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2.

 彼は今日は休みで、メラクリーノ医師としてではなく、アドリアンの友人のエリオットとして来たのだと言った。

 客間で、エリオットと向かい合って座るシャーロットの隣にはリアムが座り、エリオットの隣にはアドリアンが座った。


「いいやエリオット、それも違うな。今日君はシャーロットの」

「少し席をはずしてくれないかい、アディ」

「……私の家だぞ?」


 ふっと笑ったエリオットは一見優しげだが、有無を言わさぬ圧力もあるように思えた。


「君、本当は自分が強引な行動に出た自覚があるんだろう? 僕が多少横暴になっても何も言えないね」

「……何か茶菓子はないか聞いて来よう。私がいない間に余計なことは話さないでくれよエリオット」


 肩をすくめたエリオットに厳しい視線を向けたアドリアンは、ちらちらと振り返りながら客間を出ていく。

 にこりと笑顔を保ったままのエリオットはシャーロットとリアムを交互に見た。


「はっきり言ってしまうと、君の兄上は僕に君との結婚を勧めて来たんだ」

「はい」

「驚かないね」

「なんとなく、予想していたので」


 自分ももう十八。エリオット以前にも縁談は上がり、男性数名と会いもした。歩けないことが気づかれてしまわないように、椅子から一切立たずに。それで礼儀知らずと思われ断られもした。好印象を抱けた相手に脚のことを伝えれば嫌な顔をされた。

 縁談の相手としては父や兄が信頼していた人々だったので脚のことを言いふらされることもなかったが、あまりの惨敗具合にシャーロットも多少落ち込んでいる。


「決して君に不満というのではないんだ。ただ僕にとって結婚は現実味のないものなんだ。まだ具体的に考えられない。仕事も楽しいので、一生独り身でいいと思うくらいで。そんな自分が口先だけで幸せにすると言って無責任に結婚しても、君を傷つけるだけだと思うんだ」


 彼は嘘を言っていないだろう。

 ずっとこの調子でいれば、目を見れば何となくわかるのだ。車椅子に座る自分を見ても、エリオットは自分を鬱陶しがる人と同じ目はしなかった。


「はい。わかっています。兄が無理を言ったのでしょう?申し訳ありません」

「いいや、勘違いしてほしくないのは、君に会えたことが嬉しいのに違いはないことだ。学生時代から君は彼の自慢の妹と聞いていたからね。良い友人になれればと思うよ」


 握手を求めて来たエリオットの手に自分の手を重ねようとして、止められた。

 リアムが、シャーロットの手を掴んだせいだった。


「未婚の男女の間で友情が成り立つとでも? 失礼だがサー・エリオット。シャーロットはもう年頃だ。あまり軽はずみなことはしないでいただきたい」


 なにも、握手程度で軽はずみなことと言うほどではない。男女間の友情だって十分成立する。それでもリアムが不機嫌なのは、エリオットが医者だからかもしれない。

 シャーロットがリアムを小声で叱るが、エリオットは気を悪くした様子もなく、瞬きをした後、リアムとシャーロットを交互に見た。


「失礼。君たちは、そういった仲なのかな? だとすれば僕は君たちに不快な思いをさせてしまったね」


 眉を下げて申し訳なさそうにするエリオットに、シャーロットは慌てて首を横にふる。リアムの名誉にも関わる問題だ。


「まさか。ただの従姉弟同士でそういった仲では」

「ええ、私が彼女をもらうつもりです。彼女の脚も、私が治します」


 否定するために降っていた自分の手が勝手に固まって、体が凍り付くのを感じた。


「リアム……? 何を言っているの?」


ふと、視界に入ったエリオットが面白そうにこちらを観察しているのに一瞬イラッとした。ただ、自分が彼と同じ状況になってもじっくり観察してしまうだろうと彼を責めるのはやめておいた。


「お前はもう誰かと結婚する気もないんだろう? なら、いいじゃないか。お前の脚だって、俺がこれまでのやぶ医者よりはるかに優秀な医者になって治してみせる」

「リアム! 私を見てくださったお医者様は皆優秀な方だったわ。それに、貴方には貴方の人生があるの。私を理由に将来を決めなくていいし、まして結婚は、貴方が心から好きになった人としなくてはいけないわ」


