復讐
不覚だ。まさかこの程度の敵に気を失わさせられてしまうなんて。堕ち行く意識の中悔いた。
――夢、夢を見ている。嫌な夢だ。それは私の幼い頃の夢。私は幼い頃からそれはとてもとても性格の悪い女の子だった。だがそれは仕方が無い。私にはある異常とも言える特殊能力が在ったためなのだから。それは、言葉とも数字とも言えない、最早人間の言葉を越えた存在の羅列のようなものを感じることが出来たことだ。出来たのは感じるまでで、それを何か特定し認識し学ぶことは許されなかった。故に私にはその人が神という言われ方をされている、正確には人間の言語を含め全てを越えた存在にどれほどのものを授けられているかが分かった。平たく言えば、道行く人の凄さが直感的に感じられる体質というわけだ。だから、素直に凄いと感じた人には賞賛を、つまらないと感じた人間には軽蔑を等しく与える子になっていた。ちなみに私自身はというと普通の人より少し成績がいい、くらい。だけど、自分の生まれた家柄、すなわち、確実に願いを叶えなくてはならないゲームの参加者の家庭に生まれたこと、この異常体質、から鑑みて、私は自分を特別な存在だと認識して間違いないと思っていた。
「凄いわ! この子は立派な参加者になれる! 私たちに素晴らしいものを運んできてくれるわ!」
「ああ、そうだな。この子ならきっと素晴らしい参加者になる」
それは、私が最も得意とする薙刀の稽古の時だった。私が人より少し覚えが良いところを見て両親が両手放しで喜んでくれた時のことだ。あの時は本当に嬉しかった。だってその時は、参加者がまさか命を奪われるなんて知りもしなかったし、教えられていたことは、やがて来るゲームの参加者として参加して、勝つ、名誉な人間に成れるということだけだったから。勝たなくてはならない。私にとってその言葉は最高の賛辞であり是が非でも実現してみせねばならないことだった。だから、私は毎日両親の、皆の期待に応え、常に素晴らしい存在であろうとした。だが、それはある日を境に、そう、あいつが現れたその時を境に、全て終わった。
それは、私の両親に第二子が生まれた時のこと、つまり、私の弟が生まれた時のことだった。素直に我が子の誕生を喜ぶ両親。私も呼ばれ病室に入る。その瞬間、気を失いそうになるほどの強い感覚に襲われた。ふらつく身体を何とか制御し、どこから来たものか、それがなんなのかを確認した。そして、絶望した。それは、紛れもなく私の弟、生まれたばかりの赤児のこの者から発せられている、才気だった。それからは、毎日が気が気ではなかった。弟とは六つほど歳が離れている。この男が私の存在意義を奪いにくるまではまだ少しの年月がある。その間に何か一つでいい、奪われることないものを探さなくてはならなかった。私は必死だった。出来る習い事は全て手を出した。両親は私の何かに怯えるかのようにひたすらに物事に打ち込む姿に少し戸惑いを見せていた。だが、恐れていたことはそれから六年後起こるのである。それは、初めて弟が薙刀の稽古をしたときのことだった。その筋の良さに驚いた両親は私と練習試合をさせることにした。そして、
「王手」
私は物の数秒で敗北した。人生全てを否定された思いだった。私が最も得意とするもので、早速負けた。ちなみに、この「王手」という言葉も先日将棋で父親を打ち負かしたときに覚えたものだ。両親も皆もそれまで私に注いできた賛辞を全て弟に注ぎ始めた。たくさんやった習い事は次々に弟に追い抜かれて行った。私は自分の存在意義を探すことに明け暮れた。全てあの男が現れなければ、現れなければ、こんなことにはならなかったのに。私の能力は何故与えられたのか? 自分の存在が特別であることに気付くためではなかったのか。だがそれは否定された。
「姉さん、貯金箱作ったんだ。父さんも母さんも筋が良いって誉めてくれたんだ」
弟は少し恥ずかしそうに私に貯金箱を見せてきた。それはとてもその年の少年が作った物とは到底思えないすばらしい代物だった。それを見せられた私は溢れる怒りを、憎しみを抑えきれずに。
「うるさい!」
思い切り弟の作ったものを床に叩きつけて壊した。
「姉さん、何で……」
悲しみに泣き出しそうな弟、またその顔が憎かった。
「いやあああああああ!」
私は発狂した。それからも、毎日少しづつ、弟に心を陵辱されていった。
「すごいわ! この子ならきっと素晴らしい参加者になれるわ!」
「そうだな! こいつならきっと素晴らしい参加者になれる!」
全ての賛辞は弟に。その傍らにはいつも敗者の私がいた。次第に、私の心は弟への殺意で染まるようになった。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる」
毎晩ベッドで呟いた。弟を見つけるといつも殺意に満ちた視線を浴びせた。
その甲斐あってか、弟は人間として破綻していった。ある日両親に呼ばれた。
