汚物、人間
私は簡単に言えば、いじめられっ子だ。世の番組で流されるような、過激ないじめではない。だけど、じわじわと人の心を殺すようないじめ。そう、いじめは人の心を殺す、とても怖い暴力。私はそれを受けていた、毎日。私には話相手などいない。悩みを相談する相手もいない。だからここに書き記す、私の人間としての思いを。
私には名前が無かった。私は皆から「奴」と呼ばれていた。だから、名前は無かった。いつからそうなったのか、いつまでそうなのか、分からない。私は「奴」と呼ばれる。もちろん、直接話すときはちゃんと名前で呼ばれるけど、そんな機会は殆どない。だから、私に名前は無かった。周りもきっと分かってるんだと思う。私が気付いていることに。それでも、黙って耐える私が、見ていて楽しいんだと思う。休憩時間、
「奴って気持ち悪いよね」
「そうだね」
また始まったいつもの会話。
「でも奴って一応人間だよね?」
「同じ人類かー、嫌だな。宇宙人にでもなろうか?」
「でもあの気持ち悪さは人間じゃ無いとも言えるね」
「よかったー。なら私普通に人間やれるわ」
そう言って笑い出す女子達。私は耳を塞ぐ、それでも、彼女達の会話は聞こえる。
私は罰ゲームだった。ある日の休憩時間、私は何処にも居場所が無くて、仕方なく窮屈な思いをしながら教室の自分の机に座っている。そこに、一人の男子生徒がやってくる。
「あのさ……」
呼びかけられる、私。
「何?」
「俺、お前のことずっと前から好きだったんだけど」
「……は?」
意味不明な告白。ふと彼の後ろの方を見ると、女子生徒がこちらを見て、笑っている。
(なるほど)
男子生徒は居づらそうにしている。私は黙って机に突っ伏して無視する。
「もう耐えられねーよ!」
彼は逃げて行く、彼女たちの方へ。
「おつかれ〜」
聞きたくなくても聞こえてくる、笑い声。そう、何かの罰ゲームとして私に話しかけることが彼に課せられていたのだ。私に話しかけることは、彼らにとって罰に成りうるものだったのだ。それ以外にもあった。ある時は、私と握手をすることが罰ゲームだったことも。どうしてそんな風に扱われなければならないのだろうか。私には理解できない。
私には汚い菌が存在した。これは、もうある日のとか言うことは出来ない。いつもそうだから。私に触れたら大騒ぎする周りの生徒達。言い分は
「菌が着いた!」
ということらしい。そこから鬼ごっこがスタートする。私の菌を他人に移そうと必死に追いかけ回す、保菌者。それから逃げようとする一般人。私、そんなに汚くない。いや、人並みには汚いと思うけど。最初の頃は気にせず居られた。だけど、次第に気になるようになってきた。誰かに触るのが怖くなった。触れば、またそう言われるのは分かっていたから。だけど、どうしても席の移動とかで当たってしまうと、そこからはまた、鬼ごっこが始まる。私は怖くなって、席から移動する時、かがんで机の前の開いているところをくぐって移動したりもした。
「自衛隊か何かかよ」
せせら笑う男子の声。そんなのじゃないのに……。私が菌騒動は授業中にも平然と起きた。ハンドボールをすれば、私の投げたボールを皆で避け。リレーをすれば私はいつも最後だった。何故かって? 答えは簡単。最後の走者はもうバトンを誰にも渡さなくて良いから。それで負けたら全部私の所為だった。
「さっきのリレーまた奴の所為で負けたね」
「あーあ、奴がいると良いこと一つもないのよね」
女子達がまた私の悪口を言う。私はいつも通り耳を塞ぐ。
私は人間ではなかった。あれは、生徒同士で音読の善し悪しを評価する、授業中の出来事のこと。私は後ろと向かい合って、女子生徒の音読を聞く。だけど、評価するのが怖くて、全部に二重丸をつけた。そうすると終わった後から、椅子をずっと蹴られ続けた。その度にビクッとする身体。次は消しゴムのカスが飛んでくる。辛い、辛い。心の中でいくら叫んでもその声は聞こえない。またあるとき、理科の実験で理科室に行ったときのこと。私の筆箱には鈴が付いていた。それがたまたま授業中に鳴る。
「うるさい」
「あ、ごめん」
向かい合って座る女子生徒に言われる。そんなに大きな音は出していないはずなのに。私には鈴を筆箱につけることさえ許されなかった。
親には何度と無く言った。だけどいつ言っても
「我慢しなさい。動じると返って面白がられるだけよ」
と言われ、学校を休みたいと言っても、決して許されなかった。とうとう耐えられなくなって熱を出して暫く休んだら、今度は父親が、
「いつまで休んでるんだ! 早く学校に行け!」
と言う。先生に相談しても、
「最近あの子は苛々してるから仕方ないわよ」
と言われる。誰も助けてくれはしない。責めることしかしやしない。そこに人の真実の姿があると私は悟った。
そして私の心は死んでいった。何も言われないように生きることが毎日だった。何を言われても平気だった。ただ辛いだけだから。もう慣れた。ただ毎日が辛くて辛くて、そこから逃げ出したい。そう強く思った。だけど、誰も救ってくれはしない。ただ私を蔑むだけ。いじめは人の心を殺す。でも、肉体は死にはしない。その後も背負わされた傷を抱えながら生きていく。幸せになる術も知らず、地べたを這いずり回りながら生きる。その一方、私を傷つけた者は皆のうのうと生きるのだ。自分の罪も忘れ、他人と笑うのだ。許せない。復讐してやる。復讐してやる。復讐してやる。復讐してやる。復讐してやる。復讐してやる。私は汚物と言われた、菌が付いていると言われた。そう、私は汚物。だけど、汚物は声を大にして叫んでやる。本当の汚物は人そのものであり、この社会そのものである、と。
