魔王の朝支度
とても良い眠りだった。
魔王城のベットも勿論最高級のものが使われていたが、如何せん基礎の技術が違うのか、素晴らしいマットレスと枕だった。
クライドルはまどろみながら、身体の向きを変えた。
ムニっとした感触。これも素晴らしい。温かくて、柔らかくて……
うん。こんな物は、昨晩寝る前にはなかったな。そう思いながら感触を楽しむ魔王。
「しかしこれは何だろう、とても良い物だ。祖国に帰れる時には買って帰ろう」
「ありがとうございます。魔王様、やっと私の務めを果たすことが出来ました」
シェイラの声である。息遣いを物凄く近くに感じる。
おかしい、おかしい、おかしいぞ。いやまだだ、まだ慌てる時間ではない。
ゆっくりと目を開けるクライドル。
目の前には今にも、唇同士が当たりそうな距離の全裸のシェイラ、そしてその胸を揉みしだく自分の手。
「な、な、な、な、な」
言葉にならないクライドル。おかしい。自分は主寝室キングサイズのベット、女性二人はもう一部屋のツインのベットで寝たはずだ。
なんだ、昨日北見が夕食に用意してくれていた葡萄酒を飲み過ぎたのか。いや、あれは美味かった。次は日本酒とやらにも挑戦したい。
現実逃避に走ろうとするクライドル。
いやいや、そんな場合でない。思考を現実に戻す。
「魔王様、もしかしてお忘れになられたのですか、昨日はあんなに激しく愛してくださいましたのに。私は初めてを魔王様に捧げる事が出来て、無上の喜びを感じておりましたのに。私は悲しいです」
グレーの瞳をうるうるさせるシェイラ。
「な、な、な、な」
「魔王様、先ほどから何故『な』っとしか仰っていただけないのですが、如何されたのですか。もしかして、このシェイラをお捨てになられるおつもりですか。
昨晩は私を娶るとおっしゃって頂いたのに。だから、だから、私の純潔を差し上げましたのに」
おかしい、本当におかしい。恐らくこれは夢だろう。悪い夢だ。もう完全に悪夢だ。そう思ってもう一度目を閉じようとした瞬間。
「魔王様、これは夢ではありませんよ。現実です」
そして、グレーの瞳から一筋の涙がこぼれた。
「責任。取ってくださいね」
顔面蒼白のクライドル。もはや、声すら出ていない。
コンコンとノックの音がする。
「魔王陛下、北見でございます。お支度のお手伝いをさせて頂きます」
「ま、ま、まって」
魔王の制止を待たず扉が開いた。
二人を見てニコリと微笑み、頭を下げる北見
「おはようございます陛下。昨日はお楽しみでしたね」
クライドルは白目を向いて気絶した。
「陛下、申し訳ございません」
平謝りする。北見。
「汝が謝る必要はない。全てシェイラの悪だくみではないか」
魂が抜けかけたクライドルの姿に驚き。
北見は謝り続けていた。
何度も北見のせいではないと言っているが、ずっとぺこぺこしている。
「北見よ、汝もこの悪魔、シェイラに騙されたのだ。誰が汝を責める事が出来よう」
そういって、シェイラを指さし北見を宥める。
「でも、魔王様、嬉しかったのでしょう?」
シェイラはきつく叱ったはずだが、ご機嫌そうであった。
結局のところ、昨晩はクライドルの記憶通り女性陣とは別室で寝ていた。
朝の準備のために目覚めた二人だが、シェイラは北見に申しつけていた。
「魔族の朝の儀式がございますので、北見様は私が入ってきっかり10分後に入室ください。その際、何が有っても速やかに扉をあけるように」
「その、許可も頂けないのに扉を開けるなど、失礼なのではないでしょうか」
「その心配は御座いません。むしろ、10分以上朝の儀式を続けると、膨大な魔力が部屋に溜まり大事になる可能性があります」
その言葉にゴクリと生唾を飲み込み、頷く北見。
「承知いたしましたシェイラ様。ではそのように」
それから、クライドルの部屋を開ける直前、シェイラは思い出したように北見に告げる。
「魔族の最上の朝の挨拶について、お伝えするのを忘れていました。『おはようございます。昨日はお楽しみでしたね』これが、魔王領で高貴な方にする朝の挨拶です。魔王様の機嫌を損ねぬためにも、くれぐれもお願いします」
北見は意味が分からなかったが、魔王の機嫌という言葉だけで、コクコクと頷いてしまった。
そして、10分後扉を開けて、言い含められていた朝の挨拶の後に、頭を上げて見たものは白目をむいたクライドルだった。
「本当に申し訳ございませんでした。ご指示通り入室させて頂いたものの、朝の儀式というのが、あの、その、なんと申しますか。『そういうもの』とは存じませんで」
北見はまだ勘違いしていた
「北見様いいのですよ。私と魔王様の関係は、隠し立てするようなものではありませんから」
「おいこらやめろ」
「そ、そうでございますよね。陛下は、魔族の王。寵姫のお一人やお二人」
中々誤解が解けず、ぺこぺこしている北見。
「ち、違う。違うぞ北見。まて、待つのだ。これはシェイラの悪ふざけであって、北見が思っているような事は起きていないし、そういう関係でもない」
じっ、クライドルとシェイラを見る北見。
「そうですわ、北見様、私は魔王様の寵姫ではございません。ただの肉奴隷です」
ハッとした顔をして、口元を押さえる北見。顔が少し紅潮している。
「申し訳ございません。その様の事を口に出させてしまうなど。秘書役の務めも果たせぬ無能でありました。直ぐに交代の者を手配いたします」
「まて、待つのだ北見」
クライドルはこれ以上シェイラが余計な事を言わぬよう、後ろから羽交い絞めにした上、口を塞ぐ。
全裸で羽交い絞めにされ、口を塞がれ、それに必死に抵抗するシェイラ。
それはそれは、扇情的なものであった。
「へ、陛下申し訳ございません。ま、まだ途中でございましたのですね。私は直ぐに退室いたします」
足早に部屋を出る北見。
がっくりと力が抜け、シェイラを開放するクライドル。
「魔王様、朝から充実しておりますね。」
その後、北見に事情を説明するのに一時間ほどかかったという。