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九十三話 エフラインの頼み

「ちっくしょう! 出やがったなニセモノ野郎!」

「お前は何を言っているんだ」


 カミロが拳を振り回し、それをエフラインが右にずれてひょいと避けた。

 少しクセのある栗色の毛先がくるりとハネて、かわされたカミロは勢い余って前につんのめる。

 癖っ毛に華奢な体つきはそっくりそのまま、その漆黒の髪だけが色違い。

 悠々と横にずれたエフラインは、カミロの足元にすっと爪先を出して転ばせた。


「いってえ! なにすんだよ!」

「いきなり殴りかかってきたのはお前だろう。だから避けた、それだけだ」

「足をひっかけただろ!」

「フン、それがどうした?」


 エフラインはコケにしたように笑い、その表情はカミロをより一層いきりたたせる。

 ギギと歯を食いしばり、気の立った猫のように再びカミロが飛びかかる!


「気持ち悪いんだよエフライン! オレとおんなじ顔しやがって!」

「言いがかりも過ぎると笑えるな。喧嘩は……買うがな!」

「ぐへえっ!?」


 荒っぽい争いに慣れた貧民街育ちの少年と、箱入りの宮殿育ちの少年教皇。

 殴り合って分のあるのは前者かと思いきや、喧嘩の成り行きはエフラインが圧倒的だ。


 カミロは大きく手を引いてテレフォンパンチを振り回すが、エフラインは左肘でそれを流して右拳を腹にめり込ませる。

 ムキになって引っかこうと手のひらを縦に振っても、それをかいかぐって背へと回って肘を取る。肩を固めて裏膝を足裏で小突けば、カミロはたちまち動けなくなってしまった。


「フフン、実力差は歴然だな」

「く、くっそ、なんなんだよ! ムダに強い!」

「下町育ちで荒事に自信があったか? それとも私を温室育ちと侮っていたか」

「どっちもだよバーカ!」

「愚かなことだ。戦いの術も帝王学の一環。腕利きの軍人たちに鍛えられている私が弱いはずがないだろう?」

「ずるいぞ!」

「並みの大人と戦ったとして、何の問題もなく下してみせる」


 勝ち誇った笑みを浮かべたエフラインは、「本気を出せば、六聖(ベネデッタ)も苦にしないがな」とうそぶいてみせた。

 子供じみた全能感たっぷりの言葉は本来の性格か、それとも同い年の子供と接する数少ない機会にテンションが上がっているのだろうか。

 そんな表情を横目に睨み、関節を固められたままのカミロが吠える。


「なんだか知らないけどイチイチ偉そうでムカつくなあ、お前!」


 同じ顔が取っ組み合いの喧嘩をしている。それも国家元首の顔が二つ並んでいるのだから、誰かが見ていれば腰を抜かす光景だったろう。

 だがカミロが逃げ込んだこの場所は大人はそうそう入り込めない細路地を抜けた袋小路で、今のところ誰かが来る気配はない。


 エフラインがカミロの関節を固めたことで喧嘩は強制的な終着を見ていて、どうにも穏やかでない姿勢のままで二人は言葉を交わす。


「やっと落ち着いて話を聞く気になったか。イノシシのような子供だ」

「うっせ、お前も子供だろ。……てめーなんでこんなとこに来てんだよ。手下とかいねえじゃん」

「会いに来た。お前にな、カミロ・アルベール」

「は……?」


 自分に会いに来た? 何言ってんだコイツと言いたげな表情でカミロはエフラインを見つめる。

 それより何より、どうして自分の名前をエフラインが知っているのかわからない。


 そんな少年の困惑を見て取って、教皇は静かにほくそ笑む。

 そして彼の頬へと片手を添えて、一つの名前をゆっくりと囁いた。


「いや、カミロなどという偽りの名に意味はないな。こう呼ぶべきだろう……“エフライン”のなりそこない」

「なり、そこない。全然意味わかんねえ。何が言いたいんだよ……!」


 以前から、カミロは映像などでエフラインを見かけるたびに不機嫌になっていた。家族のシャルルやゲオルグへ、「こいつは気に食わない」と公言していた。

 今日、いざ顔を合わせてもその姿勢は変わりなく。認識するやいなや殴りかかって今に至る。


