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今は亡きSくん

作者:

今から十余年前の話になる。

ある日、電話が鳴った。

電話を取り、いつもながら〝はい、彫◯です〟と変わりない電話の出方をした私。

〝タトゥーを彫りたいのですが、相談とかってしてくれるのですか?〟とSくんとの電話越しでの会話がこれである。

お互いに予定を合わせ、一週間後にそのSくんはやって来た。

歳は25歳で、肌の色は日焼けで浅黒く、さっぱりした青年だった、と言うのが私の第一印象である。

彫る事を前提で相談をされたのだが、その相談と言うのが、友達と一緒にやっている倶楽部のロゴを作っていて、それを昔ながらの「手描きの手彫り」で出来るか否かであった。

そのロゴは、丸みを帯びた真っ黒のライオンの顔をかたどっており、いかにもパソコンで作りました、という、機械で作った絵であった。

私は内心〝面倒臭いなぁ〟と思いながら、Sくんに、刺青に対する思いを聞いてみた。

Sくんは〝僕は高校生の頃から刺青に憧れていて、二十歳の時、その機会が訪れたのですが、彫りたい図柄が無く見逃したのです。それから色々とあり、友達と作ったこのロゴを彫りたいなぁ、と思っていたのですが、その友達が一生物だから止めた方がいい、と、言って、それから四年程、真剣に考えたのです。その期間、少しずつお金を貯め、遊びも減らし、刺青の事を自分なりに調べたり、彫ってる人に声をかけ、話を聞いたりしていました。そんな事をずっとしていると、その友達も僕がどうしても彫りたいのだ、と分かってくれたらしく、その友達が協力してくれ、親に刺青を彫りたい、と説得してくれる手助けもしてくれて、それで色々な彫師さんのホームページを見たり、雑誌を見たりして、連絡させて頂きました〟と言った。

嘘か真かその時はまだわからぬが、ただ分かったのは、本当に彫りたい思いが伝わってきた。

さて、そうなると問題は私自身である。

内心、面倒臭いなぁ、と思いながら、友達や親を説得するなんてありえない、と思っていたのだが、彫りたい気持ちは痛い程分かるのである。

まして、Sくんは埼玉県のA市から来ており、その道中の事を考えると、ただでは帰してあげられない。

何か手土産の一つでも、と、思い、〝今日の今日は彫れないけど、一週間、時間を下さい〟と私は言った。

何故、一週間の時間を要したのか?と言うと、それは絵を身体で覚えるからである。

昼夜問わず、ひたすらその絵を模写し、身体で覚えるのが私の必要とする時間なのである。

この一週間の期間の間にSくんは、ちょくちょく電話をかけてきて、私の進行を尋ねてきたものである。

六日後、ある程度、絵の描き初めから終結点を把握し、100%は無理だが85%までは自信が付き、Sくんに連絡をした。

〝彫◯ですが、ある程度、覚えたので、いつでもいいですよ〟と言うと、Sくんの声は弾み〝ありがとうございます。では、四日後、伺っても大丈夫ですか?〟と聞いてきた。

〝大丈夫ですよ。では四日後、待っています。彫る前日はアルコールを控え、充分に身体を休めて来てください〟と言って電話を切った。

四日後、Sくんはお昼頃やってきた。

ご飯も食べずやって来た。

それだけ彫りたい思いが強かったのだろう。

だが、お昼頃だったので、私は昼食を先に済ませなければ氣分が乗らないので、知り合いがやっていた弁当屋へ電話をし、弁当を取った。

ここの弁当屋も今はもうないのだが、焼肉弁当とイカフライがとても美味しく、Sくんにも食べさせてあげたかったから丁度良かった。

昼食を済ませ、では今から始めましょう、と言ったのが十四時位だった。

昼食時、色々と会話をしては、緊張感を緩めてあげたつもりだったのだが、針の付いたノミや、インクを入れたインクキャップを見ては、また緊張したらしい。

先ずは筆ペンで二の腕に下絵を描き、そして確認をしてもらってか彫り出す。

タトゥー屋なら、トレッシングペーパーを使って肌へ転写し、機械でビィービィー機械音を部屋で響かせながら作業をするのだが、私は機械彫りも転写も出来ない人間である。

真っ新な身体に針を刺すのは毎回、怖いのだが、その恐怖を乗り越え、針に墨を吸わせ、リードペーパーを左手の薬指と小指で持ち、親指と人差し指、中指は筆ペンの墨が余り付かない様に遠慮しながら肌を張り、親指の腹にノミをあてがい、下絵の線の上を突いて彫っていく。

