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7.

 すっかり患者も少なくなってきて、マックスと二人で喋っていると、まるで同い年か年上の人と話している気分になった。


「マックスくん……お勉強が随分先に進んでいるんですね……」


基礎教育の域を超えている。シャーロットも家庭教師から必要な知識は学んだが、マックスの読んでいる本は難しく感じた。


「そうかな。学校に行っていないから早いか遅いかよくわからないよ」

「え……っ!」

「なに驚いてるの? 学校なんて金持ちしかいけないよ。平民の中にだって財力に違いがあるんだから、貴族様の学校じゃなくたって僕らには高い学費なんだよ」

「では自分でここまでの学力をつけたんですか?」


平然と頷くマックスにシャーロットは言葉を失ってしまう。

 聞くところによれば彼は家の手伝いもして空き時間に一人で勉強しているそうだ。


「それは……大変ですね……」

「それもよくわからない。勉強は趣味みたいなものだから苦じゃないし。第一、医者になるのはそう簡単じゃないから」

「まあ……お医者様に……?」


マックスは力強く頷いた。


「そう。最近はエリオット先生が勉強を教えてくれるからすごく助かってるんだ。医者って給料いいしさ、自分の家族が病気になっても僕が治せたらすごいだろ? それにこれは秘密だけど……」


人差し指が、診察室に向けられる。


「かっこいいだろ、あの人。 ああいう医者になりたいんだ」


少し照れくさそうに俯く彼を見て、微笑ましくなると同時に悲しくもなった。

 あの子は、リアムは、こんな風に楽しそうに医者になりたいだなんて言わなかった。リアムの本当の夢はなんなのだろう。

 楽しそうに将来を語る彼を想像できない原因が自分自身なのがあまりにも不甲斐ない。

 エリオットはとてもいきいきと仕事をしている。彼は仕事のことを楽しそうに語る。けれどもし、リアムがこのまま医者になったなら、あんな風に楽しそうに働くことができるだろうか。

