わらぬ、人。
今回もご覧頂き有難うございました。又次回も是非ご覧ください。