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第11話 記録されない部屋

 通路の奥は、想像以上に狭かった。


 大人一人がやっと通れる幅。天井も低く、少し背を丸めないと頭を打ちそうになる。壁は石造りだが、表面が妙に滑らかで――まるで後から何度も削り取られたような、不自然な平らさがあった。


 足音が、やけに響く。


 コツ、コツ、と乾いた音が反響して、距離感が狂う。前を歩くセリスとの間は数歩しかないはずなのに、ときどき十メートルくらい離れているように聞こえた。


《現在の生存確率:98.6% → 96.9%》


「入っただけで下がるのかよ」


《未知領域への進入により不確定要素が増加しています》


「毎回ちゃんと理由つけてくるな」


《必要な情報です》


 前を歩いていたセリスが、足を止めた。


「……ねえ」


「分かってる」


 言われる前に、俺も足を止めていた。


 通路の先が、行き止まりに見えたからだ。


 石壁。継ぎ目もない。扉もない。だが――妙だ。


 壁として認識しているのに、壁の圧がない。


「……おい、AI」


《はい》


「これ、壁じゃないな?」


《同意します》

《空間密度にズレがあります》


「空間密度って何だよ」


《通常の物理的閉鎖構造として認識できません》


 つまり、壁に見えるだけで壁じゃない。


 セリスがゆっくりと振り返る。


「触る?」


「触る」


 迷う理由はなかった。


 俺は手を伸ばす。


 冷たい石の感触を予想していた。だが、指先は何の抵抗もなく、石壁の中へ沈んだ。


「……は?」


 声が漏れる。


 沈む。


 手首まで。


 肘まで。


「抜けるな」


「見れば分かるわよ」


 セリスは半ば呆れたように言ったが、その声もわずかに硬かった。俺と同じものを感じているんだろう。


《新規領域を検知》

《通過を推奨します》


「推奨ね」


《はい。継続期待値が高いです》


「相変わらず最悪の判断基準だな」


 だが、結局は進むしかない。


 俺は一歩、壁の中へ踏み込んだ。


 視界がわずかに歪む。


 耳鳴り。


 重力がズレる感覚。


 そして次の瞬間、俺は別の部屋に立っていた。


 広くはない。


 だが、さっきまでの通路よりは明らかに空間がある。


 石造りの四角い部屋。窓はない。灯りもない。なのに、部屋全体が青白くぼんやりと見えている。


 何もない。


 机も椅子も棚もない。


 何も、ないはずなのに――


「……おい」


 喉の奥がひくついた。


「ここ、何かある」


 壁を抜けてきたセリスも、同じ場所を見ている。


「ええ。何もないのに、真ん中だけ空気が違う」


《観測集中を確認》

《局所的反応上昇》


「やっぱりな」


 部屋の中央。


 そこだけに、視線が集まっている。


 今まで感じてきた“見られている”感覚が、露骨なくらい偏っていた。部屋全体じゃない。中央一点。そこに何かがあると、外側も知っているみたいに。


「……見えてるのか?」


《視認不可です》

《ただし存在認識にズレがあります》


「“あるけど見えない”か」


《近い表現です》


 セリスが小さく息を吐く。


「嫌な場所ね」


「同感だ」


 俺はゆっくり一歩近づいた。


 その瞬間、視界が“ブレた”。


 何もなかったはずの空間に、一瞬だけ机が見える。


 古い木製の机。


 椅子。


 紙の束。


 そして、それに向かって座る人影。


 次の瞬間には消える。


「……っ!」


 反射的に立ち止まる。


「見えた!」


「私も!」


 セリスの声が重なる。


 幻覚じゃない。


《存在の断続的可視化を確認》


「断続的……?」


《一定条件下でのみ認識可能と推定します》


「条件って何だよ」


《不明です》


 またそれだ。


 だが今の“不明”は、少しだけ輪郭があった。何も分からないんじゃない。あと一歩で掴めるのに、掴みきれない感じ。


 その時、セリスがポーチから小瓶を取り出した。


「粉、まだ残ってる」


「やってみろ」


 彼女は小瓶の蓋を開け、部屋の中央へ向かって白い粉を薄く振りまいた。


 粒子が宙を舞う。


 そして――


 止まった。


 何もないはずの空間で。


「……ぶつかってる」


 セリスが低く呟く。


