★三話 ユーライヤの騎士たち
ユーライヤ教皇国。
何世紀にも渡る歴史と広大な国土、語り継がれる建国の神話が特色の、この物語の中心地。
その国土を長く長く、大陸横断鉄道が縦横無尽に貫いている。
詩乃とプリムラ、それに兵馬が乗っているのがそれだ。
その線路脇に……
「リュイス、どうだい?」
「あーダメだな。こっちには見当たんねえ」
「アイネは?」
「こっちにもいないみたい」
二人の青年と、それに一人の少女の姿が見える。
彼らは一様に周囲を見渡し、何かを探すそぶりを見せている。
青年たちは揃いの衣服、白基調の騎士服に青いマントを羽織っているのが目に付く。
少女は何やら奇抜な衣装を纏っているが、三人の服には共通した装飾が施されている。軍章だ。
どうやら三人はこの国、ユーライヤの国軍に属しているらしい。
アイネと呼ばれた、奇妙な帽子を頭に乗せた少女が喋る。
「ルカはー?」
「や、僕の方にも……おっと。来たみたいだよ」
ルカ、そう呼ばれた青年は腰からわずかに反りのある軍刀を抜き、モヤのかかった湿地帯の先を見据えた。
細身に中背、薄い顔。どこか茫洋とした印象を与える青年だ。
……視線の先から響く唸り声。
『グァウ!!』
地鳴りのような咆哮、駆けて猛然!
人よりも遥かに巨大、常識外に巨体の狼が姿を現し、ルカへとその大牙を向ける。
「僕を食べたって美味しくない、よっ」
ルカは巨狼の突進からゆらりと身をかわしつつ、横薙ぎに胴体へと一撃を加える。
撫でるような一閃は力感薄く、野獣の勢いを頼みに刃傷を刻みつけた。
「アイネ、頼むよ」
「任せてっ!」
少し離れた位置にいたアイネが走る。
ぬかるんだ湿地を進むごとに、帽子の先に付けられた丸い装飾がふわふわりと揺れている。
やがて狼の全身を視界に捉えたアイネは「でっか!」と一声驚き、特有のリズムで詠唱を諳んじ始めた。
「“英魔、爛々たる星団。赤舌以て忌憚を薪炭と成せ!”」
言葉と共に、火を司るマナがアイネの周りへと大量に結集していく。
集中、イメージ、詠唱。先のエーヴァが唱えていたのと同様、超常を成す魔術の発動だ。
『灼々星!』
アイネが持つのは魔法のステッキ……ではなく“鎌”。
その先端から、星を思わせる煌めきを伴った大火炎が放射される。
体長が4メートルにも及ぼうかという狼の全身を包み込む炎の奔流、これにはさしもの巨狼もたまらす、『ガアア!』と苦悶の咆哮を上げた。
「リュイス!」
アイネが叫ぶ。
応え、最後の一人。黒髪を背で無造作に結わえた青年騎士が狼の正面へと現れ、その腰剣をスラリと抜き放つ。
「どうやら年貢の納め時らしいぜ? 人食い狼さんよ」
火傷を負った狼は吠え、リュイスへと突撃を敢行する。
深手を負い、怒り狂った巨狼の突進。それはトラックが迫ってくるかと錯覚するほどの圧力だ。
だがリュイスは動じない。右手には剣を握ったまま、まずは左に軍仕様の拳銃を構えて発砲した。
一般的な拳銃と比べて長めの銃身、その銃口が三度火を噴く。
タン、タン、タンと、弾丸は目、首、前脚へ!
急所への攻撃、そして脚への被弾で狼の速度がはっきりと緩んだ。
そこへリュイスが疾駆!
褐色の毛並みの凶狼。その首筋へとすれ違いざま――閃斬!!!
頑強な拵えの軍刀が狼の硬毛をかいくぐり、肉を捉え、骨へ。ゴリリと擦れる質感、委細構わず振り抜く!!