「あの子が家に与えられていた枠ではない普通の参加者の枠でこのゲームに参加してしまった」
そのころにはこのゲームが命を賭けた殺し合いのことだと悟っていた。両親は青ざめた表情をしている。だけど、私にとってはこれ以上ない好機だった。弟を殺せる! 喜びで胸が躍った。
「私が選ばれた者として参加します」
「だが、お前ではあの子には勝てない……」
絶望しきった両親の顔。だが私は凛として答える。
「いえ、必ず勝ちます。私はまだ、あの子と争ったことがない競技があります」
「なんだと!」
その時両親はもうずっと浴びせることを怠ってきた期待を私に浴びせた。だが、今の私にはもうそんな物は要らない。
「必ず勝ちます。ですから、私を参加者にして下さい」
「分かった。期待している」
二人は私に今更そう言った。
目を覚ます。
「やっぱりね」
私の上で青年が気を失っている。予想通り私が先に目を覚ました。このままでは苦しい。そっと少年を脇に寝かせる。
「今殺しても良いのだけど……」
そう、これはそういう勝負だった。だけど、この青年をここで殺すのは惜しい。そう思った。
「ただの脇役のはずなのに」
そう、たしかに彼からは特別な感覚は受けない。ただの脇役だ。だが、彼はここまで生き残ってきた。勝ち進んできた。何故だろう。この男によって、私は最後まで敗者のままだ。弟を越えることはついに出来なかった。憎しみを解消することも叶わなかった。だけど、興味は尽きない。憎しみは、沸かない。
「うっ……」
彼も目を覚ます。目を開けて開口一番、
「あれ、まだ……生きてる??」
思わず笑ってしまう。
「そうよ、貴方はまだ生きてるわ。良かったわね」
そう微笑みかけると、彼は
「良かったです。やっぱりあなたは優しい人だったんですね」
そう言った。
「なっ……」
あれだけの攻撃を喰らってまだそんなことを言えるのかこの男は。
「違うわ。私は嫌な女よ。貴方が私を知らないだけよ」
「確かに僕はあなたのことを知らないです。だけど、あなたは弱い人の気持ちがよく分かるとても優しい人です」
どうにもしつこい。私のことを何としてもいい人にしたいらしい。だから、私はこのゲームに参加した理由を語ることにした。
「貴方が殺した男ね、あれ、私の実の弟なの」
「!」
彼は驚く。その後、
「その、謝って済む問題じゃないけど、すみませんでした」
謝って来た。拍子抜けしてまた笑う私。
「分かってないわね。その弟を殺したかったって言ったのよ。私」
「なっ……」
今度は呆然とする、彼。
「どうしてそんなことをしようと思ったんですか?」
「憎かったからよ。私から生きる意味を奪った男。あいつは私より全てにおいて優れていた。あの男がいたから、私は何一つとして誇れるものが無かった」
「そんなことは無いと思いますけど」
「貴方はしらなすぎるのよ。脇役の空しさを」
「でも、あなたですよ。僕のこと脇役だって言ったの」
「!」
確かに言われてそう思った。この男はそれでもここに存在している。何故だ。
「わからないわ」
「何がですか?」
「なんで、貴方がここに来たの。ここに来るのは弟だったはずなのに」
そういうと少し憤慨そうに
「だから、勝っちゃったんだから仕方ないでしょう」
と言った。だから、私としてはその勝っちゃった理由が知りたいわけで……。何故、この青年が勝ってしまったのだろう。
「でも、僕は負けるわけにはいかないんです。ここまで犠牲した命に報いるためにも生きて先に進まなければならないんです」
その言葉を聞いたとき何かが反応した。身体の何かが。瞬間彼を見つめる。
「どうかしましたか?」
彼が不思議そうに聞いてくる。もしかしたら私は答えを知ったのかも知れない。今、この時になって、やっと。それは、
「人の純粋で強い願いは神の定めた運命をも打ち砕くのかも知れない」
「へ?」
「人の思いには無限の可能性があるのかも知れない!」
私の胸は独りでに躍っていた。今の今まで気付かなかった私に能力が与えられた理由、それが、今、分かった気がする。この青年の存在によって。私の能力は他人の才能に嫉妬するためでも無ければ、他人を蔑むためのものでもない、人の可能性を理解するためのものだったのだと。
「よく分からないですけど、何も誇れる物がないなんて贅沢ですよ」
彼は言う。
「何故?」
私は尋ねる。すると、彼は少し顔を赤らめて、けれどこちらを真っ直ぐ見つめて、
「僕が今まで見てきたどんな女性よりもあなたは優しくて、美人です」
そう言った。突然、そんなことを言われたから、思わず拍子抜けしてしまったが、素直に
「ありがとう」
そうお礼を言った。
「休憩は終わりね。戦闘再開よ」
「はい」
戦いは再び始まるだけど、私は最初とは違う思いで彼に一つ頼み事をする。
「人の強い思いが神の定めた運命をも貫くという証を私にも見せて」
青年はよく分からないだろうが、強く頷き。
「はい!」
力強く答えてくれた。
今回もご覧いただきありがとうございました。また次回もご覧下さい。