★七話 “六聖”《ベネデッタ》
体長は7、8メートルほど。
低く虚ろに咆哮を轟かせれば、両の肩甲骨から天へと聳える魔翼。
その飛翔は巨身からは想像もつかないほどの高速、風の壁を伴いつつ、圧を滾らせる怒涛行。
アイネの輝火が穿った大穴、その直径は巨人の身に少しばかり狭い。が、力任せに強引に。
バキバキと肩で天井を、地面を削り飛ばし、巨人は夜街へと躍り出る!!
「ァア……! はははッ!! どうだい軍人さん! ピスカにかかれば全てはゴミだ!!」
フランツは巨人の片手、その掌に立っている。
青年の痩躯を握り潰さぬように乗せている辺り、ピスカと呼ばれる巨人には最低限の知性はあるようだ。
が、しかし! 狂気じみて笑うフランツの命に従い、ひとたび巨腕を振るえば!
「建物が、一発で粉々に!?」
まるで破城槌であるかの如く、ピスカの怪腕はレンガ造りの家の一角をごそりとこそぎ取ってみせる。まるで砂の城を圧したかのように、いとも容易く!
形容するならばシンプル、その存在はまるで“兵器”だ。それもとびきりの。
ルカとアイネは目配せを交わし、一目散に踵を返した。
アイネは鎌を縮小して腰に提げ、両手で詩乃とプリムラの手を引いて駆けるよう促す。
「詩乃ちゃんプリムラちゃん! 逃げよう!」
「えっと、全然状況が掴めてないんだけど……」
「はいはい、私もわかってない!」
困惑の詩乃、追従のプリムラ。
無理もない。地に足の着いた存在、暗殺者集団と戦っていたはずが、いきなりのファンタジーめいた怪物、巨人の出現だ。
町の外へ出ればモンスターは跋扈している。だがそれはあくまで狼や鳥、動物が突然変異、大型化しただけの存在に過ぎない。
だが面前の巨人はそれらと明らかに一線を画している。まるで得体が知れない存在だ。
「敵! とりあえず敵だよー!!」
アイネは“とりあえず”という部分を強調して告げつつ、二人へと逃走を急かす。彼女だって状況を理解できているわけではない。
ルカが逃げている。年上の仲間が「逃げろ」と言っているのだから逃げる。そういった具合だ。
が、その言葉を受けて頷き、プリムラが立ち止まっている。
「む、敵でいいんだよね!」
確認するように呟き、そして掲げるは片腕の砲口。
「でえーい! プリムラキャノン!!」
至極、安直なネーミングからカッと閃光。輝き、飛び迫る巨人へと爆砲が炸裂する!
プリムラキャノン、主砲とでも呼ぶべき腕の大砲は、街中で人へと撃ちかける際には威力を控えている。周囲、建物などへの被害を考慮している。
プラス、暗殺者に対してでも人相手に全力の砲撃は少しばかり気が引けて、意識的にリミッターを掛けている。
だが今は非常時、相手は飛来する怪物。バケモノ相手に威力調整はなし。巨大な的へと目掛け、装甲車をもブチ抜く火力、フルパワーでの迫撃!
だったのだが。
「あはァ! 無駄だね無駄だね。ピスカはその程度じゃ倒せない」
「嘘ぉ!?」
驚くプリムラ、フランツは悪笑。
直撃したプリムラキャノンはピスカの飛翔を留めた。たたらを踏ませた。だがそれだけだ。硬質な表皮を突破できていない。
そして、砲撃のために立ち止まっていたプリムラへと怪腕が迫る。
戦闘人形、人より頑丈にできているプリムラだが、この巨人ほどの怪力を受けてしまえば破壊、その機能を損なわれてしまうかもしれない。
「プリムラっ!!」
「詩乃!? 来ちゃダメ!!」
庇うように、詩乃がプリムラの前に立っている。身を翻した。踵を返し、眼光を強めて立ちはだかっている。
本来であれば護衛するのがプリムラ、されるのが詩乃。だが!
「……関係ない!」
詩乃にとってのプリムラは護衛であるだとかそれ以前に、幼い頃から共に過ごしてきた唯一無二の親友、何よりも大切な連れ合いなのだ!
決断的にショットガンを構え、判断は瞬時、その銃口をピスカではなく青年へと向けている。
実働は巨人、だがおそらく頭脳役は青年だ。あいつを止めれば巨人も止まる……かもしれない。可能性があるなら迷わない。すぐさま発砲!
が、駄目だ。ピスカが守っていて通らない。
丸太のような腕と、その異形に似合わぬ勇壮な翼がフランツの姿を覆うように守護している。
(だったら!)
諦めない。詩乃は手榴弾を上空に投げ、炸裂させ、巨人の気を逸らしてもう一度!!
