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斜陽世界《アフターグロー》に終止符を  作者: 抹茶
聖都セントメリア編
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十三話 虎口のグルメ

 アルベール家から一旦離れ、兵馬は街中をあてどなく歩いている。

 勢いで飛び出してきたはいいが、最大の誤算は財布を忘れてきたことだ。心身を休めるために時間を潰そうにも、これでは店に入ることもできない。


 困り果てる兵馬の背に、「おや?」と二つの視線が注がれる。


 貧民街は夜でも人通りが途絶えることがない。

 粗末な外観の露店が無数と並んでいて、例えば気持ち程度の野菜くずが入ったシチュー、例えば筋張った肉の串焼き、他にも色々と。

 細かな衛生面さえ気にしなければ、多種多様な食事の数々をたったの通貨一枚で楽しむことができる。


 そんな中を兵馬はふらふらと歩いていて、漂ってくる香りに鼻をひくつかせている。


「参った……腹が減ったなぁ」


 胃袋が収縮し、ギュルルと鳴く。

 ケバブを削ぎ切りにしている陽気な店員から声を掛けられるが、へらりと笑いを返して通り過ぎる。重ね重ね、無一文なのだ。


「……んん?」


 道路脇の溝に小さな輝き。目敏(めざと)く捉えた光は小銭だろうか!?

 恥も外聞もなく、兵馬はすぐさま膝をついてしゃがみこむ。そして必死の形相で指を伸ばし…


「ぐ、くっ……クソッ、この金網みたいなのが邪魔で……あっ! 指が挟まった!?」


 側溝にはめられている金網、そこから手が抜けなくなってしまった。これはまずい!

 このまま抜けなければどうなるか? 想像に難くない。……餓死!


「う、おお……! それはごめんだ!抜けろ!抜けろ!」


 小銭を拾おうとしてこのザマ。あまりの浅ましさと胡散臭さに、通行人たちは見てはいけないとばかりに視線を逸らしていく。


 抜けない! まるで抜けない!

 ついに兵馬は手段を選ばず、周囲へと助けを求める!


「だ、誰か手を貸してくれ!」

「……何をしているんだ? 君は」


 背後から声が掛けられる。ああ良かった、助けの手が! 振り向き、そして兵馬は驚く。


「君たちは」


「随分と可哀想な姿ね、アントン」

「そうだねエーヴァ。今なら始末してしまえそうだ」


 どこかで見覚えのある男女二人組。揃って長身、モデルのような美形。

 特徴のない衣服、茫洋(ぼうよう)とした雰囲気に身を包んでいるが、よくよく見れば肉体は鋼の如く鍛えられている。


「……シャングリラの暗殺者か」


 そう、詩乃とプリムラと出会ったあの日、二人へと迫っていた暗殺者の二人だ。


「その節はお世話になったわね」


 女の方、エーヴァが微笑を浮かべる。

 先日は見事に退けてみせた相手だが、しかし兵馬は今、溝に嵌っている!

 馬鹿げた理由、思わぬ危急。兵馬は狼狽(ろうばい)に息を呑む! ……しかし、アントンは手を差し伸べてきた。


「ほら、手を貸そう」


 仮にも刃を交わして殺し合った相手、救いの手を伸ばされたところで易々と信用できるものでは……などということはなく、兵馬はラッキー! とばかりに彼らを頼る。


「いやぁ助かる! 引っ張ってくれ!」

「こちらが言うのもなんだが、もう少し警戒しては?」


 そう言いながらも特に攻撃を仕掛けるでもなく、アントンとエーヴァの二人は兵馬の手首を握り、側溝から抜き取ろうと強引に引っ張る!


「あいたたたた!? もう少し優しくしろよ!!」


「態度が大きいな、君は」

「やっぱり殺しましょうか」


 悪態を吐かれつつも数分の奮闘を経て、ようやく兵馬の片手が引き抜かれた。

 胸を撫で下ろしつつ、改めて二人の暗殺者へと目を向ける。


「いやぁ、ありがとう。で、なんで助けてくれたんだ?」

「そうね、お礼に佐倉詩乃の居場所を教えてもらえるかしら?」


 ふざけるな、と一言で突っぱねるべき場面。

 向こうの二人も答えてくるとは思っておらず、ほんの軽口の類だ。

 けれど兵馬は考える。もちろん教えるつもりはないが、教えるフリで交渉ができないかと。


「そうだなあ、食事を奢ってくれたら考えないでもないね」


 空腹で思考が鈍っているのか、冷酷な暗殺者たちを相手にとんだ浅知恵だ。

 しかしアントンとエーヴァは顔を見合わせる。そして口にした返事は意外にも「いいだろう」というものだった。


「食事を奢ってやろう」


 これには兵馬が逆に驚く。本気で言ったわけではなかったのに。


「奢ってくれるのは嬉しい。けど、居場所を教えるってのは冗談だぜ」


「そうでしょうね。別に構わないわ」

「そこの食堂でよければ連れて行こう」


「……?」


 二人の真意を測りかねる。隙を見て襲う気か?

