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5.

 手で口を押えて、涙が流れるのを必死に堪えた。

 肩の震えが止まらない。


「熱いから、取り出すのは僕にやらせてもらうね」


エリオットがオーブンから取り出した天板からテーブルに、ざらざらとクッキーが流れ落ちる。その光景が、これまで見て来たものの中で一番神秘的なものに思えた。


「や、や、やりましたね、エリオット様……!」


ついに堪え切れなくなった涙がこぼれて来た。


「ええ? どうして泣くんだい?」


 シャーロットの背中をさするエリオットは困ったように笑った。


「実はその……、失敗する私とエリオット様の姿をここしばらく夢にみてしまって」

「僕と何かすると大抵失敗する、というような刷り込みが君にされてしまったのかもしれないね……。傷つくなあ」


そう言うエリオットがまったく傷ついているように見えないので、シャーロットは口先だけで謝ってクッキーを眺めることに徹した。

 茶色と狐色のクッキーは少々安っぽく見えるが、逆にそれが愛おしく思えた。


「折角ですから綺麗に包みたいですねえ」

「そうだね。そう思って用意したよ」


 言って、エリオットが出したのはいくつもの包装用の布とリボンはどれも毒々しい色と模様だった。ヘドロのような色だったり、食べてはいけないキノコのような模様だったり。

 うっかり変な声を出さなかった自分を褒めてやりたくなった。


「女の子は花柄が好きだろう? あとは、僕がいいと思った柄をいくつか買ってきたんだ」

「そ……うでしたか……」


 花柄? この毒キノコが? いいと思った? この泥のような模様を?


 しかしわざわざ買ってきたと言う彼に、この布はちょっと……とは言いづらい。彼の私服がシンプルで落ち着いていることに疑問を抱いた。

 ああそうか。

 彼は可愛いと思ってこの柄を買って来たので、可愛さを求められていない服には尖ったセンスが反映されなかったのか。


「私もいくらか包装用の布を持っているので、持ってきますね」

「遠慮をしなくてもいいんだよ? ああ、さては僕の懐の具合を心配しているね。女性にそんな心配をさせるほど甲斐性なしではないよ」

「いえ……、あの……」


 これで包んだものを人に渡すのは少し気が引けるかな、なんて。


「……ではお言葉に甘えさせていただきますね」


 エリオットとの楽しいこと探しが初めて成功をおさめたかと思ったが、最後の最後でつまずいてしまったとシャーロットが思ったことなどエリオットは知る由もないだろう。




***




 結局今日も引き止められ夕食を共にしたエリオットは、出口の前で立ち止まってしばらくシャーロットに相談をしていた。

 屋敷中の人が気を遣ってエリオットの見送りを一緒にしてくれないことがかえって気まずい。そういうのではないと言っているのに。エリオット様はただ私を診てくださるお医者様。それだけなのに。


「来週は何をしようかね、シャーロット。また料理をするのでもいいけど、新境地を開拓する方が君の回復に近づくだろうし……。考えたんだけど」

「はい」

「君の明日の予定はどうなっているかな」


明日は、たしか、


「セレステ様が遊びにいらっしゃる予定です」

「彼女の相手は私がするので問題ない」


それまで姿を隠していたアドリアンが突然現れたことに驚きながら、シャーロットは首を傾げた。明日、セレステが来るのは恋人であるアドリアンに会いに来るのではなく友人であるシャーロットとお喋りをするのが目的だ。

 それに、第一、


「お兄様は明日もお仕事でしょう?」

「休む。問題ない。どうとでもなる。もしどうにもならないならば父さんが私の分まで働くのでお前はエリオットとの予定をたてなさい」


 父を使ってまで休むだなんて……、と眉を下げるが、アドリアンは無表情で頷く。でも……、と断りを入れようとすると、今度はどこからともなく父が駆けつけた。


「シャーロット、何も、問題はないんだ」


 困ってエリオットを見ると、エリオットも苦笑して父とアドリアンを見ていた。


「明日でなくてもいいんだ。君の予定の空いている、できれば平日を教えてもらえたらいつでも」

「それなら、月曜日以外はいつでも……」

「では火曜日にしようかな。その日一日、僕の職場で手伝いを頼みたいんだ」


 ぴきりと、自分の体が固まった。

 口元だけがかろうじて動くので焦らない様にゆっくり断りを入れる。


「折角の、ご提案なのですが、私は外へは……」

「ようは、君がノースロップ子爵令嬢とばれなければいいんだよね。君は社交の場へはしばらく姿をだしていないそうだから見てすぐ君が君だと気づく人はいないだろうし、僕の職場は上流階級の患者は来ないから、大丈夫だと思うよ」