が、効かず……阻まれ、フランツを傷付けることは能わない。
迫る。巨人の魔手が詩乃へと迫ってくる。
「詩乃ちゃん! プリムラちゃん!」
「しまったっ」
アイネが叫び、ルカは小声で悔みながら駆け戻ってくる。
詩乃のとっさの行動に反応が遅れたが、騎士は一般人を見殺しにはしない。だが、しかし、この距離では間に合わない!
「……っ、」
それでも詩乃は諦めない。肝が据わっている。諦めない事を身上としている。
迫るは建造物をも砕く腕、受ければ必死。重機に殴りつけられるようなものだ。その細身が形を保つかさえ定かでない。それでも。
(まだ!)
詩乃は諦めない、決して諦めない!
迫る死を瞳に捉え、気丈に思考を巡らせ続ける。起死回生の一手を、逆転の策を模索する。
(けど、思いつかない!)
ガン!! と。例えるなら、大型の車両が石塀に衝突したような音。
詩乃は最後まで目を閉じなかった。前を見据えていた。だからこそ、その瞬間を見逃さなかった。
「だから言っただろ! 僕がいた方が安全だって!」
大盾で突撃を受けたのは……兵馬だ!!
「兵馬……!」
「兵馬ぁぁ!」
詩乃が驚いたように、プリムラは喜色を浮かべ、同時に声を上げる!
と、首を傾げて詩乃。
「ええと、馬鹿力?」
「気になるのそこかい!?」
詩乃は兵馬の救援そのものより、建造物をも砕く巨人の一撃を受けてみせたことに不思議を抱いたらしい。
全面的な感謝を受け、ようやく自分の護衛としての立場が向上するものだと兵馬は思っていた。
故に、ほんのりと肩透かしを受けつつ、それでも不敵に笑んでみせる。
「コツがあるのさ。拳の角度に対して斜めに、盾を打ちつけながら逸らすイメージ!」
そして盾を振り上げ、巨人の腕を跳ね上げる!
巨槌の如き怪腕を弾いた。理屈はわかるが、それはルカやアイネをして驚くほどの妙技だ。
驚いているのは詩乃やルカたちだけでない。敵であるフランツもまた驚き、疑問を抱いている。
「お前は誰だよ」と言わんばかりの目で、突然の闖入者である兵馬へと視線を向けている。
そして巨人ピスカも瞳を大きく見開いて、兵馬を見据えているようにも見える。存外に透き通った瞳だ。一体何を考えているのか、兵馬はまっすぐにその視線を受け返した。
そこでようやく、詩乃の頭が状況に追い付く。
かなり冷静な性格の詩乃をして、突如怪物に襲われ、死の寸前に追いやられという事態に理解が及んでいなかった。
そして今、明確に“死”が弾かれ、上方へと遠ざけられ……
(……助けられたんだ)と。
「兵馬」
「なんだい! 今ヤバいんだ! もう一発上から来る!」
詩乃は少し。少しだけ、本心からの笑顔を見せて。
「ありがとう、助けてくれて」
「……うん、お安い御用さ」
詩乃は初めて、兵馬樹と名乗る青年を信頼する。二度、危機に身を呈して守ってくれた。
財布泥棒というマイナスの印象からゼロへ。いや、ほんの少しだけプラスへ。
しかし心を通わせている暇はない。ただ一発を凌いだだけ。
未だ危機は去らず、巨人の腕が高々と掲げられている!
「ぎゃああ! もう一回助けて兵馬!」とプリムラが騒々しく叫ぶ。
「や、真上から来られると無理なんだ。受け流せない」
「え? ダメじゃん」
あっさりとお手上げを示した兵馬に、詩乃は見直したという感情を空に散らす。
「けど、大丈夫さ」と兵馬は笑い、そして視線は巨人の頭よりも少し上へ。
「うおらァァアア!!!」
気合一声、巨人と隣接した建造物、その屋根の上から降ってきたのはリュイスだ。
手に軍刀を握り、落下の勢いままに——力任せの大断撃!!
今にも強打を放とうと天高く掲げられていた左腕、その手首から肘、二の腕へと掛け、縦に斬痕が刻まれる。
瞬時に思い切りよく、脇の位置までを切り裂いたリュイスは巨人の脇腹を蹴りつけて器用に落下の方向を転換。
兵馬の隣へと降り立つ!
