石の記憶外伝 トムくん奮闘記 その21
出産
あれから、少し時が流れた。
クリスティンのお腹は、ますます大きくなっていた。
お腹の中の息子は、相変わらず元気いっぱいだった。日に日に激しくなる胎動は、小さな命が確かにそこにいることを教えてくれる。
もうすぐ会える。
そう思うと嬉しくてたまらない。けれど、いざ出産が近づいてくると、怖さも込み上げてくる。
ある日の礼拝の終わり。
クリスティンは信徒席に腰掛け、少し休んでいた。
そこへ、アーチーボルドがやって来た。
「だいぶ大きくなったな」
「ええ。予定日まで、あと三週間あるんです」
クリスティンは、お腹に手を添えて微笑んだ。
「嬉しいような、怖いような……なんだか不思議な気分ですね」
「そうか。もう名前は決めているのかな?」
「はい。アレックス・ブルースっていうんです。ミリーお祖母様が、ブルースという名前をくださったので……」
そこまで話したときだった。
クリスティンの顔が、ふっと曇った。
「……あっ」
眉を寄せ、お腹を押さえる。
「どうした?」
「お腹が……赤ちゃんが……」
彼女は苦しそうに顔をしかめた。
「まだ三週間も先なのに……」
アーチーボルドは、すぐに事情を察した。
「まさか……産気づいたのか?」
クリスティンは答える余裕もなく、痛みに耐えていた。
アーチーボルドは立ち上がると、急いでトムを探しに向かった。
「トム! 大変だ、クリスティンが産気づいた!」
その声に、トムは弾かれたように振り向いた。
「クリスはどこにいるんです?」
「後ろの信徒席だ。妻が付き添っている。君はすぐに行ってくれ。私は牧師先生に知らせてくる!」
「……すまない、じいさん!」
トムはそう言い残し、妻のもとへ駆け出した。
その瞬間だった。
二人の間にあった確執が、ほんのひととき、姿を消した。
過去が消えたわけではない。 互いの気持ちが変わったわけでもない。
ただ、今は違った。
妻を案じる夫と、義理の孫を案じる祖父。
二人の心は、同じひとりの女性へと向かっていた。
* * *
知らせを受けて、シモンズ牧師、アンジェリーナ、そしてクリスティンを案じるミルドレッドも、信徒席へと集まってきた。
クリスティンは、痛みが来るたびに顔をしかめていた。
トムの顔からは血の気が引いていた。
「クリス、大丈夫か? もうすぐ病院に着くからな」
そう声をかけることしかできない。
痛みが少し治まると、クリスティンはかすかに微笑もうとした。
しかし、次の痛みがすぐにやって来る。
「……っ!」
トムは時計を何度も見た。
十分快ほどおきに、彼女の顔が苦痛に歪む。
一刻も早く病院へ連れて行かなければ。
トムは立ち上がった。
「車を取ってくる!」
そう言って駆け出す背中に、教区の信者たちから励ましの声が飛んだ。
「クリスティン、頑張って!」 「大丈夫、みんな祈っているからね!」
クリスティンは痛みの合間に、
「ありがとうございます……」
と、弱々しい声で返すのが精いっぱいだった。
やがて、トムが車を回してきた。
彼はクリスティンのそばへ駆け寄ると、アーチーボルドを振り返った。
「義父さん……いや、じいさん。俺の後についてきてくれ!」
アーチーボルドは、すぐに頷いた。
「分かった!」
トムはクリスティンを車に乗せ、産院へと向かった。
アンジェリーナも同乗し、娘の手を握った。
「大丈夫よ、クリスティン。赤ちゃんも頑張っているわ。あなたも一緒に頑張りましょうね」
クリスティンは、母の言葉に小さく頷いた。
もう、声を出す余裕もなかった。
車は産院へと急いだ。
* * *
産院に到着すると、入口ではすでに担架が待ち受けていた。
医療スタッフがクリスティンを迎え、すぐさま処置室へと運んでいく。
トムは、その後ろ姿を呆然と見送った。
ついに、この時が来たのだ。
もうすぐ、息子に会える。
そう思う一方で、妻が苦しむ姿を前に、何もできない自分がもどかしかった。
アーチーボルドも、ただ静かに祈っていた。
クリスティンの無事を。 そして、生まれてくる小さな命の無事を。
こうして、クリスティンの出産が始まった。