「だァ……らッ!!!」
裂帛の気勢と共に、リュイスの剣がついに空を割いた。
見事な一太刀、三日月に散る赤の滴。口にベッタリと人食いの血痕を残す、凶暴な狼の首を刎ね飛ばしてみせたのだ。
「相手が悪かったな。俺は最強を目指す男だからよ!」
「うわあ、何を言ってるんだか」
「はずかしっ」
リュイスが切った見得にルカとアイネが微妙な表情を浮かべつつも、これで任務は見事に終了だ。
三人は集い、パチンパチンとハイタッチを交わし合った。
「いやぁ、ルカが一口ぐらい齧られても面白かったけどな」
「その言葉、そのまま返すよ」
二人の騎士、リュイスとルカは気安く言葉を交わし合う。
歳は揃って二十歳を幾つか過ぎた程。互いに無遠慮なその様子からは、仲の良さを見て取ることができる。
「ねえねえ、私の魔法かっこよくなかったかな?」
そんな二人へ、触媒の鎌を捧げ持ったままにアイネが声を掛ける。
「ん? おお、まあまあだな」
「そこそこね」
「なんか扱いが適当だよ!? 一番ダメージ与えたのはたぶん私なのにー!」
そう言って鎌をブンブンと振り、アイネは小柄な体躯で怒りを表現する。
彼女の歳は14歳、リュイスとルカとはそれなりの開きがある。
いずれも軍属だが、同僚というよりは歳の離れた兄二人と妹一人。傍目にはそんな印象の三人組だ。
リュイスがヘラヘラとからかい、ルカが程良いところでフォローに回る。
そんな関係性が構築されていて、年齢差はあれど、互いに気心の知れた仲間同士。というのも、三人は同じ部隊に所属しており、基本的にセットで任務に臨む機会が多いのだ。
「お疲れ様です!」
狼の討伐を確認し、遠方から一般兵が敬礼を伴い走り寄ってきた。
その仕草からは畏敬の念が垣間見える。
リュイスとルカは一般兵よりも上等に位置する騎士であり、そしてアイネは魔術のエキスパートとされる宮廷魔術師だ。
そう、エリートである。
「おう、後はよろしくな」
軽く告げて後処理を兵士たちに任せ、リュイスらは連れ立って部隊との合流点へと向かっていた。
「だからね、大気中の魔素濃度が過度に高まってマナ溜まりが発生する事によって野生動物が変異、凶暴化したのがモンスターと呼ばれる存在であって……」
「あーわかった、もうわかった。御託が長ぇんだよアイネは」
訳知り顔、人差し指をピンと立てて語るアイネの帽子をポフポフと叩き、リュイスは話を途中で遮った。
「ひどい! リュイスが狼の大きさを不思議がってたから教えてあげてるのに!」
リュイスたちが戦った湿地帯から離れて1キロと少し。駅沿いの小さな町、エルタがリュイスらの属する部隊の集合地だ。
彼らの所属はユーライヤ軍に六つ存在する精鋭部隊の一角である『アルメル隊』。今回の任務には十人と少しが動員されていた。
アルメル隊は剣技に長けた騎士を中心に編成されており、六部隊の中で最も戦闘員としての色が強い。
だが、そこは騎士。
高貴なる者の義務を気取るわけではないが、決して血の気が多かったり気性が荒かったりという事もなく、町の酒場では任務を終えた彼らの和やかな談笑が華を咲かせている。
やるなぁお前ら。
お手柄じゃねえか。
狼はどんなサイズだった?
齧られなかったか?
