★八話 アルメルの剣
六聖。
“祝福された者”を意する、騎士たちの頂点に立つ六人に与えられた称号。国軍権威の象徴にして最強たる証。
国主にして現人神、現教皇であるエフライン14世からの加護と恩寵を示している。それぞれに特権と専属の部隊を有し、教皇の剣として身を捧ぐことを誓った存在。
そんな六聖の一人、アルメル・ブロムダール。容姿は20代の中頃、リュイスやルカよりも少しばかり年上か。
流麗と歩み、炎風にそよぐピンクブロンドは鮮やかに。
そんな女性騎士を見返し、フランツはせせら笑う。
「お姉さんは誰だい?」
「知らないのか? 我ながら、それなりの有名人だと思っていたんだが」
フランツの問いかけに、アルメルは首にわずかな角度を付ける。
巨人ピスカはそんな彼女へと向け、舌を剥き出しに威圧めいて唸る。だが、アルメルはそれを意にも介さない。
「ならば名乗ろう、我が名はアルメル・ブロムダール。エフライン14世猊下の剣だ!」
そう宣ずる瞳には煌と輝き。
キリリとした相貌、女騎士はフランツとピスカへと剣の切先を向ける。
「部下を可愛がってくれたな。私が相手をしてやろう」
アルメルは貴族の出だ。それ故か、悠長なところがある。
怪物に面してあくまで悠然、やたらに威風堂々とした宣戦布告。それを受けて、フランツはへららと笑ってみせる。
「ピスカぁ、殺していいよ」
「隊長! 気を付けてくれ! そいつは化物だ!」
リュイスが警句を飛ばす!
──キン……と、甲高く静音。
反して動作は凄絶。振り下ろされた巨人の拳に対し、アルメルは手にした優美な剣を振った。
傍目には一閃。しかし実際には秒間に十、いやそれ以上もの斬を放っている。その剣先には白の波動。音速を越え、衝撃波が生じる!
斬破、その動作を大まかにでも目で追えたのはリュイス、兵馬、辛うじてルカ。フランツは何が起きたのかを理解しない。ただ唖然と。
「は……? 何を、何をしたんだよ……!」
アルメルを叩き潰すはずの巨腕は見るも無残、鋭利に深く、十重二十重に切り裂かれている!
「ふむ、流石に大きいな。今の剣撃で腕を落としきれないか」
回避動作は左へ二歩、わずかな体捌きのみ。
それは盤石の見切り、拳を紙一重で避けてみせ、同時に高速の斬撃を放っている。
神技を見せたアルメルは当然のように無傷のまま、刃へと白い指先をあてがい不服げに笑い……。
「次で仕留めよう」
「強い……!」
兵馬は思わず感嘆の声を口から漏らす。あまりにも疾く強靭、それでいてしなやかな斬閃だった。
人間離れした攻撃、それは剣技という分野に限れば、紛れもなく人類の最高峰に位置しているだろう。
「ね? 隊長は最強なんだよ!」とはアイネ。驚く兵馬、詩乃、プリムラへとどこか自慢げに胸を張ってみせる。
「あ、う、あ」
呻いているのはフランツだ。ピスカの腕に残る斬痕を目に、わなわなと腕に口元にと震わせている。
「そんな……そんな……!」
その全身、瘧のような震えは怒りか、恐怖か。
絶対と信じていた巨人の強さが明確に打ち砕かれ、衝撃を受けているように見える。
さて、彼の次の行動は。怯えて逃走を図るか、認めずに特攻を掛けてくるか。
(どちらかだろうな)
アルメルはそう踏み、油断なく剣を構えて攻撃を待ち構える。
しかし次の瞬間、フランツが見せた姿は彼女の予想から外れた、不意を打たれるのに充分なものだった。
「うぁああ……ひどい傷だぁぁ……っ」
フランツは巨人の腕傷へと手を伸ばす仕草を見せ、そして……ボロボロと涙を流し始めたではないか!
「ごめん、ごめんよピスカ! 僕のせいで、僕が調子に乗ったから!」
傷口をいたましげに掌でなぞり、そして青年はアルメルを睨みつける。
「僕は、僕たちは……“家族”を傷付けた者の顔は決して忘れない」
異形の巨人“ピスカ”を、フランツは家族と称した。
地下の施設にいた大勢の部下たちを使い捨てるように爆殺した彼が、とても人間には見えない巨人が傷を負っただけで涙を流す?
