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3.

 荷物を置きながら、エリオットはクスリと笑った。


「僕やアドリアンと同じ学校ということは、リアムは開校記念日と開国記念日と理事長の誕生日以外休日がないんだね。可哀想に」


シャーロットは苦笑して頷いた。

 まさか本当に来るとは。

 リアムがいなくて本当によかった。どういうわけかリアムはどうしてもエリオットが気に入らないらしい。

彼は脱走の常習犯のため、学校側はとうとう見張り役をつけたらしい。アドリアンの恋人の弟が彼と同い年なのだ。その彼に見張られては、報告は簡単にアドリアンの元へ行く。リアムも下手に動けない。


車椅子のシャーロットの前に椅子を持ってきたエリオットは座って、女性のように美しい笑みを浮かべた。


「それじゃあ、レディに失礼だけど脚を触らせてもらっていいかな?」


頷いて、ドレスの裾を膝まで持ち上げた。

 何度も医者に診せているせいで躊躇いがなくなってきた自分に驚く。女性の持つべき恥の心を忘れてはいけない。せっかく思い出したのだからもう忘れないようにしなければ。


 真剣な顔で脚に触れて、ここは痛い?ここは?と訊くエリオットにほとんど首を横にふって答える。


「うん。感覚がほとんどない?」

「はい」


 唸ったエリオットは立ち上がって、シャーロットの両手をそれぞれ掴んだ。


「試しに立ってみよう。僕が支えるから」

「え、で、でも……っ」


 引っ張られて頭が真っ白になる。

 足と床が触れた瞬間、膝から下に激痛が走った。


「ひっ、……ったい……!」


何万本もの針に刺されたような痛みにシャーロットは床に崩れ落ちて、俯いた。

 慌てたエリオットの声がする。


「シャーロット! ごめん。いきなり無理をさせてしまったね」

「いえ……っ! 大丈夫です」


 口では言うが、涙目になってしまっているのでばれないようにぬぐった。

 エリオットに抱えられ車椅子に戻されたシャーロットは恐る恐るエリオットの顔を見た。申し訳なさそうにしながらも、何か考え込んでいるように見える。


「立とうとすると痛むのかい?」

「はい」

「どんな風に?」

「針で刺されるような……」

「なるほど」


 腰に手をあて天井を見上げたエリオットは、うん、と言ってシャーロットに向き合った。


「やはり僕も、君が歩けないのは心の問題だと思うね。となると、手術をしてすぐに直すのもできない」

「ええ」

「というわけで毎週日曜日に君と僕がすべきはこの世で一番楽しいこと探しだ」

「……はい?」


訊き返すと、エリオットは楽しそうに笑って椅子に座りなおす。


「心が傷ついているなら傷が癒えるような楽しいことをすればいいんだよ。簡単だ」

「それは、その、どのくらい時間が必要なのでしょうか」

「さあ。人によって変わる治療方法だからね。だがそれが一番確実な方法だ。もう一つ方法がないわけでもないけれど」

「そのもう一つはどんな?」

「人間、窮地に立たされると思いがけず実力以上の力を発揮するだろう? そんな状況になれば歩けるようにだってなるかもしれない。だけどこれは極めて危険でね。たとえば君を猛獣の檻に入れるだとか、崖の端に立たせるだとか。だけどまさか君のようなか弱いお嬢さんにそんなことできないよね」

「そう……ですね」


 今までリアムが医者をやぶ医者という時、シャーロットはリアムを責めた。

 だが今回については……、あら?とうとう本物のやぶ医者かしら?なんて一瞬でも思ってしまった。およそ医者が提案するとは思えない物騒な治療法に耳を疑う。


 エリオットは叱られるのを怖がっているような顔をして肩をすくめた。


「冗談だよ?」

「そう……ですか」


 んーっと、唸ったエリオットは苦笑して、猫背になった。


「患者の男の子にね、エリオット先生はユーモアのない人だと言われてしまって。慣れないなりに冗談を言ったんだけど、君の反応を見るに僕にはセンスがないみたいだ」

「まあ……。そうでしたか」


シャーロットは口元を抑えて少しだけ声を出して笑った。

 容姿が端麗で物腰も雰囲気も柔らかくて、家柄もよく、医者になるほど頭がいい。きっと他人に何か言わせる隙を与えまいとしてきたのだろうこの人が、子供に一本取られる姿を想像するとおかしかった。彼はどんな顔をしたのだろうか。


