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1.

 部屋の扉を叩く音がしても、シャーロットはペンを動かす手を止めず返事をした。

 人が入ってきても、そちらを振り返らず、こちらから声をかけることもしない。

 すると、右手からペンが取り上げられた。


「挨拶もなしか、シャーロット」

「今は授業の真っ最中のはずよ、リアム」


新しいペンを引き出しから取り出して、あくまで視線は彼と合わせないようにした。

 貴族の娘は家で勉強やマナーを学ぶが、息子となれば将来国を担うこともある彼らはほとんど誰もが学校に通う。部屋に入って来たリアムも例外でなく学校に通っている。

 時刻は午後三時と、授業に出席していなければいけない時間だ。


「あんな授業、受けるに値しない。俺は天才だからな」

「自らをそう言って成功した人は私の周りにはいないわね。偉大になりたいのなら、謙虚でなければいけないわ」


二本目のペンも奪われたところで、シャーロットは溜息をついてリアムの顔を見た。

 ブスっと頬を膨らませていた彼は、シャーロットと目が合うとすぐに満足そうに頷いた。


「だが謙虚すぎても行動力が欠ける場合がある。俺のようにほどほどに力を抜くのが丁度いいんだ」

「貴方のおさぼりの量はほどほどじゃないわ。そして謙虚さこそほどほどに持ちなさいということ。あまりお姉さんを困らせないで」


リアムはフン、と鼻で笑った。


「何が 『お姉さん』 だ。三つしか変わらないだろう。お前はいつまで俺を子ども扱いする気だ」


 三つの差は大きい、とシャーロットは思う。つい二、三年前を思い出すとそれが明らかだ。今でこそリアムを見上げるようだが、当時の彼はまだシャーロットより小さかった。それより前ならもっとはっきりしている。リアムがやっとよちよち歩けるようになった時、シャーロットはもう木に登れた。登るとよく怒られたが。

 どんなに彼が成長しても、シャーロットにとってリアムが弟のような存在であることに変わりはない。

 それを言うと彼がムキになることを知っているのでわざわざ口に出しはしない。


「お父様から聞いたわよ。貴方、試験では首位をとったそうじゃない。そんな風に学業を疎かにするとすぐに誰かに追い越されてしまうわ」


 言いながら、そんなことはないのだろうとも思う。

 リアムは何事にも妥協を許さない。シャーロットの兄に対抗しているためだとシャーロットは知っている。

 あの兄はシャーロットの自慢であり、コンプレックスでもある。しかし女の自分よりも、同性で近くにいたリアムの方がよっぽどあの人にコンプレックスを抱いている。

 何でも涼しい顔をしてこなす兄を、リアムは憧れ、同時に嫉妬している。ああなりたいと思う一方で、越えていきたいと思っているのだろう。


 顔立ちも整っているために、なんでもできるリアムは女性からの人気が高い。シャーロットの兄と同じ黒髪で、しかし兄と違いクセの強いことを気にしているリアムは短髪にしてクセ毛がわからないようにしている。

 幼いと思っていたがいつのまにか凛々しい顔立ちになり、周囲からも頼りにされているようだった。


「かたいことを言うな。今日は天気がいいからな。お前と外を歩きたくなったんだ。ここしばらく部屋にこもりきりだろう」

「お世話になった先生方へのお手紙が、まだ全部書き終わっていないのよ」

「なんだって手紙なんて……」

「お父様が失礼なことを言って追い出してしまったでしょう。お詫びと今までのお礼も言えていないもの」


 数週間前、シャーロットの家に住み込みで働く医師三名がまとめて解雇された。父は追い出す際、顔を真っ赤にして、彼らをやぶ医者と罵って荷物も何もかもを外に放り出した。


「詫びも礼もする必要なんてない。あいつらはシャーロットを侮辱したんだぞ! それにあいつら、お前の脚を治す気だってなかったんだ!」


リアムは叫ぶなり、机の上にあった書きかけの手紙をぐしゃりと握ったと思うと部屋にばらまいた。


「もう! なにするのよ。私じゃ拾うのだって一苦労なのよ。ちゃんと貴方が拾って、リアム」


 座っていた車椅子をガタガタ揺らして、シャーロットはリアムに抗議した。


 シャーロットの脚は動かない。立つこともできない。こうなってかれこれ八年になる。もう車椅子にも随分慣れた。

 心因性のものという診察結果は間違いではないだろうと思う。

 

家で働いていた医師たちはよくやってくれていた。だがどうしようもなかった。心の問題となれば治すために必要なのは心の傷の回復で、彼らの専門は体の不調だ。だから治すのは困難だったろうし、そのことを愚痴に出すのも仕方のないことだった。ただその内容の中にシャーロットへの不満もあり、それを父に聞かれたのがまずかった。

