十六話 幼馴染の関係性
飲食店から灯りが消え、街が眠りへと向かう頃。二人の青年が肩を並べて歩いている。
「おおっ、ブルっと来た。まだ夜風は冷えるね」
「まあ、春はこんなもんだろ」
二人は騎士姿。夕食を終えたリュイスと、その友人ニコラだ。
少しコミカルな仕草で身を竦ませたニコラへ小さく笑いを向け、足元の空き缶を拾って路傍のゴミ箱へと投げる。
カランと良い音を立てて見事に中へ。
それからリュイスは、手にした包みへと視線を落とした。
「なあ、これで大丈夫だと思うか?」
「大丈夫って、何がだい」
「プレゼントだよ」
柔らかい色味の赤、包装紙の中身は小箱。その中に入っているのは、リュイスが好意を寄せている幼馴染カタリナへの誕生日プレゼントだ。
ニコラはわかっていて問い返したようで、からかいの笑みを向けてくる。
「君の彼女だろ? 一番分かってるのは君のはずさ」
「いや……客観的な意見をだな。って言うか彼女じゃねえっての」
遠征先の酒場でも似たようなやり取りをしたことを思い出し、リュイスは苦虫を噛み潰したような顔。このネタでからかわれるのは好きではない。
「僕はカタリナさんとの面識があまりないからねえ、本当にまるでさっぱりわからない。好み次第さ」
「うーん」
煮え切らないやり取りのうち、二人は中流から上流家庭の住居が軒を連ねる居住区へ辿り着く。
リュイスが足を止めたのは、食事をする前にノーラを送り届けた家の前だ。
「おや、ノーラさんに何か用があるのかい?」
ニコラが問う。
リュイスは“トルーマン”とファミリーネームが記された標札の横、チャイムへと触れながら振り返る。
「カタリナはノーラの姉だ」
「ああ、へえ」
頷くニコラは納得の面持ち。呼び鈴が小気味良い音を響かせた。
「はい」と若い女性の声が応じる。
これはノーラの声だ。
リュイスと一言二言を交わし、笑いを含んだ声で「お姉ちゃん!」と呼んでいるのが聞こえる。
ニコラはそこで距離を置くことにする。流石に隣にいるのはどうか、と空気を読んだのだろうか。
友人が去り……と言っても興味本位に少し離れた物陰から様子を伺ってはいるが、一人となったリュイスは玄関先に棒立ちに。
リュイスの実家もすぐそば。カタリナとは片手で数えられる年齢からの幼馴染だ。
数え切れないほど訪れた家だが、緊張するようになったのはいつからだろうか。
もちろん今も関係は良好。周囲から茶化される程度には親密で、休日には二人で遊びに出かける事も少なくない。
そもそも今日も、都合が合えば二人で夕食でもという話だったのだ。
が、カタリナもリュイスと同じく軍属の騎士。所属部隊は異なり、魔術兵の多く属するザシャ隊だ。
雑務に追われてカタリナの帰宅が遅くなり、そのためリュイスはニコラと男二人の夕食を。せめてプレゼントと祝いの言葉をと、遅くに家を訪ねたのだ。
やがてドアが開き、ノーラに背を押されて一人の女性が姿を見せた。
「の、ノーラ。押さなくても大丈夫よ……」
幼馴染同士、どうして今更気まずいのか。それは二人がどちらもはっきりとした態度を示していないからという一点に帰結する。
今日でカタリナが誕生日を迎え、歳は共に23。
幼馴染からの縁で親密。周りからは恋人にも見られるが、告白などはしていない。
西に位置する大国ペイシェンとの大規模な戦争、伝染病の流行。
様々な要因で、ユーライヤの平均年齢は50代にまで落ち込んでいる。そんな事情もあり、国家は若者の結婚を推奨する国策を打ち出している。
小難しい事情はともかく、23歳は既に結婚適齢期なのだ。
それでも二人は親友以上恋人未満とでも呼ぶべき関係性。恋愛脳な妹ノーラにはそれが焦れったいようで、拳を握って姉へと熱いアドバイスを送っている!
「いい? 押しよ。お姉ちゃんもリュイスも変なとこで奥手なんだから!」
「う、うん……」
「お父さんもお母さんもリュイスの事は気に入ってるんだし、今夜は帰ってこなくたっていいんだからね!」
「そんな大きな声で……」
その“アドバイス”はリュイスの耳にも届いているのだが、ノーラはお構いなし。というよりリュイスにも聞かせている。
やがてノーラが引っ込み、玄関灯が照らす中でリュイスとカタリナは向き合った。
カタリナは騎士らしく、清潔感のあるショートヘアだ。
美貌というよりは愛らしい顔立ち。穏やかな目元が柔和な印象を与える。
二人は互いに小さく手を挙げ、やあとばかり挨拶を……と、リュイスは思わず吹き出してしまう。
「フッ、く、クク……」
「もう……笑わないでよ。ふふ……」
リュイスが笑ったのはカタリナの格好を見てのこと。
家族に祝われている最中だったのだろう。カタリナの頭には金色に尖ったパーティー帽が。さらに【本日の主役】と書かれたタスキ。
祝賀モード全開のその姿には笑わずにいられず、そして祝福を。
「カタリナ、誕生日おめでとう」
素直な祝いの言葉に、カタリナは嬉しげに目を細めた。
「ありがとう、リュイス」と少しはにかんだ笑顔を浮かべ……そこから、どう言葉を継ぐべきかがお互いにわからなくなる。
(ノーラの奴、余計な事を言いやがって)とリュイスは内心にため息を吐く。
煮え切らない姉たちを焚きつけようとした。その意図はわかるのだが、奥手な二人にとっては気まずい空気の源にしかならない。
ひゅうと、冷たい春風が街灯を軋ませた。薄手のセーター姿のカタリナは少し寒そうに肩を竦ませる。
「あ、悪い。外に長居させちゃ風邪引くよな」
「ううん、大丈夫」
そう言うと、カタリナは手にしていた飾り気のない上着を羽織る。
上着を持っていたということは、少しの散歩ぐらいなら誘っても構わないだろうか。家族を待たせているはずだが…考えたところで、リュイスは首を上向きに夜空を扇ぐ。
色々と考えてしまう自分がひどく億劫だ。無邪気に遊んでいた頃が懐かしい。とりあえずと、シンプルに一言。
「ちょっと歩こうぜ」
「うん」
肩を並べ、夜道を歩く。
街路樹も石畳も、立ち並ぶ家の数々も、幼少の頃から見慣れた風景のままに何も変わっていない。
歩いてほんの一、二分。住宅街に併設された小規模な公園で、二人は足を止めた。
「ふふ、懐かしいね。昔はいっつもここで遊んでた」
「だな。よっと!」
リュイスは立ち漕ぎをしようと、ブランコへ飛び乗った。が、イメージよりも足幅が狭い!