 きっと、無理。

 だってリアムは医者になりたいわけじゃないから。ならなくてはいけないと思い込んでいるだけだから。


「貴方はきっと素敵なお医者様になるでしょうね」

「根拠もなく言うもんじゃないよ、そういうこと」

「根拠ならあります。マックスくんはお喋りが上手ですもの。そういうお医者様って、患者さんにはとても好感が持たれるでしょう?」


 シャーロットはすっと手を診察室に向ける。

 お医者様とお話するのは苦手だったけれど、エリオット様はそんなことを感じさせない。

 マックスは、ふーん、と呟いてから少し口角をあげた。


「そうかもね」

「はい、そうですよ」

「じゃあ僕が医者になれたらシャーロットの脚、治してあげるよ」


急なことに数回瞬きをすると、マックスは車椅子をジロジロ見始めた。


「年季が入っているから、しばらく歩けてないんでしょ? 大丈夫だよ。あと何年かして僕が医者になれば治してあげるから」


 リアムも、医者になってシャーロットの脚を治すと言った。けれどこんな風に笑ってではなかった。


「期待しないで待っていますね」

「え、酷い……。ああ、そっか。エリオット先生が先に治してくれるもんね」

「どうでしょう。そうかもしれませんね」


いたずらっ子みたいに笑うマックスと一緒にシャーロットもクスクスと笑う。脚の話をすると家族も使用人も悲しそうな顔をする。

 こんなに気まずい思いをしないですんだのは久しぶりだった。




***




 帰りの馬車の中で、エリオット向かいに座るエリオットは微笑んで聞いてきた。


「今日はどうだったかな」

「とても楽しかったです」


即答すると、彼のお行儀のいい微笑はくずれて、へにゃりと、だらしないと言うよりあどけない笑みが見られた。


「よかった」


 うん、うんと頷くエリオットはいつもの饒舌さはなくて、頬を赤くして楽しそうにしている。


「僕の仕事を訊くと眉を顰めるお嬢さんが多くてね。無理もないよね、僕の立場を考えると。だから職場には君の兄上も呼んだことがなくて少し不安だったんだ」


 友人歴が自分よりも長い兄より先に……。なんだか優越感がある。


「ですけどきっと、お仕事をしているエリオット様を見ればどんな女性でもエリオット様に惹かれてしまうと思いますよ」


それくらい、今日の彼は輝いて見えた。

 日曜日に自分より優位に立って優雅に話す彼が、多くの患者に言い負かされたりからかわれたりする姿を思い出して、シャーロットはくすくす笑う。


 いつかのように、エリオットは目を見開いて驚いた顔をした後、しばらくして、微笑んで、シャーロットの手を片方握った。


「君も?」

「はい?」


いつもより心なしか、彼の笑顔が緊張しているように見えた。


「僕の仕事ぶりを見て、僕を好いてくれる 『どんな女性でも』 と言う中に、君はいるのかい?」

「は……い……?」


なんの冗談、と笑い飛ばそうとしたが、エリオットの笑みが徐々に、徐々に、時間をかけて消えていって、真剣な目で見つめられ、シャーロットは息をのんだ。

 まっすぐこちらを見る瞳から目が離せなくなって、緊張して、熱くなって、うめき声のように途切れた声しか出なくなってしまう。

 がたりと、石がひっかかりでもしたのか馬車が揺れると、エリオットがハッとしたようにまた目を大きく見開いて、時間を置いて、苦笑いを浮かべた。


「……なんて、ね。ははは……。いけないよ、シャーロット。君はとても素敵な女性なんだから、僕でなければ勘違いされていたろうね」


子供にするようにエリオットが頬をつねってきたので、シャーロットの方もやっと緊張がほぐれた。

 口元を抑えて、ふふっと笑う。


「エリオット様こそ、心臓に悪いお芝居をするのですもの。驚いてしまいました。それに、私なんて、そもそもこんな脚で……」


 そういえば、と今日の光景を思い浮かべる。


「そういえば、今日お会いした方は誰も、私の脚を見ても変な顔をしませんでしたね」


どうしたのー? とか、痛いのー? とか、訊かれて、素直に答えても、大変ねえとただ心配してくれた。

 エリオットは微苦笑のような顔をうかべて、頬をかいた。


「なんと言えばいいのかな。君の場合、いる環境が悪かったから、卑屈なのかもしれないね。ああ、いや、子爵家を悪く言うのではなくて、普段接するのが貴族のことが多かったろう?けれど大部分の人はね、貴族のように家だけで栄えるのではなくて、人と人とのつながりでなっているんだ。彼らは純粋に素直な君が平気か、辛くないか、悲しくないか、それさえわかれば十分だと思っているんだよ」


 脚がどうとか関係なく。君が良い子なら、そして困っていないなら、それでよし。そういうこと。

 人差し指を立てて話すエリオットの言葉には説得力があった。


「そういう生き方ってとても人間味に溢れていていいよね。そういう社会だととても楽だし。苦手な人とは関わらない、気の合う人とはより親しく、なんて、薄情だと思うかもしれないけど。人間は完璧な生き物じゃないからね。人生をより楽しむために考えて生きるって、なんて素晴らしいことだろうと僕は思うよ」


 それじゃあ、少なくともまだ、私は関わりたくない苦手な相手と思われていないのね、と心の中だけで安堵のため息をつく。


「それに、あそこに来る人たちは裕福とは言いがたい。お金を使える限度もあって、そのせいで体のどこかが悪いまま治せないところまできてしまった人もいるから、特別君が珍しいわけでもないしね」

「そう……、なのですか……」


 たしかに、治療、手術となればもっとお金はかかる。平民であれば生活に支障が出ないならば、何もしない、という人もいるかもしれない。

 そんな人もいる中で、父の稼いだお金で何度も何度も医者を呼んで、成果を出せていない自分が情けなくなる。

 肩を落としていると、エリオットが小さく溜息をついた。


「君が落ち込むのはおかしいね、シャーロット。君が考えていることはだいたい想像ができるけど、治るかもしれない、そしてお金もある、それなのに何もしない方が、我儘だよ。君や君の家族は持っているものを使って可能な限りの努力をしている。それは責められることじゃあない。まあ、僕が余計な話をしたのがいけなかったんだけど」


 頭の上に来たエリオットの手に油断していたら、ぐちゃぐちゃに髪を乱された。

 少し頬を膨らますと、エリオットがくすくす笑う。


「すっかり油断をしていました……」

「僕が悪いことをしたみたいに言うね」


 馬車が泊まって、扉が開かれた。


「子爵邸についたみたいだね。名残惜しいけど、また日曜に」

「はい。また……」


馬車の前まで、兄が走ってかけつけてきた。


「ああ、君が来てしまったせいで別れ際のキスもできなくなってしまったよアドリアン」

「なに? キスだと……。それはまだ、シャーロットには早いぞ、君」

「お兄様、エリオット様の悪い冗談だわ」


 ところでね、今日はお話したいことがたくさんあったのよ。


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