 しかし耐え難い空腹に負け、兵馬は提案に甘えることにする。


 視線を巡らせる。耳をそばだてる。仮にも暗殺者だとわかっている二人組との食事、違和感は見落としてはならない。

 ほいほいと付いていくことを決めつつも、周囲に仲間が潜んでいないかの確認、いざという時の逃走経路の確認にと、警戒に余念はない。


 しかし暗殺者たちが兵馬を案内したのは、変哲(へんてつ)のない家族向けレストランだった。


 店の名前はミートランド。

 調理服を着た牛のマスコットキャラが、舌をペロリと茶目っ気たっぷりのウインクで鉄板を手にしている。


 言ってみれば、まあ大都市によくある外食チェーンだ。

 時刻はちょうど夕食時、店内は若い男女や親子連れの客で賑わっている。


「ここなら君も気兼ねしないだろう」

「なんていうか、意外だな。暗殺者もファミレスに行くのかい」


 陰惨で得体の知れない暗殺者集団シャングリラ。そこから連想し、食事を取るのはもっと薄暗い、穴倉のような店だろうとイメージしていた。が、真逆。


「私たち、いつもは普通よ? そうでなければ暗殺者とは成り得ないもの」


 エーヴァが微笑と共にそう嘯き、「へえ」と兵馬は相槌。

 言われてみればそうだ。彼らシャングリラが襲いかかってくる時は、市民に擬態(ぎたい)したところから突如襲ってくることが多い。


 普通だからこそ恐ろしいのかもしれない。

 暗殺者とわかった上で向き合っていても、日常風景の中でふと気を抜けば一般人に見えてしまう。

 おそらく組織の中でも上位の手練れである彼らは、とりわけ高い擬態のスキルを有しているらしい。


「あなたは何にする? アントン」

「そうだな、ダブルハンバーグにするか……君は? エーヴァ」


 二人でメニュー表を眺める様子は恋人のよう。

 あるいは兄妹……いや、姉弟か?

 普通の青年に見える彼らは、一体どんな経緯で暗殺者などに身をやつしたのだろう。


(まあ、関係ないさ)


 兵馬は変なところで小物な面がある。

 敵対関係の暗殺者から奢ってもらえるという奇妙な状況にメニューを眺めつつ、だったら少しでも財布にダメージを与えてやろうという思考へと至っている。


「チーズハンバーグにミックスグリル、ペペロンチーノと……ポテトフライを。あとクリームソーダ」


 ウェイトレスへと注文を済ませ、アントンが兵馬へと話しかける。


「よく食べるんだな」

「これくらいは余裕さ」


 どうだ、金を使わせてやったぞとばかりにほくそ笑む兵馬。

 腹が減っているのも事実、三人前くらいは楽に平らげられる腹具合だ。


 暗殺者としてエリートとでも呼ぶべき彼らからすれば、安価なレストランで数人分を支払ったところで大した出費でもないのだが、これで達成感を得られる辺りに兵馬の金銭感覚の貧しさが浮き彫りとなっている。


 やがて、三人の前へと料理が運ばれてきた。


 よほどの空腹だったのだろう、兵馬は切ったそばから肉を口へと放り込み、追って米を口へと運ぶ。がっついている。

 少し味が薄いパスタへと塩を振り、絡めて口に入れてはポテトをつまむ。合間にソーダ、口の油分を炭酸で流す。

 対してアントンとエーヴァ、二人はナイフとフォークを巧みに使い、高い品性を感じさせる仕草で食事を進める。大衆レストランには似合わぬほどに優雅な所作だ。


「それで、佐倉詩乃はどこ?」

「はは、答えるわけないだろ」


 さりげなく問うエーヴァ。

 だが兵馬は意地汚く食事を頬張って口を膨らませつつ、さも当然のように約束を反故にしてみせる。

 詩乃の護衛という立場上それは正しいのだが、印象としてはどうにも外道めいている。


 しかしそれを意に介した様子もなく、「でしょうね」とエーヴァは軽く相槌を打つ。

 返事に期待していたわけでもないらしく、アントンも同様の表情だ。


 それなら飯を奢る必要がどこにある?

 内心に首を傾げた兵馬へ、アントンが問う。


「兵馬。貴様は何者だ?」


 何者か。

 アントンの問いは兵馬が見せた底知れない強さ、得体の知れない雰囲気。その点に向けられている。


 暗殺組織の最上位に階するエリートであるアントンとエーヴァ、二人の戦闘力は非常に高いレベルにある。騎士に勝るとも劣らない。

 けれど、兵馬はそれを軽くあしらってみせた。


 布から無尽に武器を出してみせるという手品だか奇術だか、それも理屈がわからない。

 そんな端々に加え、アントンとエーヴァの二人には兵馬の正体を尋ねるべき大きな理由があった。


 だが、兵馬は「何者だ」という問いをもっと曖昧な意味で受け取る。


 兵馬は目の前の暗殺者二人から、胡散臭さを感じ取っている。

 唐突に食事を奢ってくれて、詩乃の居場所を答えずとも深追いしてこず、その上での問い。



“貴方は何者ですか”という問い掛けを、宗教勧誘の類だと考えたのだ!