「あれ? どうして笑ったの? ああ、時間差で?」


自分のジョークで笑ったと思ったのか満足そうにするエリオットに、シャーロットはついに耐えられなくなってやや大きめに声を出して笑った。


「ええ、ええ。エリオット先生はユーモアのある先生ですわ」

「そんなこと、初めて言われたなあ」


照れ笑いをして頬をかくエリオットはどこか嬉しそうで、今更、冗談で笑ったわけではありませんと言えなくなった。


「それでつまり、君の治療方法としては最初に提案したものを採用するよ。そうだな、今日は僕の思いつくプランを試してみて、他は次回までに考えておくよ」


 エリオットと会った先週から、シャーロットは彼を明らかに怪しいと考えていた。一番の理由は、報酬はいらないと言ったところだ。それなら彼にどんな得があるだろう。日曜日は彼の唯一の休日らしいのにそれを返上して初めて会った治る見込みの薄い友人の妹を診ると言うし、そのうえ見返りを求めないなんて、と。

 リアムもまったく同じことを言ったが、家のルールは父が決める。次に決定権があるのは兄だ。その二人がそろってエリオットを迎えればリアムがなんと言おうと覆ることはない。

 エリオットに失礼な態度をとるだろうというのは家族全員が察していたので、いつエリオットが来るかまではリアムに言っていない。


 母はこれを丁度いい機会だと言った。なんせリアムの脱走は学校側からも注意をうけている。エリオットも来ていることだし、リアムもシャーロットにかまいきりにならないように見張りを強化するよう、エリオットが来てくれることになったのは神様のそんなお告げではないかとまで言っている。

 母はおっとりいていても教育に熱心な人なので、兄のような超人が生まれ、リアムもそれに続いている。

 そんな母の口癖は 「意見を言う権利があるのは義務を果たした者だけ」 で、これは今や兄もよく使う言葉である。


「まあ僕のプランと言っても今日はただお喋りするだけだ。なんせ僕はまだ君にとって気を許せる相手ではないだろうからね。親睦を深めて、これからの日曜日を楽しもうじゃないか」


 もうすっかり冷めた紅茶を一口飲んだエリオットはクスクス笑う。


「この際だから訊いてしまうけれど、君は僕を怪しんでいただろう? 報酬を受け取らない医者は確かに怪しい」


心を読まれたのかと思って、シャーロットはドキリとした。


「理由は極々単純なんだよ。僕の生活において、今の稼ぎ以上の収入は不要なんだ。限られた収入の中で生活する楽しみを知ってしまったからね。一人暮らしだと尚更金を使う機会が減るし、あんまり稼ぎすぎて泥棒に狙われるのも嫌なんだよなあ。それでも一般階級じゃ高収入に入ると思うんだけど」

「エリオット様は一人暮らしをなさっているのですか?」

「そうだよ。兄弟がたくさんいてね、いつまでも兄の世話になるわけにいかないから。自分で稼ぐのも楽しいから家を出たら、いつの間にか両親には残念な目で見られるようになったけど、気楽なものだよ」


 なんでもないことのように言っているが、伯爵家の次男にはそうそうない愉快な生き方に思える。


「何でも手に入る環境って、人間をダメにすると思うんだ。何か制限と限界があるから、よりよい結果に辿りつこうと考えられるだろう?」

「そういうものですか?」

「そういうものだよ」


 買い物をする時も、何を買うか迷うのが楽しい。何か目標を決めて、それに辿りつくまでが楽しい。自分で稼いだお金で得たものは、心から自慢できる。

 貴族には珍しい思想をお持ちの方だな、とシャーロットは興味深く話を聞く。


 だがそうなると、何故彼は楽しい一人暮らしでの休日を自分などのために使うのだろうと余計不思議に思う。友人の妹だからといって親切すぎやしないか。


「だけどやっぱり、一番楽しいのは仕事かな。うちに来る患者さんは個性が豊かでね。僕にユーモアがないと言った男の子はいつも辛辣なんだけど、大人を黙らせるくらい口が達者で賢いんだ。診療所に入った途端、何が面白いのかずっと笑いっぱなしのおじいさんとか。ぼけているわけじゃないんだよ? 気の強いパン屋の夫人はお代だけじゃなくてパンのおすそ分けをくれる。お喋りな花屋のお嬢さんはよく身近な人のうわさ話を聞かせてくれるんだ。他にも」