 粉は、何かの輪郭をなぞるように空中へ残り続けた。線が引かれていく。机の天板。椅子の背。紙の山。そして最後に、人の肩と頭の輪郭。


《可視化成功》

《未確認存在の輪郭を固定》


「……いるな」


 部屋の中央に、一人の男が座っていた。


 だが“座っている”と表現するのも正確じゃない。姿勢だけがそこにある。顔の輪郭はぼやけ、服は細部が欠けている。紙と机だけが、逆に妙にはっきり見えた。


「おい」


 俺は声をかける。


「聞こえるか」


 男は反応しない。


 だが、ゆっくりと指が動いた。


 カリ、と乾いた音が部屋に響く。


 紙の上を、何かが走る音。


「……書いてる?」


 近づく。


 紙を見る。


 文字が並んでいる。


 だが、読めない。


 日本語とか異世界語とか、そういう以前の問題だった。目では追えている。文字列として認識している。なのに意味だけが頭に入ってこない。


《情報遮断を確認》


「何だよそれ」


《本情報は直接理解できません》


「何でだ」


《未観測情報の可能性があります》


 未観測。


 その言葉が、前に水面で見た文字と繋がる。


「……記録されてるのか」


 俺はぽつりと呟いた。


「こいつ、自分で書いてるんじゃない。何かに記録されてる」


 その瞬間、男の動きが止まった。


 セリスが俺を見る。


「今、何て?」


「分からん。けど、そんな感じがする」


《概念一致率の上昇を確認》


「一致してるのかよ……」


 じゃあ、合ってる。


 この男は何かを書いているんじゃない。書かれている。存在ごと、ここに記録として残されている。


 そこで初めて、男がゆっくりと顔を上げた。


 目が合う。


 その目だけは、異様にはっきりしていた。


 冷たいとか、怒ってるとかじゃない。


 ただ――終わっていない目だった。


「……お前、誰だ」


 問いかける。


 返事はない。


 だが、意味だけが流れ込んでくる。


 ――まだ、見えていない


「……っ」


 鳥肌が立つ。


 水路で聞いたあの女の言葉と同じだった。


 音はなく、意味だけが直接落ちてくる。この伝わり方そのものが、普通じゃない。


 その瞬間、部屋の空気が変わった。


 重くなる。


 いや、密度が増す。


 見られている圧が、一気に強くなる。


《警告:観測強度急上昇》


 背中に嫌な汗が流れる。


 今までとは比べものにならない。


 見られている。


 この部屋ごと。


 この男ごと。


 そして、俺たちごと。


「……何だよこれ」


《観測の集中が発生しています》

《外部反応:高》


【現在の生存確率:96.9% → 99.9%】


「上がりすぎだろ……!」


《注目の中心に到達した可能性があります》


 注目の中心。


 その表現は嫌というほどしっくりきた。


 今、この場面は“見せ場”なんだ。


 説明不能の部屋。記録される男。読めない文字。そして、“まだ見えていない”という言葉。


 こんなの、読者が食いつかないわけがない。


「……なるほどな」


 震える喉で笑う。


「そういうことかよ」


 セリスが俺を見る。


「何が分かったの」


「ここ、ただの隠し部屋じゃない」


 俺は男から視線を外さずに答える。


「“記録されなかったもの”が残る場所だ」


 その言葉に、部屋の空気が一段階、深く揺れた。


 まるで正解に近づいたみたいに。


《概念一致率:上昇》

《解析継続中》


 男が、もう一度紙へ視線を落とす。


 カリ、と音が鳴る。


 読めないままの文字列が増えていく。


 その様子を見て、俺は確信した。


 こいつは終わっていない。


 消えたんじゃない。


 どこにも行けず、記録の途中で止まっている。


 そして――それを今、外側の何かが見ている。


「……いいぜ」


 俺はゆっくり言った。


「そんなに見たいなら、見せてやる」


 誰に向けた言葉か、自分でもはっきりしなかった。


 でも、確実に届いた。


 その瞬間、視界の数字が跳ねた。


【生存確率:99.9% → 表示不能】


「……は?」


《解析不能領域に到達しました》


 AIの声が、ほんの少しだけ揺れた。


 そして俺は理解する。


 ここが分岐点だ。


 ただの調査じゃない。


 この部屋は、物語の裏側に繋がっている。

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