「うおっ!?」と一声、つんのめり、前方へとよろけながらステップ。転ぶのは危うく回避した。
「いや、ビビったな……」
「バカなんだから、相変わらず」
口元を緩ませるカタリナ。バツが悪く、リュイスは頭をぽりぽりと掻く。
昔は存分に遊べた公園はこんなにも狭く、ブランコはこんなにも小さい。
なるほど、いつまでも子供ではいられないらしい。
だからと言って、ここで告白でもするか? と聞かれればノーだ。
一息に踏み切れるほど成熟はしていないし、また軽薄でもない。
互いをよく知る幼馴染の距離感の難しさ。簡単ではないのだ。
ならせめて、用意したプレゼントには想いを込めて渡そうとリュイスは決心する。
「カタリナ。これ、誕生日プレゼントな」
「わぁ……ありがとう! 開けてもいいかな?」
「大したもんじゃないけど……」
リュイスが頷き、カタリナの手元で細長い箱が開かれる。
中に入っていたのは細やかな装飾が施されながらも決して主張しすぎない、控えめな美しさを湛えたペンダントだ。
「わあ、綺麗!」
そっと手に取り、街灯に翳して笑顔を浮かべる。
豪奢な宝石や金細工は付いていないが、そういった派手な美よりもシンプルな物の方がカタリナは喜んでくれる。
そう考えたのは間違いではなかったらしい。
「蓋、開けてみてくれよ」
蓋付きのロケット型。中に入っているのは写真?
促され、カタリナは蓋を開く。そして表情を綻ばせた。
「あ、音楽」
丸みを帯びたロケットペンダントの内側には、細かな歯車や櫛、ピンにシリンダーが内蔵されていて、見る目に鮮やかに機械細工を成している。そう、オルゴールだ。
「すごい、綺麗……」
流れてきたのはカタリナの好きな、宮廷歌手“歌姫リーリヤ”の代表曲のメロディ。
動力源は内部に閉じ込められた魔力。柔らかな金属音に耳を傾け、カタリナは嬉しそうに目を細めた。
照れに頭を掻きつつ、「高かったんだぜ」とリュイス。
「ありがとう、すごく綺麗」
「そんなもんで良かったかな」
「うん……とっても綺麗」
目元を柔らかく緩め、屈託のない満面の笑顔。
飾り気のない表情。幼い頃からずっと、この笑顔に惹かれてきた気がする。少し見惚れ、照れ隠しに突っ込みを。
「しっかし、相変わらずボキャ貧だな」
「え?」
「さっきから綺麗しか言ってないぜ」
「む。いいじゃない、別に……」
カタリナは聡明な女性だ。が、昔からどうにも会話の中の語彙に欠ける面がある。
時間をかけて文章を書かせれば如才なく流麗なのだが、とっさの言葉は出てこないタイプ。
穏やかで生来の気遣い屋。
そのため相手を傷付けない言葉へ、当たり障りのない言葉へと無意識に流れる癖があり、結果、同じ言葉を繰り返しがち。
リュイスだけでなくノーラや色々な人からからかわれてきていて、指摘に小さく不貞腐れる。
「だって綺麗だし」
リュイスから見ればそんなところも可愛げだ。と、惚気た思考に頭を掻く。
「喜んでくれたなら良かったぜ」
「うん。本当にありがとう……リュイス」
笑みを交わし、少しの沈黙。
長い付き合いだ。互いの隣は心地良く、黙していても気疲れはしない。
お互いに好意を抱いているのは、たぶん間違いない。タイミングとしては今、告白をするべきなのかもしれない。
ブランコ側の鉄柵に並んで腰掛け、夜空を仰いでため息を一つ。
(まだ、このままでもいいか)
切り出せず、ブーツ底で砂を蹴る。
幼馴染で異性の親友。家族にも近い距離感で、もし仮に拒まれたらと思うと二の足を踏んでしまう。
がさつなリュイスだが、この点においてはチキンハートと呼ぶ他ないザマなのだ。
「……そろそろ帰ろっか?」
カタリナが穏やかな笑顔を浮かべる。
「そうだな。お互い明日も早いしな」
そうじゃないだろと我ながらに思うのだが、逃げの一手。煮え切らない態度のままに、二人は肩を並べて家路へ。
「なるほどねぇ」と、そんな二人の背を見送りつつ、公園の影で友人ニコラは“からかい甲斐がある”と悪笑を浮かべるのだった。