ルカはその精神性に強い疑問を抱く。
「大勢殺しておいて、身内の傷にはさめざめと泣くか。面白い……が、不愉快だ」
その疑問は同様らしく、アルメルは辛辣な口調で言い放つ。返し、フランツ。
「今日はもうおしまいだ。けれど忘れるな、アルメル・ブロムダール。僕らは復讐する。お前から“最も大切な物”を奪い取ると約束しよう。……行こう、ピスカ」
その言葉一つ、巨人ピスカとフランツは炎に明らむ夜空へと飛翔する。
リュイスやルカは銃、アイネが魔術で追撃を試みるが、アルメルは片手でそれを制する。
「深追いはやめておこう。お前たちも手負い、奴に奥の手があれば厄介だ」
「そうっすね」と一言。リュイスにアイネは傷にふらつきながら武器を収める。
ルカはフランツが飛び去った空を静かに見据えている。
「助かった、かな」と詩乃は呟く。プリムラと目を交わし、兵馬と小さく頷きあい。
ようやく、一夜の戦いが終結した。
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長い夜が明け、暁光がエルタの町を照らし出している。
消火と救助活動は未だに続いていて、怪物は去ったが喧騒は残ったまま。かなりの数の犠牲者が出ているらしく、一夜にして駅町は壊滅的な被害を被っている。
なにしろ青年フランツが起爆した爆薬の量は尋常でなく、家屋や路地、町の至るところに忍ばされていた。それが一斉に火を吹いたのだから、被害の大きさは察するに余りある。
報道陣が慌ただしく駆けずり回る中、兵馬たち、それにリュイスたちは肩を並べて軍の医療班からの治療を受けている。
怪物、巨人ピスカと青年フランツを退けてみせたアルメルは、救助などの陣頭指揮を執っている。疲れも見せずに声を張る。
その毅然とした姿は人々の士気を上げていて、まだ若い女性ではあるが軍の重職に就いているという事実に説得力を持たせるのに十分だ。
「助かったぜ」とリュイスがぽつり。
向けられた視線を見るに、兵馬たちへの言葉らしい。随分と軟化した態度に兵馬は軽く笑う。
「犯罪者扱いするのはやめてくれたのかい」
「いや、スリはスリだろ?」
「それは、まあ……」
横からルカが口を挟む。
「君たちがいなければ全滅だった。感謝してるよ」
「でも、私と詩乃はアイネちゃんに助けてもらったしお互い様だよ!」
「そうだね」
プリムラが笑い、詩乃が相槌を挟む。
詩乃の口調は相変わらず素っ気ないが、アイネへと向けた目には親愛の色が滲んでいる。
それを受け、「えへへ、よかったよかった」と笑うアイネ。なんとも素朴な人柄の少女だ。
とっさの協力で危機を乗り越えた六人には、友情とまでは呼ばずともそれなりの親しみが生まれている。
他愛もない会話を交わしていると、そこへ足音。
「やれやれ、一段落だ」
現れたのは銀鎧、作業の指揮を終えたアルメルだ。
季節は春先、朝日を浴び続ければそれなりの陽気が感じられる。戦闘用の鎧をまとったままに指揮を執っていたせいか、首筋には薄ら汗が滲んでいる。
それをハンカチで拭いながら、疲れをほぐすように肩をゆっくりと回す仕草。
「お疲れ様です隊長!」
快活に声を掛けたのはアイネ。
アルメルはにこりと笑い、撫でるように少女の帽子に手を乗せる。
「お前たちも、任務ご苦労だったな」
「ハードでした」
「三人で潜入はきついっすよ」
ルカとリュイスは冗談めいた口調、口々に文句を述べている。
「む、上官批判か?」
「い、いえ、まさか……」
「んな事はないっすよ!」
そう言って睨むアルメル。慌てるリュイスとルカ。が、それは両者ともに冗談の域。部下たちと歳が近い故に気安さがある。
場面に応じた厳しさ、それに強さも備えていて、総じて指揮官としては優秀な女性だと言えるだろう。
「さて、ええと」
アルメルは兵馬たちへと目を向ける。
「兵馬樹、佐倉詩乃、それにプリムラ、だったか」
謝礼金でも貰えるのか? と、兵馬は内心に皮算用を立てる。
なにせ騎士たちと共闘、決死の思いで怪物と相対したのだ。それなりの礼はされて然るべき。
だが、予想に反し。
「ん?」と兵馬。「えっ」と詩乃。
「なんで?」とはプリムラ。
アルメルは懐から何かを取り出すと手首を返し、神速の手捌きで三人の手首へと手錠を嵌めてしまった。
「む、これで良し!」
一人、満足げに頷くアルメル。
金一封を期待していたのは兵馬だけでなく、詩乃も同様。それがまさか手錠を? なんて仕打ちだ!
冗談じゃないと眉をしかめ、詩乃は抗議を試みる。
「なんで私たちを捕まえるんですか」
「ん、シャングリラの関係者なのだろう。話を聞かせてもらわなくてはな」
当然だろう? とばかりにそう告げられる。
関係者は関係者でも命を狙われているというだけ、それはアイネにも説明済み。詩乃は不満を全開にして抗弁するが、しかし馬耳東風。アルメルはまるで聞き入れてくれる様子がない。
まあ、考えてみれば当然だろう。
“シャングリラに追われています。ですが理由に心当たりはありません”。
素朴なアイネは信じてくれたが、説明としてはひどく危うい。それだけで関係者でないと思ってもらうには少し厳しい。
「事情を聞かせてもらうぞ。なに、取って食おうというわけじゃないさ」
「えええ……」
そしてしばらくの後。
手錠を掛けられたままに、兵馬たちは軍用列車の中で揺られている。
金輪に動かし辛い両手に辟易しながら、監視役に付けられたリュイスたちへと文句を言う。
「目的地にはどれくらいで着くの」
強めに問う詩乃。人見知りだとかを忘れるほどに不満は大きく、指先で膝をストンストンと叩いている。不服をまるで隠さない。
そんな詩乃の苛立ちを受け流すように、「一日、ってとこかな」と、微風めいた声でルカが返す。
「けど、ラッキーかもよ?」
ちょいちょいと小脇をつつき、小声で言うのはプリムラだ。
「軍の人たちと一緒なら暗殺者に狙われないし」
「ん……まあ、ね」
詩乃はやはり納得がいかない様子だが、兵馬はプリムラに同感だ。
期せずして巻き込まれた一件、詩乃を追うシャングリラ、その闇の深さを見せつけられる形となった。一時の安全に身を預けるのも悪くない。
列車は架橋を走り抜ける。
大河に昼の陽光が反射し、窓を開ければうららかな風。向かう先は聖都セントメリア。ユーライヤ教皇国の首都だ。
やらなければいけないことは多い。
春風に頬を撫でられながら、「少し休もう」と、兵馬はゆっくり目を閉じた。