80話 消えた犯人・事件編
数時間後、署内。葵たちが駆け込んできた。
「史郎さん、全部当たりました!」
「タクシー強盗も、倉庫窃盗も、連続窃盗も!」
「犯人全員逮捕です!」
史郎は新聞をめくりながら「ふーん」とだけ言った。
葵が苦笑して言う。
「嫌なクソジジイだけど、やっぱ天才だね」
真由も頷く。「口悪いけど頭はキレッキレです」
梨花が肩をすくめた。「反則ですよね、もはや」
一徹がデスクにどかっと座り、ため息をつく。
「……いつもこうだったら助かるんだがな」
咲は愛想笑いを浮かべる。
「ええ、ほんと……頼もしいです」
史郎は黙って新しいファイルを開き、ちらりと中を見る。
「……今日の事件だな。現場、見てくる」
「おい史郎!報告書ぐらい書いてけ!」
史郎は手を振って背を向けた。
「興味のあるうちに行かねぇと冷めるんだよ、パパ」
「だからパパ言うな!」
ドアが閉まる。残された一徹は、また深くため息をついた。
「……まったく、嵐みてぇな奴だ」
葵たちも「待ってくださいよ」と慌てて追いかける。
オフィス街の夜、ビルの谷間にパトランプの赤が滲んでいた。
白い遺体シートが一枚、冷たいアスファルトに広がる。
「物取りに見せかけた犯行。でも、監視カメラの死角を完璧に使ってる。これは偶然じゃないわね」
桐谷葵が腕を組み、現場の映像を見ながら呟いた。
非常階段を上り下りする黒い影。入るところと出るところしか映っていない。
街のカメラにも姿はない。まるで――その場から消えたように。
「まるで忍者ね」
小峰咲が軽口を叩く。
「いや、幽霊だろ。ビル街の亡霊」
真由が肩をすくめた。
容疑者は4人。全員女性。アリバイは完璧……のはずだった。
だが、珍しく史郎が口を開いた。
「……面白いな」
その一言に、全員の空気が変わる。
史郎が“面白い”と言った時、それは事件が厄介である証拠だった。
署内・捜査一課。
史郎はデスクに座り、監視映像を何度も再生していた。
再生、停止、巻き戻し。繰り返し、繰り返し。
葵たちは半ば呆れ顔だ。
「珍しいですね、あの人が真面目に仕事してるなんて」
咲が囁くと、梨花が苦笑した。
「見てるの、アリバイ完璧な容疑者の映像だけよ」
「……え、なんでですか?」
「完璧なアリバイこそ、嘘だってのが、あの人の持論なのよ」
史郎はタバコをくわえた。火を点けようとした瞬間、真由が止める。
「ここ禁煙です」
「はぁ?なんでだ。俺はアヘンでも吸ってるわけじゃねぇぞ」
「決まりですので」
真由は無表情でライターを取り上げた。
史郎は舌打ちし、代わりに缶コーヒーを開けた。
「現場も行かず、証言も聞かずに何がわかるんですか」
梨花が呆れ声で言うと、史郎は映像から目を離さずに答える。
「人は嘘をつく。目撃者の証言なんざ、もっと信用できん」
「どうしてですか?」と咲が問う。
「衝撃的なもんを見ると、人は“話を盛る”。信じるだけ無駄だ」
「屁理屈も天才的でしょ?」
梨花が笑い、真由がため息をつく。
「一度ハマると、あの人しつこいのよね……」
だが次の瞬間、史郎の指が止まる。
「……おい。なんでこいつ、屋上に向かった?」
「喫煙所があるんですよ。ついでに一服しに行ったんじゃ?」
「じゃあ、なんでヒールがスニーカーに変わってる?」
「残業続きで足が痛くなったから、履き替えただけでしょ」
誰もがそう言った瞬間、史郎が立ち上がった。
「出るぞ。現場に行く」
再開発中のオフィス街。
工事現場、通行止め、立ち入り禁止の張り紙。
葵が言う。「どんなに近道しても犯行は無理ですよ」
梨花も同意する。「被害者、裏では女性相手に高利貸ししてたらしいです。恨みなら山ほど」
史郎は聞いていない。屋上へ向かう。
「室長、こんなとこ調べても何も出ませんって!」
「そうですよー!」と咲が空を見上げて笑う。
「犯人、鳥みたいに飛んだんじゃないですか?」