筆ペンだから、所々、下絵の線は太かったり細かったりするのだが、太い線の場合、私は針にどの道を選ぶか任せている。

これは思想の問題であり、私はいざ彫り出すと、自身の身体を針に預けるのである。

文身を裏切らなければ、針はキチンと最適な道を歩んでくれるからである。

道具としているノミが、私の場合、ノミが主体で私の身体が道具なのである。

チクチクと筋彫りをしながらはSくんに話しかけたりして、痛みを少しでも緩和してあげたりもした。

筋彫りを終え、一度、休憩をして、リラックスしてもらう。

次は筋彫りの中に黒を入れる作業である。

筋彫りの針は3本針で行い、色入れの針は今回、20本針と10本針で行った。

針の組み方は、20本針の方は、10本を二段にしたものであり、10本針の方も5本を二段にする。

色入れの場合、筋彫りと違って、肌を割く音が出る。

肌を割く、と言っても、実際は、組んだ針が肌へ突いた時、束ねた針が少し広がり、抜いた時に閉じる音なのであるが、これが出来るか否かで腕が違うのである。

突き方にも色々と呼び方があり、音もなくただ突くのはイモ突きと言い、音を立てて突くのは跳ね針と言う。

そんなこんなでSくんの腕に墨が入っていき、最後の一突きを終え完成すると、Sくんはとても喜んでくれて〝ありがとうございます。本当にありがとうございます。とても嬉しいです。一生、大切にします。〟と言って満足してくれた。

帰り際に私は色紙に和彫りの絵を描いているのを挙げて、〝別に彫らなくてもいいから、暇があれば遊びついでに顔見せに来て〟と言い別れた。

それから暫くすると、Sくんは転職をし、ちょくちょく遊びにもきてくれたりもした。

最後に遊びに来たのはいつだった忘れたが、◯◯COMと言う警備会社に入社した事をSくんから聞き、休みの時にでもまたお邪魔させて頂きます、と言ったきり、その年の暮れ、十二月の中頃にSくんは亡くなった。

会社の忘年会で、新潟県へスキーに行ったのだが、夜の宴会の席で、羽目を外してアルコールを浴びるほど飲んだみたいで、それだけなら別に何ともないよくある事なのだが、日頃の激務の疲労もあって、急性アルコール中毒になった。

社員に元看護婦が居たみたいなのだが、その日に限って外は大吹雪で、救急車が30分以上時間を要したみたいで、心肺停止しているSくんに、元看護婦は心臓マッサージをしたりして、出来る限りの蘇生処置を行ってくれたみたいなのだが、その甲斐虚しく永眠となった。

その事を聞いたのが、Sくんのお姉さんからである。

Sくんの電話を使い、わざわざ報せてくれたのである。

職業柄、通夜や告別式に出て、迷惑をかけてはいけないから、通夜の前日、Sくんの家へ行き、お別れをしてきた。

初めて会うSくんの家族に、何と言って話せば良いか悩んでいると、Sくんのお姉さんが、〝弟の身体に刺青を彫った彫師さんよ〟と、お父さんに説明していた。

お父さんは〝生前、息子が大変お世話になりました。息子から色々とお話は伺っております。あの日は上機嫌で息子が帰って来て、とても大事に腕の彫り物のケアーをしてました。私共は反対をしていたのですが、息子と息子の友達が私にしつこく息子が刺青を彫る事に了解して欲しい、と、迫られた事を思い出します。初めは駄目だ、の、一点張りだったのですが、日頃の行いをみていたり、刺青に対しての息子の考え方が四年程、真剣に考えていたのを知ったから最後は許したのですが、その時の息子の喜び様や、彫って帰って来た時の喜び様を思い出すと、本当に感謝しています。〟と言ってくれた。

最期にお線香をあげ、Sくんと作品にお別れをして、帰りの道中、私はSくんがどの様な気持ちで、この向かっている時間を過ごしたのか、一人思いを馳せた。

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