 その場に居なかったシャーロットもおおかたどんなことを言われていたか察しはつく。容姿のことや、厄介な患者であることだろう。これまでも、父には言わなかったが彼らの会話は耳に入っていた。


 家族が皆黒髪なのに対して、シャーロットの胸元まである髪は錆色の赤毛。

 また、厄介な患者であるのは、脚が動かなくなった心当たりを頑として口に出さないからだ。


「先生方の新しい勤め先もどうにかしなくてはいけないわ」

「どうしてシャーロットがそんなことをしなければならないんだ! あいつらの自業自得だ!」

「そんなことないわ。先生方は何も間違ったことを言ったわけではないのよ」


子供に言い聞かせるようにリアムの腕をさすっていると、窓から、門の前に馬車が止まったのが見えた。


「お父様が帰って来たのかしら……」


 シャーロットの視線を追ったリアムは首を傾げる。


「いや……?帰りは明後日だと聞いたぞ」

「寮生活の貴方がどうして私よりも細かく家の予定を知っているのかしら?」

「三日に一度はここに来ているからだな」

「きちんと授業をうけなさいと言うのに……」


 それなら我が家の家紋が描かれた馬車は誰を乗せているのだろうか。

 兄は今日は休暇をとっているため朝から家にいる。母もいつも通り家にいる。誰かが来ると聞いた記憶はない。

 だとすると、思い立ってやってきた祖父母くらいか。


「お迎えに行かないといけないわね」

「そうだな。だが万が一知らない客人を乗せていたらどうする?」


 シャーロットは歩けなくなってからほとんど外に出ていない。歩けないことを隠しているためだ。

 もし他所の誰かに見られたら、今な貴族の方々は脚が動かなくなった理由を詮索してくるだろう。どこから情報が漏れてしまうかもわからない。

 脚の動かない理由だけは、他所の誰に知られるわけにもいかない。家族もリアムも気にすることはないと言うが、シャーロットは頷く気などさらさらない。


「そうしたら私はシャーロット・ノースロップの友人として遊びに来たジェーンということにすればいいわ」

「またすぐにばれそうな偽名だな」

「ばれたっていいのよ。私がシャーロットじゃないと思わせればいいんですもの」




***




 屋敷から出ると、門の前には兄がおり、馬車から出て来た見知らぬ男と握手を交わしていた。幸い向こうはこちらに気づいていない。

 リアムをふり向くと、車椅子を押していたリアムもマズい、という顔をしていた。Uターンをして、と頼むと、リアムはすぐに頷いて車椅子を回転させようとした。

 しかし、その手が止まる。


「シャーロット」


 兄の、静かなのによく通る声がここまで聞こえてきたのだ。

 リアムもシャーロットも一緒になり兄を見れば、兄はこちらへ来るようにと手招きをしていた。


「どうしましょう」

「行くしかないだろう」


 そうよね。尊敬するお兄様に、リアムは逆らえないものね、とシャーロットは頷いた。


 兄のすぐそばに行くと、兄の隣に立っていた客人の顔もようやく落ち着いてきちんと見れた。


 背は兄と同じく高くて、金髪のサラサラの髪は兄と違って後ろに流していないため少し幼く見える。緑色の瞳は宝石のようだった。全体的な雰囲気の柔らかい人である。

 後ろでリアムが、 「足が長い……」 と呟いたのが聞こえた。


「伝える前からシャーロットが部屋から出て来るとは想定外だったが……。エリオット、これが妹のシャーロットだ。それとそこのは、従弟のリアムという」


 兄に紹介されながら、エリオットと呼ばれた男性をちらりと盗み見ると、笑ってはいるが困っているようにも見えた。


 お辞儀をして挨拶をすると、エリオットは微笑んでシャーロットと視線を合わせるために体をかがめた。たったそれだけのことだが、シャーロットにはそのさり気ない気遣いから彼がよくできた人であることを悟った。


「初めまして。僕は君の兄上の友人で、エリオット・メラクリーノといいます。シャーロットと呼んでも?」

「え、ええ……もちろん」

「そう、ありがとう。僕のことは好きなように呼んでほしいけれど、ファミリーネームで呼ばれるのはあまり慣れていないんだ」


メラクリーノというと、由緒正しい伯爵家の方だろうか。兄の話では時折、メラクリーノ伯爵の次男の話が出て来た。

 また、エリオット・メラクリーノという名前も聞き覚えがあるのだからおそらく間違いないだろう。


「では、エリオット様と……」

「そうだね、それがいい。君のことはよくアドリアンから聞いているよ。彼は君がかわいくてしかたないようでね。それと、君のことも」


 エリオットがリアムに微笑む。シャーロットはこっそりリアムの顔を振り返って見てみた。笑顔を返しているが、頬がひきつっている。リアムは距離感の近い人が苦手だ。取り繕っているもののまだ足りない。