 途中、アドリアンが戻ってきたが、シャーロットは動揺で話すのをやめられなかったし、リアムも黙る気はないようで、続けて言った。


「俺はシャーロットが好きだ」


 シャーロットが目を伏せると、リアムはこちらを見ろと言う。


「リアム、母さんがお前を呼んでいる。学校から抜け出してきたのだから当然だな。行きなさい」

「俺は今、シャーロットと……」

「意見を言う権利があるのは義務を果たした者だけだ。行きなさい」


アドリアンの強めの語気に気圧されたのか、俯いたリアムは一度シャーロットを見てからすぐに頷いて客間を出て行った。


 リアムの座っていた場所に座ったアドリアンは、連れて来た侍女に言ってテーブルにマカロンを置かせた。


「そういえば君はこれが苦手だったなエリオット。シャーロット、二人で食べようか」

「君は僕を歓迎する気がまったくないようだ」


兄と兄の友人のゆるい会話に和んだシャーロットは溜息を一つついて、微笑んだ。


「お兄様ったら、お客様の好きなものを持って来なければ駄目じゃない」

「ああ、いいんだ。お前はこれが好きだろう? 優先すべきは彼よりお前だからね、私の素敵なレディ」


 いつからか、父や兄は自分を 『小さなレディ』 から 『素敵なレディ』 と呼ぶようになった。それが、自分が結婚をする年頃であることを思い知らせて罪悪感がある。

 けれどこんな脚になった以上、なかなか結婚もできない。

 家の利益になるならと受け入れようとしても、結局相手側が脚のことに触れ、少しでも難色をしめすと父と兄はすぐに断りを入れた。

 父がそれほど自分に家のための結婚を求めていないのならば、今ではもう結婚もしなくていいのではないかと思う。

 難しいかもしれないが、自分にもできる仕事を探して、家から侍女を一人くらい連れて、屋敷とは別の家で暮らしていこうかとも考えている。やはり両親や兄に迷惑をかけるかもしれないが、いつまでも兄が継ぐこの家に居座るよりはマシだろう。

 あるいは、こんな脚でも受け入れてくれる修道院も探している。


「それで?君は私の注意も無視して余計なことを言ってくれたようだな、エリオット」


 腕を組んだアドリアンは、口元に弧を描いてエリオットを覗き込んだ。

 エリオットは目の笑っていないアドリアンに動じることなく、肩をすくめるだけだった。兄にこんな態度をとれる人がいるとは、とシャーロットは感心してしまう。


「お兄様がいけないのよ。エリオット様の了解もなく無理やり連れて来たのでしょう?」

「君、まさか全て話してしまったのか!」

「お兄様! 聞かなくたってわかるわ。私のことを思ってくれるのは嬉しいけれど、もっと自分のことも考えて」


 アドリアンには恋人がいる。もうシャーロットの脚のことも知っていて、アドリアンが屋敷に招くこともある。いい人だし、綺麗な人だ。二人の間は良好で、いつ結婚してもおかしくないくらいだ。

 しかし、シャーロットを誰かに任せるまでは、などと兄が言うものだから、未だに二人は結婚していない。

 兄の恋人と顔を合わせるたびに申し訳なくなって、また、兄の恋人が優しく、気長に待つわと言うたびにいたたまれなくなる。

 かといって結婚なんて適当に相手を見つけてするものでもない。


「しかし、僕が出て来る必要もなかったんじゃないかな」


 エリオットが次に言うことを察して、シャーロットはまた目を伏せた。


「リアム、だったね。彼はシャーロットのことを好いているようだし、シャーロットだって、彼のことを大切にしているんだろう?従姉弟での結婚もめずらしくないよ」


幸いにも彼は優秀なようだし、と付け加えられる。

 アドリアンが、テーブルに拳を叩きつけたのでシャーロットはびくりと震えた。


「それだけはいけない。たとえリアムがシャーロットに求婚し、シャーロットもそれを受け入れたとしよう。この子たちは互いに依存し合うだけの空虚な関係をこの先も続けていくことになる」


シャーロットはなんと言えばいいのかわからず苦笑してエリオットを見た。エリオットはアドリアンの言っていることの意味がわからないようで眉間に皺を寄せている。

 シャーロットにもうまく説明できる自信はなかったが、伝えられるだけは伝えることにした。


「あの子の前ではっきり言えば傷つけてしまうでしょうが、私も兄もわかっているんです。あの子は勘違いをしてしまっているのです。家族愛、友愛、贖罪、それと恋の違いが、あの子はわからなくなってしまっているだけで」


