突入
「来てしまった…」
東京都永田町総理官邸
官邸西通用口から200メートルほど離れて、様子をうかがう二人。
相変わらず目立っているが、本人達は街に溶け込んでいると信じている。
シェイラの立てた作戦は、聞くのもおぞましいものだった。
正面警備員に洗脳魔法をかけて、道案内をさせる。自分達は隠遁の魔法を使って後ろから侵入。
総理大臣の目の前まで近づき、洗脳した警備員に自分が魔王の伝令である事、勇者の名前などを告げさせ、信憑性を持たせたのちに、隠遁の魔法を解いて総理本人の目の前に現れる。
他の警備員に捕らえられる可能性があるので、非致死性の魔法、それも多少派手に見えるものを使って、華々しくデビューを飾るというものだった。
一体これだけで、日本国と魔族領の法律を何個を破ることになるのか、クライドルは考えただけで頭が痛くなった。
それも、名前こそ総理大臣という、元の世界では聞き慣れない役職ではあったが、要は他国の王宮でこれをやれと言っているのと同じである。
宣戦布告と取られても仕方がない行為である。
自分たちの世界なら間違いなく捕らわれて、いや、その場で首を落とされるだろう。
この世界なら、即、蜂の巣にされると言うべきなのか。
普通に話がしたいと言っても絶対に門前払いされるため、テレビに流れてない情報、異世界、人族の勇者たちの名前等を話せと言うのである。
秘密の暴露作戦とシェイラは言った。
「シェイラよ、我もその知識は知っておるが、それは犯人しか知りえない情報を警察に話す時の事であろう」
「何をおっしゃいますか、魔王様は立派な犯罪者ですよ」
「シェイラよ、汝はこの世界に来て、何度我の心を折れば気が済むのだ」
しかし、クレイドルも分かってはいる。恐らくあまり時間はないだろう。人族の勇者達が、日本国にどんな要求を突き付けてくるのか、大体の予想はついている。
「魔王様。緊急事態なのです」
「シェイラよ、緊急事態を魔法の言葉のように使うのは勘弁してくれ」
「仕方ありませんね。これはあまりしたくなかったのですが」
溜息を吐いた後、意を決したようにシェイラはクレイドルをキッと見つめた。
クレイドルは余りの気迫に身構える。
「ご主人様、緊急事態なのにゃん。頑張ってほしいのにゃん」
猫のポーズ付きである。
「もうよいシェイラ、汝はもう喋るな」
「酷いのにゃん」
シェイラも流石に恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしている。
「そんな顔になる位なら、はじめからするんじゃない」
「殿方にこれをすれば、どんな願いも叶うとの事でしたのに」
シェイラは肩を落とした。本気だったようである。
クレイドルは作戦開始前からぐったりとしていた。
「行くぞ、シェイラ」
「ついに決心されたのですね魔王様、では不法侵入及び、首相監禁作戦を開始しましょう」
「おいシェイラ、汝は私の心を折るのを楽しんでおるだろう。作戦名も変わっておるぞ」
「魔王たるもの、小さな事を気にしてはいけません。ささ、参りましょう」
とても嫌そうな顔をして、隠遁の魔法を唱えるクライドル。
隠遁状態で、西通用口に近づく二人。距離にして100メートル。次に二人は記憶を覗く魔法の詠唱に入る。
警備員全員の記憶を頭に入れ込みながら、さらに近づこうとした時、ピクッとクライドルが足を止めた。
「おい、シェイラよ、ここの警備員達は自動小銃とやらで武装している様だぞ、これ、至近距離で撃たれるとまずくないか」
「魔王様、私は魔王様の陰に隠れる予定故、大丈夫にございます」
「あ、お前、俺を盾にしようとしてるだろ」
「魔王様いけません、口調が乱れております」
「くそ、もうなるようになれ。総理は地下一回の危機管理センターとやらにいる可能性が高いか。中に入ったらもう一度確認した方がよさそうだな」
バリケード前、待機所に警備員がいるが、持ち場を離れると怪しまれそうなので、そのまま通過する。
官邸一階に入り込み、もう一度記憶を覗く魔法を発動させる。
「もう、人の記憶を覗き見る事に躊躇が無くなりましたね。流石は魔王様です」
耳元で『流石』を強調しながら呟くシェイラ。
「シェイラよ、汝は本当は我の事を嫌っておるだろう?」
「そんなことは御座いません。お慕い申し上げております。ただ、お給金を上げて頂けると、今以上に頑張れるのではないかと、日本人達の知識が言っております」
こんな時に給料アップの交渉をしてくる、立派な部下を持った魔王であった。
「もうよい。その記憶は後でキレイに消してやる」
「魔王様、私の身体は自由にできても、心は自由にはなりませんよ」
「誤解しか生まないから、その言い方は辞めろ。分かった。約束する」
「では、全力でサポート致します。」
給与アップの交渉は成功であった。
「やはり、総理は地下一階にいるらしい。そこにおる者が今から向かうようなので、案内してもらうとするか」
一階の記者会見場の準備をしていた職員に洗脳魔法をかけ、後ろからついていくクライドル達。
「なんか、小物っぽいですね私達」
「もう口を開くな、シェイラ」
クライドルはそう言うのが精いっぱいであった。
職員の後ろをついていき、二人は危機管理センターに滑り込んだ。
危機管理センター。その中央はU字型の円卓ある。その切れ目の部分から職員を入り込ませる。
恐らく、中心にいるのが総理大臣だ。顔も知識にある。確か岸総理だった。クライドルは職員の後ろをついていく。