「学校では最優等だそうだね。アドリアンの話はほとんどが君たちのことだからあまり初対面の気がしなくて、不思議な気分だよ」


こんなに綺麗な顔でこんなにとろけるような笑みばかり浮かべるこの人は、どれだけ女性に騒がれてきただろう。アドリアンやリアムもなかなかのものだが、この人は種類の違う美形なせいでシャーロットは落ち着かなくなる。


「本日は奥様は……」


 シャーロットが言うと、答えたのはエリオットではなく兄だった。


「彼は独身だよシャーロット。どうだろう、お前は彼を」

「アドリアン」


 アドリアンの言葉を遮ったエリオットは、一つ咳払いをした。


「今日は日が強いから、シャーロットにはよくないのではないかな。僕もノースロップ子爵にご挨拶をしたいし」

「そうか? そうだな。だが生憎父は出張中でな。君とシャーロットのことは父から私に任されている」


 君とシャーロットのこと?


「お兄様、それはなんのこと?」

「ああそうか。お前にはまだ言っていなかったな。今日彼を招いたのはお前に」

「アドリアン」


またしても、アドリアンの言葉を遮ったエリオットは今度は咳払いというよりもせき込んだ。


「子爵夫人に挨拶をさせてくれないかな」

「ああ、母なら侍女長と話をしていたな。案内しよう。シャーロット。リアム。お前たちは先に客間へ行っていなさい」


 わかったと言おうとしたシャーロットを、リアムが止めた。


「いいや。シャーロットの気分転換も兼ねて少し庭を散歩してくる。日傘を持って行けば問題ないだろ? せっかくいい天気なんだ」


シャーロットは、あら、と口元を抑えた。

 アドリアンの言いつけを拒否するなんて珍しい。それに、日が強くてよくない、と言ったエリオットの言ったことをリアムは否定している。どうしてだかはわからないが、エリオットのことが気に入らなかったらしい。初対面で理由もなく誰かを攻撃するような子ではないのに、とこれも珍しい。


「しかしな」

「いや、いいじゃないかアドリアン。夫人にご挨拶している間にすっと待たせるなんて忍びないよ」


どうしてか焦った様子でリアムに賛成するエリオットに、アドリアンは、君がいいならと反対するのをやめた。




***




「せっかくお散歩しているのだから、もう少し楽しそうにしましょうよ」


仏頂面のリアムに言うと、リアムはむむっと眉を寄せた。


「楽しんでいるように見えないか?」

「十人いたら十人が見えないと答えるわね」


 シャーロットがクスクス笑うと、リアムは更に眉間に皺を寄せた。


「エリオット・メラクリーノって、メラクリーノ伯爵の次男だ。家を出て庶民を相手に医者をしているんだって聞いたことがある」

「よく知っているわね」

「権力者の家の事情を知るのも男には必要なことだ。アドリアンの考えていること、だいたい察しがつくだろ。ばかばかしい。どうせあいつもやぶ医者だ」


 家で働いていた医師たち以外にも、脚を見てもらったことは何度もあるが成果はなかった。仕方ない。心の問題なのだから。

 しかしリアムはすっかり医者に不信感を抱いてしまっている。

 そうじゃないのよ、と何度言っても、新しい医師を見つけては大きな期待を抱いていたリアムは納得してくれない。


「ただお兄様に会いに来ただけよ。きっと」

「これまで友人と会うのは外でだけだったアドリアンが招き入れたんだぞ?おかしいと思えよ」

「私がいるからお兄様も気を遣ってきたの。それでも招き入れたってことは、彼はお兄様がそれだけ気を許している相手だということでしょう?」


 アドリアンは優秀な人だ。人を見る目もある。

 シャーロットと同じくリアムもわかっているだろう。シャーロットが言えばリアムは黙ってしまった。


「それに、お前の脚を見るためでないなら、お前の歳も、あいつが独身なのも考えて……」


リアムの眉間の皺はどんどん深くなる。


「ねえリアム。後でエリオット様にきちんと謝らないと駄目よ。失礼なことを言ったんだから」

「……わかっている」


だけどこの子はあんまりにも大人びている。

 いけないと口で言いつつも、エリオットを前にして子供っぽいリアムを見た時、シャーロットが嬉しくなったことはなんとしても隠そうと誓った。


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