「し、宗教には興味がないんだ」

「ハァ……? 貴方、何を言っているの」


 兵馬の答えを受け、眉をひそめたのはエーヴァだ。

 問いと答えが一致していない。はぐらかすにしても意味がわからない。


 穏やかに微笑を浮かべた容姿に反し、アントンよりもエーヴァの方が気が短い。


 ガン! と、机を拳が叩いた。

 エーヴァの瞳が彼女の本質である強気な光を宿し、兵馬がビクリと身を震わせる。

 いや、アントンも若干(すく)んでいる。どうやら二人の関係性はエーヴァが優位にあるらしい。


「はぐらかさないで。“ドニ様”が興味を示す貴方は何者?」

「ドニ様」


 兵馬はその名前に興味を示す。

 あの醜悪(しゅうあく)な巨人ピスカを駆っていた怪しい青年フランツが口にしたのと同じ、おそらくは首魁の名。


 眼前の二人組とフランツが同組織に属していることを改めて認識し、そして兵馬は問いに問いを返す。


「ドニ様ってのは何者だい」


 問いに問いを返された格好、エーヴァは不愉快げに顔をしかめてみせた。

 しかしアントンは「ふむ……」と俯き、兵馬の問いに対して思慮の表情を見せる。


「ドニ様が何者かと聞かれると、一言で言い表すのは難しいな」


 随分と真面目腐った表情だ。


 その様子を横目に、エーヴァも考える様子を見せる。

 そんな二人の姿に、聞いた方の兵馬が困惑してしまう。


 質問に質問を返して、こんなに考え込んでの答えてくるとは思わなかった。それだけ彼らにとって“ドニ様”が特別な存在であるということだろうか。



「僕らのパパだ」



 やがてアントンが返してきたのはその一言。

 なんだと拍子抜け、兵馬は気の抜けた表情を浮かべる。


「なんだ、ただの父親か」

「そうだ。けど、そうじゃない」

「んん?」

「全てのパパでもあるわ」

「はぁ?」


 アントンとエーヴァは入れ替わり立ち替わり、意味の通らない曖昧な答えを兵馬へと返してくる。

 さらに、微笑んでエーヴァ。


「いずれ、あなたのパパにもなる」

「はぁ……?」

 

 やっぱりこいつら変だぞ。

 兵馬はあからさまに胡散臭がる目を向けてみせる。宗教家というのはどうにも捉えどころがない。


 きっとこのままの会話を続けても平行線だ。

 なにか、この二人と世間一般の感覚とではそもそもの世界観が異なっている気がしてならない。


 なので、兵馬は質問の方向を変えてみることにする。


「フランツってのは君らの兄弟かい?」

「ええ、そうよ。ピスカもね」


 少なくとも、同じ組織であることは言質が取れたわけだ。

 わかっていたことだが、それでも敵対組織が一つであると確定できただけでも大きい。


 これ以上の会話で得られる物もなさそうだ。

 そう判断し、兵馬はハンバーグの最後の一切れを口に放り込んで席を立つ。


「待て、お前の答えがまだだ」

「……」

 

 アントンが兵馬を呼び止める。

 タダ食いをして情報を得て、そのまま帰してくれるほど甘くない。二人それぞれの手は懐へと差し込まれていて、その気になれば即座に武器を取り出せる。

 彼らの瞳が斜めに逸れ、そして浮かぶ冷酷。兵馬はその光に、彼らの意図をようやく理解する。

 

「周りの客は人質、ってわけだね」

「ああ、そうだ。お前は強い。故に、答えないのなら、他の人々を殺めよう」


 エーヴァの身が魔力を纏う。指先に赤火(しゃっか)が灯る。兵馬が答えを拒めば即座にそれを解き放ち、向かいのテーブルで楽しげに夕食を楽しむ一家を炎が包み込むだろう。

 アントンが抜き放つ鉄剣は、(はす)向かい、くたびれた顔をお手拭きで拭う男性の首を刎ね飛ばすだろう。

 彼らがファミリーレストランを会食の場に選んだのはそのためだ。

 

 兵馬はモラリストではない。正義漢を気取るつもりもない。

 けれど、平和な空間が惨劇に染められるのはあまり見たくない。


 要は立ち去ってしまえばいいのだ、彼らが騒動を起こすよりも早く。兵馬がいなくなってしまえば暴挙に出る理由もなくなる。問題はその手段だが……

 思案し、やがて口を開く。


「僕は“ドニ様”と同じさ」

「何?」


 アントンとエーヴァの顔に怪訝が浮かび……そこに見出す瞬時の隙。

 兵馬の手元にはためく赤布。二人の視界は瞬間遮られ、クリームソーダを残りの一滴まで吸い上げる音。

 そして忽然。兵馬は姿を消していた。

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