リュイスらが酒場へ踏み入れるやいなや、同じ服装の騎士たちが口々に三人へと親しげに声を掛ける。
そんな声へと朗らかに返し、リュイスはカウンター席へと腰を下ろした。
「いやいや湿地帯ってのはどうにもしんどいね。お疲れ様だ、リュイス」
「お前もな、ニコラ」
集った騎士たちの中でもとりわけ親しげに、リュイスはニコラという青年から手渡されたグラスを煽り、そしてむせる。
「ゲッホ!? 酒じゃねえか!」
「おや! リュイスは酒は駄目だったかい?」
「俺は下戸だっていつも言って……何度やるんだこのやり取り」
そう言って苦笑するリュイスの横で、ルカは同様にニコラから手渡されたグラスを一息に飲み下した。
そのまま顔色一つ変えず、店員へともう一杯を要求する。
「ルカはうわばみだねえ」
「バカみたいに強えな。薄い顔のクセしてよ」
呆れた風のニコラとリュイス。どこ吹く風で、ルカは三杯目を喉へと落とし込んだ。
アイネはさらに一席隣、高い椅子に足を浮かせながらココアをズルズルと啜っている。
背後、ギイと扉が軋み、酒場にもう一人騎士が入ってきた。
リュイスたちより年上、三十路手前といった風体の男性だ。
騎士服を軽く着崩し、その上に外套。頭にはこじゃれたハットを乗せている。
「遅いっすよ副隊長」
「やあすまん、全員揃ってるか?」
彼の名はケイト。アルメル隊の副隊長を務めている人物だ。
ツカツカとカウンターまで歩み、店員から水を受け取ると一息で飲み干した。
「任務は終わりで、これから引き上げるわけだが……えーと、ルシエンテス」
リュイスの苗字だ。呼ばれ、顔を向ける。
「なんですか」
「お前はルカとアイネと共に、この街の調査に残れ」
「は、いやいやちょっと副隊長! なんで俺らが! 面倒臭え!」
諸手を上げ、噛み付かんばかりの勢いで抗弁するリュイス。その様子にケイトは首を傾げる。
「お前、いつもは残留任務を喜ぶだろ? どうした」
基本的に、早めに終わった出張任務での残留は騎士たちにとって羽を伸ばせる好機だ。
希望を募れば我が我がと殺到するのが常で、アルメル隊には一番手柄の隊員が残留するという暗黙のルールがある。
横から、ルカとアイネがニタリと笑って口を挟む。
「明日が彼女の誕生日なんですよ、リュイスは」
「愛しのカタリナさんのね!」
「バッカ! あいつは幼馴染で、彼女とかそういうのじゃねえよ!」
上げた両手を振りおろす。拳がカウンターを叩き、グラスの水面が微かに揺らぐ。
動揺も露わ、まるで思春期真っ盛りの少年のような反応だ。
ともかく、事情を理解したケイトは苦笑を漏らしてそれを受ける。
「ああ、そういう事なら申し訳ないなぁ。だが今回は隊長直々の使命でね」
「げぇ、アルメル隊長の」
上官の名前に、リュイスは渋々と抗弁を諦める。
隊に名を冠する隊長は、彼ら騎士たちにとって絶対の存在なのだ。
「シャングリラの麻薬売買の拠点になっている可能性がある。探ってくれ、と」
「麻薬ですか」
ルカが神妙な表情を浮かべ、視線を交わしたケイトが頷く。
蔓延り、世を蝕む麻薬。それはユーライヤ教皇国における社会問題と化している。
『シャングリラ』を名乗る宗教組織の資金源となっている……と軍内部で目されているのだが、証拠がない。
その拠点の調査となれば、それなりの重要な任務となる。
だがケイトは気安い調子。前向きな性格なのと、リュイスたちの腕前を信頼しているのとで半々。
リュイスへ任務の詳細が書かれた書面を手渡すと、撤収していく騎士たちの最後尾で酒場から退出しつつ、ヒラリと軽く手を振った。
「ま、頑張りたまえ青年。恋も仕事もな」
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リュイスは街を歩く。不満に肩を怒らせ、憮然とズカズカと。
……よくよく見りゃ、ラリったような奴だらけだ。
電柱に頭を打ちつけて楽しそうに笑ってる奴がいる。
ガキが大事そうに持ってる綿菓子を奪おうとして、挙句負けてるアホも。
いい歳した大人が道端にしゃがみこんでると思えば、やたら熱心にアリの行列を数えてやがる。
へらへら笑う男が俺の肩に手を掛け、どこかネジが緩んだような声で問いかけてきた。
「楽しい~?」
「うっせえ」
鼻筋に裏拳を当てて振り払う。
「キライ!」と頓狂な声で捨て台詞を吐いて逃げていく男。俺もお前らの事が嫌いだよ。