 たしかにそうかもしれないが……。

 ながらく外に出ていなかったのでためらいがある。もごつくシャーロットに、エリオットは更に重ねる。


「こもりきりでは体にもよくない。どうしても心配なら、ジェーンとでも名前を偽ればいいよ」

「すぐにばれてしまいそうな偽名ですわね……」


 つい最近にも似たような会話をしたなとシャーロットは溜息をついた。


「朝早くに迎えに来ることになるだろうけど、大丈夫かい?」

「問題ない」


答えたのは、アドリアンだった。

 ちらりと父の顔を見ると笑っていて、もちろん行くのだろうと目が言っている。


「……わかりました」


そう答えるほかなかった。




***




 楽しそうに笑ってお茶を飲むセレステに、シャーロットは唇を尖らせた。


「お兄様もお父様もお母様も、お屋敷の皆、勘違いしているんです。エリオット様はお医者様で、彼にも都合があるのに。変に気を遣われては返ってエリオット様を追いつめてしまいます」

「それが目的なんでしょうよ」


 月曜日、エリオットとの約束が火曜日になったおかげでシャーロットは予定通り兄の恋人のセレステとお喋りをして、兄は予定通り仕事に向かった。


「おいつめれば、メラクリーノ先生だって結婚を考えるんじゃないの。貴女もね、シャーロット」

「まるめこもうという魂胆って、感心できません」

「馬鹿ねえ。貴女の家族は貴女に感心してほしいんじゃなくて幸せになってほしいのよ」


 クスクスと笑ってティーカップを置いた兄の恋人は今日も今日とて美しい。立ち居振る舞いも、父親から盛り上がった商人の娘とは信じがたいくらいに完璧で、思わず見とれてしまうほどだ。


「勿論私だってそうよ。いいじゃない。素敵な方でしょう、メラクリーノ先生は。きっと貴女を幸せにしてくれるわ」

「エリオット様ははっきりと、結婚をする気はないとおっしゃったんですよ」

「それは、貴女のことをよく知らない頃の彼でしょう。これから徐々に魅力を見せつければ、そのうち彼も貴女に惹かれるわよ。貴女はとっても可愛いんですもの」


 魅力を見せつけようにも、自分の魅力なんてシャーロットにはわからない。


「私だって、結婚をするつもりはありません。エリオット様とはまだ数回会っただけですし、私と結婚してもエリオット様にいいことなんて一つもありませんもの。それよりも、早く独立するための準備をして、お兄様とセレステ様の結婚の話を進めていただかないと……」

「いやぁよ。申し訳ないけど、私はまだ貴方のお兄様と結婚する気なんてないんですからね」


 ふん、と鼻で笑った兄の恋人は、窓の外を睨みつけた。


「うじうじした男って嫌いなの。それにね、貴女はそうやって気にするけれど、全責任は貴女のお兄様にあるわ。結局ね、あの人は貴女を言い訳に逃げているだけなのよ。結婚なんて男にも女にも一大事だから気持ちはわかるけれど、妹のせいにして問題を先送りにしようなんて情けのない」


ぶつぶつ言う彼女は普段は決してしない貧乏ゆすりなどをしている。


「どうせ、貴女が結婚してもあの人はまた言い訳を探して私とのことを先送りにするのよ。大丈夫。あの人の逃げ道は順調に塞いでいっているから、貴女が私たちのことを気にする必要はないの。それよりも、ねえ。いいじゃないの、メラクリーノ先生なら」

「だから……」


そういうのではないと言うのに。

 ふっと溜息をついたセレステはじっとシャーロットを見つめた。それはさっきまでの茶化すような目ではなく、真剣なものになっていた。


「部外者の私が口を出すことではないけどね。貴女は他にどんな方法でリアムと一緒に過去を捨てるの? いい機会よ。メラクリーノ先生にも悪い話ではないのだから、利用するわけじゃないわ。運命だったと思えばいいのよ。貴女がずっと独り身ではリアムだって余計に後ろめたい思いをするわ。それとも貴女とリアムで夫婦にでもなるつもり? それで貴方たちが本当に幸せになれるなら、私は反対はしないわよ」

「まさか」


 リアムとの結婚なんて、それこそ受け入れるわけがない。


「あるいは貴女、リアムの前から消えようとか、そんなことを考えている? 世の中そんなに都合よくできてないわよ。リアムはすぐに貴女を見つけるわよ」


 そして、勘違いした愛情を保ったまま、お互い苦しみながら生きていくことになるのよ。


「……」

「まあ、私はあくまで部外者だから、忘れてくれてもいいけどね」


ぱん、と手を叩いたセレステは、またからかう表情でくすくす笑った。


「今はメラクリーノ先生とのことね。あの方は素敵よお、身分に囚われないし、どこかの男と違って柔軟な思考を持っているし、どこかの男と違ってよく笑って朗らかだし、次男で独立しているから伯爵夫人のプレッシャーもないじゃない。貴女にはぴったり」


誰も、シャーロットとエリオットの関係を正しく見てくれない。周囲が自分の結婚相手の心配をしていることを改めて実感させられた。


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