「はは、いいねそれ。昔、ハンググライダーで殺人する小説もあったっけ」
葵が冗談を乗せる。
皆が笑う中――史郎だけが真顔になった。
「そうだ……飛んだんだ」
「え、室長?冗談ですよ?」
「飛んだ」
史郎は屋上の端を指す。
「お前、ここからあそこまで飛べるか?」
「無理です!落ちます!」
「じゃあ、この距離なら?」
史郎が足元に線を引く。咲が軽くジャンプした。
「これくらいなら」
「それがビルとビルの距離だ」
「飛んだとしても落ちたら死にますよ! 怖いでしょ!」
葵が言うと、史郎はふっと笑う。
「それが飛んだのさ。恐怖を蹴り飛ばしてな。……頭がおかしい?いや、勇気があると言っておこう」
真由が眉をひそめた。
「でも、誰も目撃してないのはおかしいですよ」
「人は空なんて見ねぇよ。深夜のオフィス街で空見て歩く馬鹿がどこにいる」
史郎は部下たちを振り返る。
「さっさと探せ。雨が降る前にな」
「まさか全部のビルの屋上調べろって言うんですか!? 証拠もないのに!」
「完璧に思っても、人は必ずミスを犯す」
そう言って歩き出した史郎の足元で、何かが光った。
彼はそれを拾い上げ、ニヤリと笑った。
「……なんですか、それ?」
「秘密だ」
数時間後。
ビルの谷間を駆け回る女性捜査官たちの無線が鳴る。
「史郎さん! 血痕と衣服の繊維が出ました!」
「科学捜査に回せ」
喜びの声の中、史郎は懐から何かを投げた。
「ついでに、これも調べとけ」
それは――折れたヒール。
「……あの時拾ったのって、これだったんですか?」
「ああ。犯人は慌ててスニーカーに履き替えた。ヒールを折っちまったんだろ」
その瞬間、咲が叫んだ。
「最初から言ってくれれば、もっと人動員できたのに!!」
史郎はポケットに手を突っ込み、笑った。
「言ったらつまらねぇだろ」
夜風が吹き抜け、ビル街のネオンが彼の背中を照らしていた。
笑いと恐怖と、ほんの少しの興奮。
こうして、オフィス街の深夜は、天野史郎と新人女性刑事たちの、
長く過酷で奇妙な捜査劇の幕開けとなった。
沖田は休憩室のソファに座り、後輩の女性捜査官たちと並んで、
刑事ドラマを見ていた。
画面の中で、ギターを背負った皮肉屋の刑事が書類の山に向き合っている。
「このドラマ、面白いですよね」
沖田が画面を見つめて言うと、隣の後輩が頷いた。
「そうですね。演技もリアルですし、
推理の仕方とか現場の雰囲気がすごく本物っぽい」
「これの原作、描いてる人って元刑事の女性らしいですよ」
後輩が少し誇らしげに話す。
「あー、だからリアルなんだ。……というか、うちに似てる人いるよね、
こういうの」
沖田が苦笑混じりに言うと、後輩も目を輝かせて同意した。
そのとき、廊下の奥から低い声が響いた。
「おい、沖田ー。つまらん事件ばかりだから俺は帰るぞー」
視線を廊下に向けると、背筋の伸びた男性刑事が、
悠然と書類の山を抱えて歩いてくる。
動き、口調、雰囲気――どれを取っても、画面の史郎にそっくりだった。
沖田はニッコリ笑う。
「ダメです。それだけは許しません」
差し出した書類の山を、史郎そっくりの刑事に手渡す。
男性刑事は受け取り、眉を上げる。
「……くだらん案件ばかりでも、紙の山があると少しは気が紛れるな」
皮肉交じりに言いながら書類に目を通し始める。
沖田は後ろで心の中でつぶやく。
(モデルは絶対、この人でしょ)
その頃、奉仕国家の一室。
マーヤが画面に向かって笑いながら言う。
「このドラマ、おもろいなー」
レオナも頷く。
「うんうん。史郎がいいね。あの“やる気ない遺伝子”、最高」
二人は互いに顔を見合わせ、画面の刑事を手で指しながら盛り上がる。
しかし、アリスとセイラは机に置かれた資料の山を見つめ、げんなりした顔をする。
「仕事しないなら出て行ってくれ」
「マーヤさん達は毎日楽しそうで羨ましいですね・・・」
テレビの中では、さっきの史郎がニヤリと笑っていた。