 昔から責任感の強い子だった。正義感も。

 だから自分の罪を贖うのは当然のことだと思っているし、家族のように慕っていたシャーロットが対象なら余計真剣になる。

 実際、彼の感じている罪の意識は彼が感じるべきものではないのに。


「医者になるなんて、初めて聞いたわ」


 アドリアンは眉間に皺をよせシャーロットから目を逸らした。


「お兄様は知っていたのね。どうして止めなかったの?あの子は自分のやりたいことをやるべきよ」

「当然私も父さんもそう言った。だがお前も知っているだろう。あいつは頑固だ」


今まで、リアムに将来をどうするかなんて聞いたことがなかった。シャーロットから訊くことでリアムを追いつめてしまう。

 だが、何も言わなくてもリアムはもう十分自分を犠牲にしていた。


「彼と君の間に何があったか、僕は訊いてはいけないのかな?」


エリオットの質問に答えたのはアドリアンだった。


「私は君を信用しているが、すべてを話すには君は妹の信頼を得ていない。ここまで巻き込んでしまったのに申し訳ない。それとできれば、この子と結婚できないようなら脚のことも墓まで秘密として持って行ってほしい」

「ああ、いや、それはまったくかまわないんだ。人の秘密を吹聴する趣味もない」


 ただ、とエリオットの視線が、車椅子に向く。


「どんな事情かは知らないが、シャーロットの脚が直れば大部分が解決するようだね」


リアムが医者になると言ったこと。シャーロットが結婚をためらうこと。それだけわかれば確かに、彼の言う通り脚が多くの問題を引き起こしていることはわかるかもしれない。


 考えるように顎に手を当てたエリオットは空を見て、続いてシャーロットの脚を見て、最後にシャーロットの顔とアドリアンの顔を何度か交互に見た。

 そして優しく微笑んで人差し指を立てた。


「リアムが治すと言うからには君の脚は治る見込みがあるということだね?」


ためらうシャーロットより先にアドリアンが力強く頷いた。

 シャーロット以外、家族全員がシャーロットの脚を治すことを諦めていない。


「それなら、力になるよ。大切な友人の妹が困っているなら放っても置けないし、今となってはシャーロット、君だって僕の友人だ。それになにより僕は医者だからね。体に不調のある人を無視できない性分だ」


 そんな、ご迷惑をおかけするわけには、と首をふろうとして、アドリアンが邪魔をする。


「本当か!」

「これまで色々な人に診てもらったのなら、僕の力が及ばないかもしれないけれど、これでも僕も医者だ。いくらか力にはなれると思うよ」

「この子の脚は心の傷が原因であっても?」

「そうなのかい?」


アドリアンは 『あっ』 という顔をしてシャーロットを見たが、一人で勝手に話を進める兄に 「気にしないで」 と言うほどシャーロットも優しくない。

 その様子を見ていたエリオットは、シャーロットとアドリアンが誤魔化す前に、話さなくてもいいと言ってくれた。


「アドリアンの言う通り、よく知らない僕を信用しろというのも難しい話だからね」

「いいえ、決して信用していないのでは……」

「ああ、責めているんじゃないよ。むしろ人間が生きていく中で警戒心というのは不可欠だからね」


 彼が自分に気を遣わせないように言ってくれているのはわかるが、妙に説得力のある正論を聞かされているようで、不思議な気分になる。彼の言葉だけで自分が正当化される気分になる。


「心の傷が原因であるなら僕の方がこれまでの医者より慣れているかもしれない。なにせ患者が貴族だと生活習慣病ばかりでね。逆に、一般階級だと一番は栄養不足が多いんだけど、心の問題を抱える人も多い」

「そうか……。そうか! 私の知る限りで君ほど優秀な男はいない。シャーロット、今度こそお前の脚も治るぞ」


 シャーロットは首を横にふる。


「あまりエリオット様にプレッシャーをかけないでお兄様」


こうなった兄を、シャーロットは止められる気がしない。生憎父は出ているし、母はおっとりした人なので基本的に男性陣の決定事項に口は挟まない。

 申し訳なく思いながらも頭を下げた。


「ではあの……診察していただいて、助言などいただけたら嬉しいです」


 まさか長々自分に付き合ってもらうわけにもいかない。これでまったく進展がなくアドリアンとエリオットの友情にひびが入るのも本意ではない。

 一日だけもらって少し診てもらって終わりにしようという意味で言ったのだが、この場の誰にも伝わらなかったようだ。


「僕は自分の診療所での仕事もあるので日曜日にしか来れないけれど大丈夫かな」

「そうだな、君も忙しい」


 男の人ってね、はっきり言わないと言外に込めた気持ちなんて気づいてくれないの。母はそんなことをよく言う。

 兄は優秀だし、兄に物怖じしないエリオットも優秀に違いないが、母の言う男性の例にもれないらしい。


「先払いの方がいいだろうか?」

「いや、君や君のご家族から金は受け取れないよ。僕がやりたくてやるだけだ。では、そうだね。また改めてうかがうので、来週までに僕のことを忘れないでくれると助かるよ、シャーロット」


 後でエリオットに診てもらうことを言うと、リアムはますます機嫌を悪くした。

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