 そんなカミロの態度は、幼い少年なりに自らに関わる不穏を嗅ぎ取っていたのかもしれない。

 言語化しようのない勘のようなものが、エフライン14世を目にするたびに彼の胸をざわつかせていたのだ。


 そしてその漠然とした不安が、目の前に自分と同じ姿で現れたエフラインが今、カミロへと口を開く。


「お前は私の双子、望まれぬ忌み子」

「双子、は? なに言って」

「ユーライヤに二人の教皇は必要ない。慣習として皇家の双子は片割れが処分される」

「処分、って」

「泥沼の闘争を防ぐため、名を与えられず、闇に葬られた一人の赤子」

「い、意味わかんねえ……!」

「選ばれなかった子供、既に死んでいるはずの人間。それがお前だ、カミロ・アルベール」

「うる、さいんだよ!!」


 身をよじらせ、カミロはエフラインの拘束を強引に解いた。いや、エフラインがパッと手を離した。

 二人が真正面に向き合えば、見れば見るほどに不気味な類似だ。色と服を度外視すれば、まさしく鏡写しとしか言いようがない。

 突拍子もなく聞こえるエフラインの話も、色濃い血の繋がりが全てを裏付けてくるようだ。

 それでもわずか10歳の彼がそんな話をすんなりと受け入れられるわけもなく、少年は不安の涙を目の端に溜めて怒声を上げる。


「嘘だ! 全部嘘だ!」

「本当に嘘だと思うのなら、笑い飛ばしてみせろよ。カミロ・アルベール」

「う、ぐうっっ……!!」


 エフラインの冷たい瞳に迫られて、カミロは泣きそうになりながらそれを辛うじて堪える。

 町で自由に育った少年と、権力闘争の渦中で敵意に晒され続けてきた少年と。同じ年齢、同じ容姿の二人であれ、あまりにも経験値が違いすぎる。


 少年教皇の語った言葉は真実だ。


 双子を産んだ教皇妃は、片方を始末するという慣習に懸命に抗おうとした。

 しかし先代エフライン13世も周りの人間も、その保護を良しとしなかった。


 二人の赤子から選ばれたのは黒髪と赤目、建国の英雄エフライン1世と通ずる特徴を持つ現エフライン14世。

 そして王妃と同じ栗色の髪の赤子は名を与えられず、儀式を経て命を絶たれるのを待つばかり。

 しかし王妃は、その運命に抗ったのだ。


「我らの母。彼女の感情に任せた行動が、世にお前という争いの火種を残したのだ」

「オレの、お母さん」

「だが……その経緯を語るには役者が一人足りないな。元宮廷魔術師、ゲオルグ・アルベールという役者が」


 エフラインは瞳を流し、そこで言葉を途絶えさせた。

 国にとっての重要事、カミロの存在を知る人間はごくごく少ない。

 エフラインお付きの近衛長である六聖(ベネデッタ)アルメルでさえ知らない。


 しかしその事実を、エフラインは有する情報網を駆使して独自で調べ上げたのだ。

 幼くして恐るべき才覚と言えるだろう。

 

 拳をぎゅっと握りしめ、唇の端を震わせるカミロ。その瞳へ、エフラインの薄笑みが映り込んだ。


「だがそれは過去であり、些事だ」

「過去……」

「そうだろう? 私はこうして教皇に就き、お前はカミロとして死ぬことなく生きている。そして何より重要なのは……」


 教皇が、少年の両肩に手を添える。


「お前と私は、血を分けた兄弟だということだ」

「あ……」

「唯一無二の、かけがえのない家族」

「オレと、お前が……」


 真正面から見つめ合い、相手の瞳に映る自分が自分なのかわからなくなる。

 カミロなのか、エフラインなのか、その区分に意味はあるのか。


 もう少年は彼の言葉を疑ってはいない。掴まれた肩から伝わる感覚は、教皇は血を分けた肉親だと雄弁に伝えてくる。

 最初の苛立ちが嘘のように鎮まり、静かに双子の姿を見つめているカミロ。そこへエフラインは静かに語りかける。


「兄弟よ、頼みたいことがある」

「頼み……オレなんかに?」

「この世でお前にしか頼めないことだ」

「……いいよ、聞くよ」


 頷き、彼はその“頼み”を口にした。


「私と入れ替わってくれ」

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