エリオットは今日の中で一番楽しそうな笑顔で患者たちの話を延々していた。手品の得意な酒場の店主。親に素直になれず診察の後に相談してくる少年。その少年のことを相談しに来る母親。

 診療所のはずなのに、お悩みの相談場所にもなっているようだった。

 ただ、話を聞くだけでも、彼が患者に信頼されているのはわかった。でなければ、誰がおすそ分けを持って来たり、相談をしに来るだろうか。


「素敵なお仕事ですね」


 シャーロットが言うと、エリオットは何故だか驚いたような顔をしてから、ふにゃりと笑った。


「そうだろう?僕もそう思うよ。僕の仕事は運命や巡りあわせで成り立っていると考えているんだ。それはとてもロマンのあることだよ」


 だから、とエリオットはシャーロットの手を握った。


「君という患者に出会ったのも、巡りあわせで運命だと思うんだ。僕が治すべきだから、君が僕の前に現れたんじゃないだろうかと根拠もなく思うんだよ。勿論、君に限らずすべての患者に僕はそういう運命を感じるんだ」


 言い終えて、エリオットはすっきりした顔で首をかしげた。


「これで君の中の僕への疑問は消えたかな?」

「へ? どうして……」

「もし僕が君の立場だったら、どんなことを思うか考えてみたんだよ。当たりだったみたいだ」


エリオットは子供のように笑って、またお茶を飲む。


「私、そんなにわかりやすい人間なのでしょうか……」

「そうじゃない。常識があるから、持って当然の疑問を持ったんだよ」

「物は言いようですね」

「真顔でお互いが傷つくことを言うね」


 今日はお喋りをする日だから、と、エリオットは何か訊きたいことはないかという。だから彼が楽しそうに話す患者や仕事の話を聞いて、学生時代の兄の話なども聞いた。寮で過ごす兄の話はもっぱら自分やリアムのことだったと何度もそればかり聞く。恥ずかしい兄で、と言えば、けれど自慢の兄でもあるだろうと訊かれ、迷わず頷いた。

 エリオットは話し上手で、一つ聞けばいくつもの言葉で返してくれる。それが楽しかったし、また彼は聞き上手だったので自分から話すのも楽しかった。


「一人暮らしは、不自由なことはありませんか?」

「慣れれば気楽でいいものだよ。一人きりだから退屈することもあるけど、しばらくは君が休日の話し相手になってくれるしね。友人は、アドリアンくらいしか来たがらないんだ。広いとは言い難いからね」

「おうちからは誰も連れて行かなかったのですか?」

「それじゃあ一人暮らしでなくなってしまうからね」


 ふむ、とシャーロットは考える。それじゃあこの人は自分で洗濯をして、料理を作って、掃除をするのか。

 雰囲気がいかにも育ちのいい人なので想像ができない。


「お料理もできるのですか?」

「始めは全然できなかったけどね。失敗は成功のもとと言うだろう?あの言葉を思い知ったよ。毎日作っていればだんだん上達するものさ」

「まあ! では実践は人間を大きく成長させるのですね」

「そうだよ。掃除だって好きではないけれど難なくできるようになったし、自分で自分の生活を作り上げるのは楽しいものだよ」


 それなら私も……。

 考えてみる。脚の自由が利かず多少不自由があっても、慣れれば自分の生活を自分で作れるかもしれない。

 だんだんと希望が見えて来た。


「けど一人暮らしで困るのはあれだね。仕事中突然の雨! 洗濯物を出したままにしておくととりこんでくれる人がいないから、洗いなおさなくてはいけなくなるんだ」

「それは憂鬱になってしまいますね……。早く良い奥様に恵まれるといいですねえ」

「うぅん……、痛いところをついてくるね、シャーロット。僕より君の兄上の方が先だと思うよ」

「エリオット様はセレステ様ともお知り合いなのですね」

「親友の恋人だからね。何度か顔を合わせたよ。二人とも結婚を急いでいる様子ではなかったけど、あまり悠長にしていてもセレステ嬢のご両親は穏やかじゃないだろうね。まったく、早くプロポーズをしてしまえばいいのに」


それは私のせいです。と言う勇気がシャーロットにはなかった。

 その日のエリオットは最初に言った通り、ただシャーロットと会話だけをして帰って行った。


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