五百三話 薔薇と蜘蛛
惚れっぽく思い込みが激しく狂信的。それでいて相手に対して勝手な理想を抱き、その枠から外れると怒りを覚える。
ドロテア・ラウラという女性の恋愛観を旧人類基準に直すとすればそんなところだろう。
そこに長期に渡りハーラルトらから暴力で支配されていた経験が相まって、コミュニケーション手段が歪んでいる。
0か100か。憎悪するか絶対の好意を燃やすか。そんな人間関係を作ってしまいがちな性格だ。
エフラインという愛情の向け口を見つけたことで十聖奏に任じられて以来は彼女なりに安定していたが、そこに舞い込んだのが今回のトラブルだ。
半狂乱かつ投げやりになりかけていた、そこに彼が現れてしまった。
流星の如く、文字通り空を駆けて、宮殿の壁を突き破って。
「好きよ! 好き! 兵馬樹っ、あなたのこと、一目見た時から大切な愛おしさが胸の底から湧き上がってきたの! あなたも私のことが好きだったのね? 佐倉詩乃なんかよりも! あぁでもごめんなさい、あなたは少し遅すぎたわ。私もう見つけてしまったの、こんな愚かな私を受け入れてくれる最高の方、エフライン様を。だからあなたに愛を返すことはできないのだけれどそれってすごく申し訳ないじゃない? わざわざ来てくれたのだからここであなたを絞り殺して私の功績にしようと思うの。ありがとう。ありがとう兵馬樹、あなたのおかげで私またエフライン様の元に戻れそう!」
「ガンギマリじゃないか」
ドロテアの長口上を引き気味に聞きつつ、兵馬は「師匠!」と嬉しそうな顔を向けてくるロッタを見た。
その隣にいる芙蓉は何やらやたら焦りながら「我は裏切ってないゾ!」的なアピールを口にしていて、そんな二人は肩を並べて負傷したジョーを庇っているように見える。
「そうか、良かった。裏切ったわけじゃなかったんですね」
それとなくだが事情を察して兵馬が手を上げると、ジョーは苦しげな顔で片手を曖昧に上げ返してきた。
そこで兵馬の背後からプリムラが顔を覗かせる。
「ロッタぁ! 無事でよかったー!」
「うん、プリムラも。それよりも詩乃が! 詩乃はもう一人で聖主の間に向かってる!」
「うへえ! エフラインのとこに!?」
プリムラが素っ頓狂な声を上げた瞬間、その驚きに呼応するかのように白亜宮が揺れ始める。
「えっあれ? わたしのせい?」とプリムラが慌てるが、流石にそんなはずがない。白亜宮がついに上空への打ち上げフェーズに移行しようとしているのだ。
白亜宮が成層圏へと到達してしまえば、この城に組み込まれた増幅器で威力を増した聖主の太陽が猛威を振るう。
兵馬たちがその後にエフラインを討てたとしても、地上で奮戦を繰り広げている抵抗軍は太陽砲に撃たれて壊滅した後だろう。それでは駄目だ。
何より、詩乃が危ない!
「師匠、プリムラ、行って。ここは私たちがなんとかします」
「うん、任せた!」
兵馬は迷わない。ロッタの実力、芙蓉の加勢、負傷したジョーを守りながらという不利要素。さらには狂乱のドロテアの戦闘力。
それら全てを図った上で、この場をロッタたちに任せることに決めた上で通路へと走る。
幸い、飛空艇の追突を受けて通路を埋めていたドロテアの髪束はばらけている。駆け抜けるなら今だ!
