そこに君がいるのに
暑い朝。蝉が力一杯鳴いている。生きられる時間が短いからこそ常に力一杯なのだろう。私はそう思いながらベッドから起き上がる。身支度を整えるために、クローゼットからいつものスーツを取りだし、ドレッサーに腰掛け髪を整える。我ながら完璧だと思いながらその場を立ち、廊下に出た。廊下には静けさを感じさせるような暗い影。それを拒むかのように窓から強い光が廊下を照らす。この長い廊下には飽き飽きしていたが、こうしてみると良いものだなと思った。しばらくしてから私はリビングへと足を運ばせた。
「カタリーナ、カタリーナは居るかい?」
私はフィアンセの名前を呼んだ。
「要るわよ。ジョセフィーヌ」
それに答えるかのようにカタリーナは言った。
「おお、良かった。君がいないと私は寂しいよ。この屋敷には私と君しか居ないからね」
「大丈夫よ。私はいつでもあなたのそばにいるわ」
このやり取りは、ここにいた使用人達全員解雇してからずっとやっている。なぜ使用人達を解雇したのかは簡単な理由だ。使用人達は私に無礼を言ったからだ。だが、あのことを今さら気にしても仕方がないので、カタリーナに挨拶をすることにした。
「少し遅れてしまったが、おはよう」
「おはよう、ジョセフィーヌ」
「おお、そうだ。朝御飯を作らねばな」
私達はお互い軽い挨拶をしてからキッチンへと向かった。
「今日は何が良いかな」
「あなたの好きなものでいいわ」
「君はいつもそれだね」
私は少しがっかりしたが、これもいつものやり取りだと割りきり、笑いながら答えた。私の好物は『ベーコンエッグ』と『アップルパイ』。まあ、朝だからベーコンエッグだけ作り、昨日買っておいた食パンを合わせようと考えた。
「たまには君のアップルパイが食べたいよ」
「うーん、それは難しいわね。なんせ、あれには特別な調味料が必要だから」
「それはなんだい?」
「秘密よ」
「全く、君は意地悪なんだから」
「そうかしら」
カタリーナは楽しそうな顔をしながら答えた。それを見た私は幸せだった。
カタリーナは料理が苦手だ。ベーコンエッグを作るのさえ無理だと言うのに、昔、カタリーナのお母さんが作ってくれたアップルパイだけ作れるように日々練習していたらしい。前に食べたアップルパイは、カタリーナのお母さんが作ってくれたものより美味しかった。今でもその味は忘れられない。
そんなこんなダベりながら私は手を動かした。
私は料理を作り終え、お皿に出来立てのものを載せ、私達は再度リビングへと向かった。
「さあ、食べようか」
「そうね」
私はテーブルセットに腰を掛け、神に祈り、朝御飯にした。
「作ってくれたのは嬉しいのだけど、あまりお腹が空いていないのよ」
「そっか、それは残念だ。勿体無いから私が頂こう」
カタリーナは残念そうな顔をしていた。その様子を見ながら私はカタリーナの朝御飯を寄せた。最近、カタリーナは私の作るものを口にしなくなった。いや、したいけど食べられない、そんな感じだった。
「ねえ、庭にいかない?」
「ああ、いいよ。すこし待っててくれ」
私は急いでご飯を口に運んだ。
「そんな焦らないでいいわよ」
「君を待たせたは紳士として失格だ」
「そんな急いで食べて・・・。それは紳士といえるのかしら」
カタリーナはそんな私を子供を見ているかのような目をしてこちらを見ていた。だが、それでも彼女は笑った。
食事を終えたので、自分で食器を下げ、私達は眩しい庭へと向かった。
庭には綺麗に咲いた花達が元気良く太陽に照らされている。私はホースを手に取り蛇口を捻って、花達に水をあげた。花達は水を貰えて嬉しかったのか、より美しくなった。
「まあ、綺麗」
「私達はいつもこれを見ているだろう?」
「そうだけれど、違うわ」
「そうなのかい?」
「そうよ」
彼女はそう言った後、花達に近づき話しかけた。ーーでも、美しい花もいずれは枯れてしまうのよね。
この言葉に私は反応してしまった。
「急にどうしたんだい?カタリーナ」
何故か少し喉に力が入る。
「命あるものは、いずれ、この世界から消えてしまう」
彼女は少し悲しそうな表情をした。
「それでも、この花たちはそれを知っていても、今を力強く生きているの」
「・・・」
私は声が出なかった。
「ジョセフィーヌ、あなたは花よ」
私は顔を隠す。
「私にとって、あなたは世界で一番美しくて、大切な花。たった一本の花だけれど、世界に輝きを与えることができる、そんな花なの」
「僕も・・・そうだよ・・・」
やっと声が出た。何かが詰まっていた喉がやっと開いた。
「僕にとっても、君は世界で一番輝いていて、美しい花だ。とても大切な花だ」
声を濁らせながらも話す。
「君は、僕が世界に輝きを与えられると言ったけど、そんなこと、君がいないとできないよ・・・」
「・・・」
「君が居たから、僕は変われた。君に会えなかったら、僕はいつまでも人間が信じられなかった・・・」
「ええ・・・」
「僕は、いつまでも君のそばに居たいんだ」
甘えているのだと、心では分かっているのに、彼女と共に生きたい、そう願ってしまう。
「嬉しいわ・・・」
カタリーナは心から喜んだように見えた。だが、次の言葉で僕は目が覚め始める。
「でも、それは叶えられない・・・」
「え・・・」
また、言葉が消える。
「世界から目を背けないで・・・ジョセフィーヌ。あなたはあなたが思っているほど弱くないのよ」
「嫌だ・・・」
心が壊れそうだ。そんな私を見た彼女は何かを悟ったように答える。
「大丈夫。私はいつまでもあなたの傍にいるわ。だから、独りぼっちなんかじゃない」
本当は分かっていた。彼女の言葉の意味も、現実も。だけど、背いてきた。
人間が怖くて、誰も近寄らない屋敷で孤独に生きてきた私の心は、現実からあの幸せの過去に戻っていた。
だが、今日でこの過去(夢)から覚める時なのだと、察していた。それでも、私はこの夢が覚めないことを望んでいた。しかし、時は待ってくれなかった。
花達はいっそう輝き出す。私達の空間を更に色濃くさせる。
「たとえ、私の姿が見えなくなっても、あなたなら大丈夫。また人を信じることができるから」
「そんなのーーー」
カタリーナは右手の人差し指で私の唇に当てる。
「あなたは一人じゃないから」
「カタリーナ・・・」
私は両目から雫が溢れ出す。
そして、カタリーナは私を抱きしめ、光になった。
気がつけば蝉の声が聞こえてきた。