私がその老人と出会ったのは、その日味わえるだけの悲しみと痛みと憎しみを味わった後の帰り道だった。
「お主の願いを叶えてやろう」
それは、あまりにも胡散臭い、だけど私にとっては何としても掴みたい、溺れる者に差し出された藁だった。
私の願い、それは単純、「消す」ことだ。誰を? それも単純、わたしは有り体に言うところのいじめられっ子。だから当然消すのは私を苦しめる人たち。私は老人に渡された物を半信半疑ながら持って帰り、その中に含まれていた瓶の内容物を飲んだ。
私が掴んだのは、やはり藁だった、瓶の中身を飲んで暫く意識を失って後、目を覚まし、受けた説明は絶望的だった。
「そんな話聞いていません」
「聞いていなかろうが、聞いていようが、あの瓶の血を飲んだのはお主ではないか」
私は必死に抗議した。だけど、それは全く受け入れられることはなかった。出来るはずがない。私は今のいじめから抜け出したいだけ。私はあの嫌いな奴らが消えちゃえばいいと思っただけ。そのために全く知らない誰かを殺すなんて、出来るはずがない。それに私自身、死んじゃうなんて、それじゃ願いが叶っても意味が無いじゃない。
老人は言いたいことだけ言って本の中に消えていってしまった。
「どうしよう」
部屋の中をぐるぐる回りながら老人が言い残していったことを飲み込もうとする。一つ、私はゲームに参加している。二つ、参加者はそれぞれの特徴に合わせた得物が与えられる。三つ、私は他の参加者を殺さなければならない。四つ、私は願いを叶える代わりに死んでしまう。
「どうしよう」
どうすることも出来ない事実が私を襲う。床には私の得物の日本刀が転がっている。得物はそれぞれの参加者の特徴に合わせて決まっているとのことだったけど、剣道の経験なんて無い。
「どうしよう」
「ゴトン」
「え?」
今、刀が動いた気が。私は恐る恐るそれを手に取る。その瞬間、身体が急激に熱を帯びる。
「あ……れ……?」
と、身体は私の意思とは無関係に動き始める。身体は部屋のクローゼットに向かい、マフラーを取り出し、刀を手で握りしめた状態のまま、それをくるむ。続いて自分の部屋を出て、玄関へ向かう。
「こんな時間にどこに行くの?」
母が疑問に思い訪ねてきた。私はマフラーにくるまれている日本刀を咄嗟に母に見えないようにして、
「友達に借りてたノート返しにいってくる。今日どうしても必要なんだって」
と嘘をつく。本当は友達なんて一人も居ない。だけど、母親は知らない。
「そう、あんまり遅くならないようにね」
母はそういって私を送り出す。私の身体はその会話を気にも留めないでドアを開ける。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
こうして私は望みもしないで、戦場に赴くことになった。
私の身体は家を出て、真っ直ぐに迷い無く進んでいく。私は抱えた日本刀が道行く人に見つからないように隠しながら歩くのに必死だった。パニックに陥っていた。
人がいる道を避けるように避けるように歩き続けて四十五分位経った。次第に気持ちが落ち着いてきたのか、周りのことが分かってきた。
「あれは、廃工場?」
人の気配がまるで無い建物の塊が目に入ってきた。と、身体はその塊の方へと向かっていく
「もしかして、あそこで戦うということじゃ……」
勝手に動く私の身体に訪ねようにも応えが返ってくるわけがない。身体は頑丈そうな門をよじ登って中に入り、歩き続ける。
暫く歩いて、ちょうどたくさん並ぶコンテナの間で、門から入って真っ直ぐ歩くと死角になるであろう場所で止まった。
「……ここで待てってことなの?」
身体はやはり応えてはくれなかったが、その場所から私の意思で動こうとしても動けないことから、どうやら「待て」ということらしい。
この待機はつまり人の命を奪うということを意味するものだ。身体が止まったのを良いことに、頭が、脳が次は騒ぎ出す。私は私の中に私ではない誰かの存在を感じた。でも、それは言い訳なのかもしれない。自分の欲望のために誰かを殺すことは良くないことだ、だけど、私の願いは、このゲームに参加した理由は確実に殺意だった。苦しみや悲しみから逃げたいと思うことは間違ってないと思う。だけど、じゃあ、そのために誰かを苦しめることは正当化されるのか。私が生きたいと、幸せになりたいと思うのは間違ってない。だけど、みんなそう思って生きているはずだ。人は全ての物を救うことは出来ない。生きるために、幸せになるために、常に何かを犠牲にしている。だから、この殺意は間違ってはいない。違う、誰かを殺すのは良くないこと。
「もう、やめて……」
勝手に動く思考に乞うように、せがむようにその停止を求める。
「でも、助かりたいんでしょう?」
「!」
私の口が勝手に動いた。今、動いた。そして私にそう告げた。
その時――
人の声――
戦いが始まる――
今回もご覧頂き有難うございました。また次回もご覧ください。