「よう、生きてたか大道芸人」
「今別れたばかりじゃないか」
「普通一発目でぺしゃんこだぜ? やっぱお前、怪しいわ」
そう告げるとリュイスは剣を面前に、重心は低め。軍隊剣術とは違う我流の型だ。型に嵌まらず野生的に、しかし騎士らしい華も感じさせる刃の流れ。
細かな効率はわからないが、自身では戦いやすいと思っている。
「無茶するね、リュイス」
「私も手伝うよ!」
追いついたルカとアイネが各々の武器を構え、詩乃とプリムラも銃と腕砲の照準を定め直す。
兵馬はリーチに優れる巨人に対抗するべく長柄の斧槍、ハルバードを手に現して継戦の構え。
即興ながらに陣形を整えた六人を目の当たりに、青年フランツの口元に奇笑が浮かぶ。
「あぁぁぁあぁゴミがたくさんだ。こんなんじゃダメだダメダメだダメだ」
ピスカの右掌、フランツは頭を抱えて体をよじり、苛立たしげな声を絞り出しつつ全身で懊悩する。
「うるせえ」
「同感」
声はリュイスと詩乃。構うかとばかり、それぞれが三、四度と引き金を引いている。
撃ち込まれる銃弾、そして散弾。十二分に殺傷せしめるだけの弾丸がフランツへと噛み付いている。
しかしやはり、ルカが弾丸を放った時と同様、銃痕から触手めいた肉塊が膨れ上がる。
紅血でなく緑色の体液が滴る様はグロテスクで、アイネとプリムラは顔を引き攣らせている。そして肉塊は傷口へと収まり、傷は跡形もなく消えてしまった。
「ドニ様ぁ、僕もう疲れました」
弾丸を受けたことを意にも介さず、気だるげに口を開いたフランツ。そして彼は、懐から取り出した何かのスイッチを無造作に押した。
「ドカァンとね」
──爆音!!!
地響きに街が揺れる。あまりの振動に、兵馬やリュイスらはバランスを崩して膝を付く。
と、地下へ続く大穴から爆風が吹き上げる!!!
「あぁ!? 何の爆発だよ!」
リュイスが叫ぶ。驚くのも当然、爆炎が上がったのは大穴からだけではない。
マンホールや水道管、地下と繋がるありとあらゆる箇所から炎が噴出し、街は一瞬にして火の海へと姿を変えた。
その様相は煉獄めいて、業火に軋む大気。その只中に人々の悲鳴が入り交じる。顕現した阿鼻叫喚の中、唯一状況を理解しているルカが問い掛ける。
「フランツ、君がやったのか?」
問いを受け、稚気混じりにケラケラと嗤うフランツ。ルカはそれを肯定と取る。
「地下にはシャングリラの構成員が大勢いたんじゃないのかい?」
「何人死のうが関係ないね。ここの連中は末端、金で雇われてるだけ。“家族”じゃない」
「それよりも……」と言葉を継ぎ。
「証拠を残す方がよほど不利益さ」
あくまで感情論を抜きにすれば、ごく合理的な判断だとルカは考える。
ボタン一つで大爆発。そう聞けば大雑把なようだが、これほどの規模で爆破してしまえば何の証拠も残らない。
元から棄てても構わない施設で、一任されていた投棄の判断を迷わず下してみせたわけだ。
「えっと、とにかくあの人は悪人なんだよね?」とプリムラ。
「あいつを捕らえりゃ万事解決ってわけだ」とはリュイス。
確かにその通り。ルカは頷いてみせる。
これだけの権限を与えられている人物、テロの現行犯。フランツを逃す理由は一つもない。
それを受け、詩乃が発砲。散弾が巨人の体表を叩いたのを皮切りに、戦闘が再開される。
「ええいっ、『灼々星!』」
アイネが素早く詠唱を終え、人食い狼を仕留めた魔術、星のように輝く炎が巨人の半身を包み込む。
同時、プリムラが砲撃と射撃を惜しげもなく撃ち込んでいる。
その間隙を縫って兵馬。長大なハルバートを器用に取り回し、長柄の遠心力を活かした大斬撃を繰り出していく。
「まだまだァ!」
「併せて行こう」
リュイスとルカが左右から飛びかかる。親友にして戦友、息の合った剣が交差して鋭斬!
一斉の攻撃を受けながらも、巨人がたじろぐ様子はない。上腕部や背部には謎の器物、機械めいたパイプやコードが付随している。
あれは一体……生身の体ではないのか? しかし兵馬の斧撃はかすかに傷を刻み、その斬り口からは赤い血が滲んでいる。
戦闘の中、ピスカの腕に庇われているとはいえ、猛攻に晒されている。それでもフランツはなお冷笑を崩さない。
「騎士と旅人がたったの六人、その程度じゃピスカは潰せない。本気でやるなら大隊でも連れてくるんだね」
ピスカが咆哮する!!!