当初のシェイラの予定では、職員に「カッ、カッ、カッ。我は偉大なる異界の魔王、クライドルである。貴様らを支配しにやってきたぞ、カッ、カッ、カッ」であったが、当然却下した。
シェイラは始めが肝心なのです等と言っていたが、本当にこんな始め方をしたら話が進まなくなってしまう。
U字の円卓の中央付近で職員を棒立ちにさせ、数名が気づくまで待つクライドルとシェイラ。
その時、古谷幕僚長から声がかかる。
「君、そこに立たれると中央モニターが見にくい。下がりたまえ」
今だ!魔王は考えたセリフを職員に述べさせる。
「総理大臣閣下。蝉の声に暑さを覚える今日此頃、うだるような暑さが続いておりますが、如何お過ごしでしょうか。
さて、私は異界より参りました魔王クライドルと申します。この度は私共の部下たちが、貴国に大変なご迷惑をお掛け致しましたとを、まずは心よりお詫び申し上げます。
また、閣下におかれましては、その後の人族勇者ディル達の不当な要求に、心を痛めておいでではないかと思案しております。
それにつきまして、微力ではございますが、貴国に多大なるご迷惑をお掛け致しましたお詫びに、助力させて頂けないかと愚考している所存でございます。
もし、お許しいただけるのであれば、ご面会頂けると幸甚です。
暑さ厳しき折、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。魔王クライドル」
「魔王様の挨拶も大概だと思いますよ」
「うるさい。まずは丁寧に誠意を込めてだ。それに見ろ、皆、聞き入ってくれているではないか」
クライドルは最後まで止められることなく話し終えたことで、満足気であった。
確かに聞いてはいた。ただ、ポカンとしてるという表現の方がこの場合正しいだろう。
「な、な」
「ま、魔王まで攻めてきた」
一瞬の静寂の後、当然ながらセンター内は大パニックとなった。
「あれ?おかしいな。こうなるはずではなかったのだが」
シェイラの作戦をかなりマイルドにしたはずだったのだが、まずい事になってしまった。
「静かに!」
岸の声がセンターに響く。それまでのパニックが嘘のように静まった。
岸はすでに腹を決めていた。魔王が日本に来ている可能性は元々あったのだ。
それに、先のディルとの会談、報告でも、魔王の方が話ができる可能性があるとの結論に至っていた。
まさか、こんな無茶な事をするとは思わなかったが……
「魔王陛下、私が総理大臣の岸だ。私も陛下と会談の場を持ちたい。どのように伝えればよいか」
「おい聞いたか、シェイラよ陛下と言われたぞ。産まれて初めてではないか?」
普段ぞんざいに扱われることが多いのか、殊更クレイドルは嬉しそうだった。
取り敢えず、シェイラの冷たい視線を無視して、更に洗脳中の職員に話を進めさせる。
「こちらの、無礼な問いかけに答えて頂きありがとうございます閣下。
ただ、この度は緊急を要しますゆえ、直ぐに会談を行いたいと思っておりますが、如何でしょうか」
「勿論だ、何時にすればいい。迎えなどはどうしたらいい?」
「では、今すぐに」
クライドルとシェイラは隠遁の魔法を解除した。
岸達から見れば、突然、中央に棒立ちの職員の前にスーツ姿の男女が現れた格好になった。
「動くな!」
SPと内閣官邸警備隊から一斉に機関拳銃を向けられる、シェイラは直ぐに障壁魔法を張り、雷撃魔法の詠唱に入る。
「やめろ!直ぐに銃を下ろせ」
立ち上がり岸が叫ぶ。機関拳銃など何の意味もないだろう。それに殺すつもりならもう皆殺しだったはずだ。
本当の目的はまだ分からないが、話に来たのは本当なのであろう。
「何度も言わせるな、直ぐに下ろせ」
もう一度岸が叫ぶ。
「我々は閣下と話をするために参った。攻撃の意図はない。銃を収めて頂けないか」
まずいとクレイドルは思った。シェイラは雷撃魔法を打つ気満々である。
「命令だ、銃を下ろせ!」
クライドルたちに向けられた銃が全て下を向いた。
胸をなでおろす、岸とクレイドル。不満そうなシェイラ。
「銃を下ろして頂きありがとうございます閣下。改めまして、私が魔王クライドル、こちらが部下のシェイラです」
「魔王領随一の頭脳と美貌を持つ側近中の側近、シェイラでございます」
やはり、こいつは連れてこなければよかった。
岸もどういう表情をすれば分からないという感じであった。
「私は日本国の内閣総理大臣である岸総一郎です。陛下にお目にかかれて光栄です。岸とお呼びください」
岸は頭を下げる。つられるようにその場にいた全ての職員が頭を下げる。
本来の外交なら、ここまで遜るのは悪手だ。しかし、目の前にいる男が暴走すれば、恐らく官邸だけの被害では当然済まないだろう。
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。私の事は陛下などではなくクライドルと呼んでください。私の部下もシェイラと」
クライドルとシェイラも深々と頭を下げた。
岸には意外だった、まさか相手の方から合わせてくれるとは。
クライドルとしては陛下の響きは甘美なものであったのだが、同時にむず痒くもあった。慣れていないだけであった。
外交で名前で呼び合えるのは良い流れだ、岸は少し希望が見えてきた気がした。
まあ、まだまだ暫くは腹の探り合いか…
「では、クライドル。早速話がしたい。応接室へ案内する」
岸はスーツを整え、髪を撫でた。