それはこの街に限らない。最近世間にはこんな調子の連中が溢れてる。
しょっぴいて麻薬の検査に掛けたりしてみても反応は出ない。どうなってやがる。世も末だぜ。
夕暮れの中、汽笛の音が鳴り響く。
発車の合図ではない。長距離を走行する鉄道は、一定の距離ごとに駅で一晩の停留をして点検を行うのだ。
レール上、整備員たちが汽車の周りに集っているのが見える。乗客たちが続々と駅の改札から現れる。
旅人たちは一晩をこの街で過ごすのだろう。列車の整備拠点の街、多くの旅人たちが足を留める休息地。
ゆきずりの街角。だからこそ、麻薬売買の温床となるのだ。
騎士服ではなく私服で一般人の中へと紛れ、リュイスは眉を潜め、駅の柱にもたれかかる。
行き交う人々はそれぞれに大荷物を抱え、夕食へ、宿を取りにとめいめい街へ散っていく。
「ったく、さっさと調査を終えて帰りたいもんだぜ」
ルカとアイネとは別れて行動をしている。
気を紛らわすための話し相手もいないことが、リュイスの退屈と不機嫌を一層加速させる。
旅行者に紛れて怪しい人影はないか、旅行者を路地裏へと呼び込む者はいないか。
目線を尖らせるが……元々、忍耐強い方ではない。既に集中力は失われつつあり、くぁと欠伸を漏らす。
駅前の看板の一枚。宮廷歌手の“リーリヤ”の横顔をぼんやりと眺める。
「カタリナがファンだったな、そういや」と呟き、頬を掻きながら構内を流し見ていると。
「ん、なんだありゃ」
リュイスの目が不審者を捉える。
青年だ。
にこやかな笑みを浮かべ、行き交う人々を呼び止めようと声を掛けている。大道芸人だろうか。
「紳士淑女の皆々様! さあさあ十秒止まってお立ち会い。私の大道芸をご覧あれ!」
そう声高に、キャトルマン型のカウボーイハットを頭に乗せた青年は数本のクラブをひょいひょいと宙に投げ上げ、ポロリと取り落とす。
「ああ……」と漏らし、拾う姿が哀れを誘う。
「アレで大道芸人? 下手すぎんだろ」
ふと、リュイスの嗅覚が鋭敏に働く。
この街の麻薬の売人は、一般人や無関係な職業を装っている事が多いと聞く。
(アイツ、怪しくねえか)
そう踏んだリュイスは、大道芸人へと歩み寄っていく。
「おっとお兄さん! お立会いお立会い!」
寄ってくるリュイスに気付き、青年は意を得たりとばかりにクラブを構え直す。
「お見せするのは精緻の妙技! 上手くいったらどうぞ拍手と小銭を!」
「ん、おう」
頷くリュイス。青年はクラブを投げ上げ……
「あっ」
「痛え!!」
宙をクルクル、華麗に舞ったクラブがリュイスの脳天を強かに打ち据えた。
続けて、狙い澄ましたかのように二、三本とクラブが頭へ。
ゴツ、ゴツンと痛打。200gと少しとそれほど重いものではないのだが、回転が付いている分ダメージは深い。
当然リュイスは怒り心頭。それほど気の長い方ではない。
「や、これは失礼を」
慌てて頭を下げる青年の腕を掴んでガチャリ、問答無用の手錠が掛けられる。
「国軍騎士、リュイス・ルシテンテスだ。全体的に怪しいテメェを逮捕する」
「な!? そんな、横暴だ! ちょっと芸を失敗しただけじゃないか!」
「今のは兵馬が悪いよー」
「だね、兵馬が悪い」
「あん?」
今の今まで気が付かなかったが、大道芸人の青年の背後。
お嬢様然としたのと、民族衣装と。二人の少女が敷石の段差にハンカチを敷いて腰掛けていた。
「酷い! 庇ってくれよ!」
兵馬というのが青年の名らしい。珍しい名だ、東洋人だろうかとリュイスは考える。が、ともかく連行する事には変わりない。
「詩乃! プリムラ!」
兵馬は慌てふためき、知人らしき二人の少女へと必死の懇願。その姿はなんとも情けない。
「実際、不審者だし……あ、騎士さん。その人私たちの財布を盗みました」
「言わないでくれよ!」
「ほおう、やっぱな。怪しい野郎だと思ったんだ」
「留置場にでも泊めてもらいなよ」
詩乃がジトリとした目で通報し、ケラケラと笑いながらプリムラが追従する。
「知らないぞ! 護衛がいないことで危険があるかもしれないのに!」
「おら、行くぞ不審者」
リュイスが兵馬の襟首を掴み引きずる。
知人らしき少女たちが不審者だと言うのだから、リュイスに遠慮しなければならない節はない。
「ほら抵抗すんな。スリで、おまけにストーカーか? 薬やってねえか検査もするからな」
「くそう! くそうっ!」
ズルズルと地面に跡を残しつつ、兵馬は騎士の詰所へと姿を消した。