「オ゛ア゛アアアアアアア!!!!!」
怪声。巨人の咆哮は不吉にざらつきくぐもって、ひどく耳障りなノイズだ。
どこかに地獄が実在するならば、あるいはこんな異音が響き渡っているのだろうか。
鼓膜に痛烈な振動を与えられ、兵馬らは思わず耳を塞ぐ。
「うるっ、せえな……!」
不快げに叫ぶリュイス。三半規管の揺れに足が止まっていて、フランツはそれを見逃さない。すかさずの指示に迫る巨拳!!
「ガッ、ふ……!」
「リュイス!」
巨人の拳を受け、リュイスが跳ね飛ばされたように宙を舞う。
致死? いや、案じて叫んだルカへと手を挙げて反応を返している。
殴打の瞬間に身を引く事でわずかに威力を殺したようだが、石塀に叩きつけられた衝撃に肺の空気が漏れる。
瞳に闘志は失せていないが、痛む全身に立ち上がれない。
ピスカの蹂躙は続く。
拳が地を薙ぎ、路上の敷石が弾丸のように弾け飛ぶ。アイネが肩に、プリムラが腹部にそれを受けてしまい負傷。
続けざま、電柱を軽々と引き抜いて強振を。
一振、二振と兵馬はそれを辛うじて避けるが、巨人の身に疲労はなし。
「す、スタミナありすぎ、だろ!」
死の強振はさらに続く。
五度、六度、器用に避け続ける兵馬にも疲れの色が見え、そこへルカと詩乃が銃撃で援護する。
しかし巨人は当たる弾丸を意にも介さず、次の一撃が兵馬の左半身を掠めた。
シャツの袖を引っ掛けられ、よろけた兵馬の二の腕からは出血が。
眼前の巨人はあまりに強い。
たちまちのうちに四人が負傷、無傷で残るは詩乃とルカだけ。
二人は初対面だが、互いに顔を見合わせて以心伝心。
「……逃げよ」
「だね」
ダメージの深いプリムラとリュイスに二人が肩を貸し、兵馬とアイネは自力で。
六人は逃げる!!
「うおおおおおっ!!!」
「ぎゃあああああ!!!」
誰ともなく叫び、悲鳴を上げながら脇目も振らず逃げる。燃える街の中を逃げる!
「ハハハハ! 勘弁してくれよ、騎士サマが随分と笑える姿じゃない。滑稽、ブザマ、情けないなぁ!」
飛翔するピスカ、煽り口調にフランツの怪笑が背後から迫る。だが立ち止まらない、言い返さない。掴まれれば一貫の終わりだ!
だが、逃げると言ってもどこへ逃げればいいのだろうか。相手は翼持ち、生半可に逃げたところで追いつかれるのは時間の問題だろう。
燃える、爆ぜる。
地下から吹き上げる炎だけではない。爆弾は地下だけでなく、田舎町の至る所に仕掛けられていた。
フランツの起爆に従い、絶え間ない炸裂が夜に爆華を咲かせ続けている。
悲鳴、逃げ惑う人々。その上空に巨人が舞い、兵馬たちとの死の追走が続いている
「っぐ……!」
爆破の瓦礫にルカが傷付く。
巨人の拳が地を揺らし、プリムラを支えていた詩乃が足を挫く。無傷の二人までが傷を負い、一行の歩みがわずかに鈍る。そこへ追撃の殴打!!!
リュイスと兵馬がそれぞれの武器を呈して受け止めるも、それは辛うじて。歪む顔面に無理は明らか。
「ぐっ……、馬鹿力が!」
「受け流したのに、腕が潰れそうだ!」
刻一刻、追い詰められていく。
街人は一つの方向を目指して逃げていく。
街の北に位置している駅だ。今は夜で列車が出ているわけではない。だが直面した危機から逃れたいという意識が、足を駅へと向けさせるのだろう。
……群衆の波、波。
その真ん中を裂くように、一人の女性が歩いてくる。
上がる爆華。夜闇が朱に染まり、その女性の容貌が照らされる。
美しく、気品のある目鼻立ちだ。
肩よりも長く、薄く桃が入った金髪が靡く。横に揃えられた前髪は、見る者へと楚々とした印象を与える。
すらりと細身の体躯に纏う鎧は白銀。右腕を真横、水平に伸ばし……握られた剣が輝いている。
人波にまるで構わず、逆らって歩く彼女の瞳に、やがて映るのは飛来する巨人、創痍で逃げる六人。
そして彼女の部下、リュイス、ルカ、アイネ。
「随分と苦労しているようだな」
麗と。悲鳴と喧騒の中、リュイスは彼女の声を、姿を捉える。
“助かった!!”
自身らの上官の姿を見た瞬間、リュイスら三人が抱いた安堵は共通にして絶対。
「アルメル隊長ッ!!!」
リュイスの喜声に軽やかに、怜とした笑みを返し、彼女は……
“六聖”、アルメル・ブロムダールは凛然と、醜悪の巨人に対峙する。