「ねえ何を言っているの? 行かせはしないわ。せっかく来てくれたんだもの、踊りましょう? 歌ったっていいわ。ふふっ、歌うのなんて何千年ぶりかしら。それくらい気分がいいの! 私ったらきっと躁鬱ね! あっは! 最っ高ぉう!」
「クセが強いな……!」
「兵馬っ、兵馬樹! ここで私の糧になってくれるのよねえ?」
「遠慮しておくよ、君は暗いし怖すぎる」
「そうかもしれない。でもそれって私のせいじゃないの。誰も私を助けてくれなかったからよ。みんなが悪いの。私のせいじゃないでしょう? 大丈夫、恥ずかしくて歌えないなら歌わせてあげるわ? 耳や口から髪をねじ込んで、肺と声帯を内側から震わせたら音が出るのよ。囀らせてあげる!!」
床を食い破って土竜のように、壁を噛み荒らして嵐のように、ドロテアの髪が雪崩の勢いで兵馬の背を追う。
粘着質な性格だ。もう愛情はエフラインに移ったはずなのに、表情を見るにまだ兵馬への執着を残しているらしい。
そんな背後からの追走に表情を曇らせながら、プリムラがうわぁと呆れたように口を開く。
「兵馬って暗い子にモテるね」
「この状況で言われても嬉しくないな!」
「あっははは! 兵馬樹ぃ、ほぉらァッ!!」
殺到する髪の波濤が行先を塞ぎ、兵馬たちを捕らえようとした——瞬間、突如。
夜のように黒々とした薔薇が、ドロテアの視界いっぱい一面に咲き乱れた。
これは何? 思考を硬直させたドロテアの背後から、たっぷりの侮蔑を込めた、さも底意地の悪そうな女の声が響き渡る。
「あらあらあらぁ。そんなに遊びたきゃ私が付き合ってあげましょう。根暗女ァ!!」
ミアズマからの援軍はゼロと竜の群れだけではない。
消耗したロッタたちだけにドロテアを任せる判断をしたわけでもない。
現れたのは帝守十三機双児宮。
榊との戦いを生き残った片割れ、ダリアは口端を釣り上げて嗜虐的に笑う。
極まった可燃性を仮初めの形にしたような黒薔薇は、大気に触れただけですぐさま燃え上がる。
大火炎上!!!
広間の空気を暴食しながら、キュゴと鋭い音を立てて黒焔が爆ぜた!
野放図に広がりまくったドロテアの髪に黒火が灯り、瞬きの間に大量の髪が炭化して塵へと変わる。
「なんて火力……!」
「フン、あの性悪女はアレだけが取り柄サ」
負傷したジョーに応急手当てを施しながら息を飲むロッタ。
その隣で黒炎を見つめながら、芙蓉は面白くなさげに舌打ちを鳴らす。彼の格闘術は兵馬に勝るとも劣らないが、膨大な物流に対する火力不足は否めない。
タンパク質と硫黄。髪に含まれた成分が焦げると臭い。ツンとした臭気が漂う中、飛空艇から現れた三人目の乱入者に対し、ドロテアは心底からの不快感を露わにした。
「また自律人形? ガラクタ風情に用はないの……!」
「はぁ〜やれやれ嫌ねえ陰気な女って。長ったらしい髪を垂らして未練がましくグダグダグダグダ。そんなことだから誰も助けてくれなかったんじゃあないのぉ? 結局のとこ当人の魅力不足。その一言に尽きるわねぇ」
ドロテアの顔が引きつった。ダリアの愚弄は彼女の琴線を見事に刺激したらしい。
とびっきりのハイテンション、躁状態から一転、表情を濁らせ、瞳を潤ませながら髪を荒ぶらせる。
「……潰してやる」
「はっ、バァカ」
ダリアがパチンと指を鳴らすと、また咲いた花園が黒く燃え上がる。
神崎アンナは死んでいない。彼女の遺志はまだ生きている。
ダリアにとってはユーライヤがどうなろうとも興味はないが、立場の板挟みになりながら迷い続けた神崎が今生きていたなら、きっと迷いなく詩乃を救いたいと願うはずだ。
キュラスはいない。仇の榊も打ち倒された。ダリア自身の望みはもう何もない。
なら今は、神崎の思いを継ぐために生きてみよう。
「兵馬樹ぃ。行く前にアレ、寄越しなさい」
「こいつでっ、頼みます!!」
赤布を振るい、兵馬は去り際に巨大な何かを場に残していく。
それは異形の大型傀儡、帝守十三機の余りパーツの寄せ集めで構築された奇々怪々な多足人形。神崎アンナがその生涯最後の戦いで用いた切り札“土蜘蛛”。
操作は複雑極まるが、彼女は独学で会得してみせた。黒薔薇と土蜘蛛の両使いが今の彼女の戦闘スタイルだ。
その操り糸を指に嵌めると、ダリアは片手でクイクイとドロテアを煽る。
「ユーライヤくんだりまでわざわざ足を運んでやったのだし、メンヘラの丸焼きってのも乙かしらねぇ?」
「ああぁ苛立つウザい鬱陶しい……私の邪魔を、しないで!!!」
絶叫と共に戦いが再開された音を背に受けながら、兵馬とプリムラは詩乃の元へと急ぐ。




