78話「嘘つきたちの職場」
庁舎の屋上から降りると、午後の日差しが廊下のタイルを白く照らしていた。
小峰咲は息を整えながら階段を降りていく。
屋上の手すりにもたれ、ギターを鳴らしながら煙をくゆらせていた男の姿が、まだ頭から離れない。
(あの人……本当に室長なんだ)
「室長を見つけたのか、新人」
声をかけてきたのは、切れ長の目をした女性刑事――桐谷葵。
ジャケットを肩にかけ、口の端に皮肉な笑みを浮かべている。
「え、あ、はい……屋上で」
「はぁ……また隠れてタバコか。ほんとに仕事する気あるのかね、あの人」
後ろから、柔らかな声が聞こえた。
「でもよかったじゃない、新人ちゃん。初日で“あの天野”を捕まえたなんて、レアだよ」
声の主は真由。
小柄で眼鏡をかけた鑑識担当。語尾がやや甘く、どこかのんびりした印象だ。
「そ、そんなに珍しいことなんですか?」
「半年に一度あるかないか。前の新人なんて、初対面が三ヶ月後だったよ」
「えぇ……」
「咲ちゃん、だっけ?」と声をかけたのは、少し年上に見える落ち着いた女性――梨花。
背筋が伸びていて、髪はタイトにまとめられている。
どこか警察官というより、官僚的な雰囲気を漂わせていた。
「彼の気まぐれには慣れたほうがいいわ。彼は上からの命令も聞かないし、下の意見も無視する。
でも――彼が動いた事件は、全部解決してる」
その口調には、苛立ちと同時に、少しの尊敬が混ざっていた。
葵がため息をつく。
「問題は、動かない事件が山ほどあるってことよ。で、そういうのは全部ウチらに回ってくる。」
「ほんとだよぉ。葵さん、昨日も三十時間起きてたじゃん」
「うるさい真由。お前も寝てないだろ。」
三人の掛け合いに、咲はぽかんとする。
想像していた“刑事課”とはずいぶん違った。
もっと、規律正しく、冷徹で――
でも、ここはどこか“人間臭い”。
廊下の奥から、ゆっくりと足音が響いた。
「おお、全員そろってるじゃないか。奇跡だねぇ」
天野史郎が、両手をポケットに突っ込んで現れた。
ギターは背中に背負ったまま。
口にはまだ火の消えたタバコがぶら下がっている。
「……あんた、今度はどこに隠れてたんです?」葵が腕を組む。
「煙が出てたからバレちまった。いやぁ、新人は観察眼が鋭いね」
「観察眼って……タバコの煙でバレるのを観察眼って言うか?」
「言うさ。あれも立派な捜査感覚だ。感謝しな。」
咲は一歩前に出た。
「本日付で配属になりました、小峰咲です。よろしくお願いします!」
史郎は片眉を上げ、咲を見上から下まで眺めた。
「……ふぅん。いい目してるな。警察学校の優等生ってとこか。」
「っ……はい」
「優等生はすぐ壊れる。まあ、壊れたら俺が直してやるさ。ギターの弦みたいにな。」
咲がムッとするのを、真由が小声でフォローした。
「それ、褒め言葉らしいよ。……たぶん」
史郎は手をひらひらさせながら奥のドアを開けた。
「よし、全員集合。暇なやつからコーヒー淹れてこい。
新しい“お嬢さん”の歓迎会を始めようじゃないか。」
「お嬢さんじゃありません! 小峰です!」
その言葉に、室内の全員が笑った。
笑いながらも、葵はぽつりと呟いた。
「……久々に、面白くなりそうね」
史郎はギターのケースを開け、低い弦を一度だけ鳴らした。
「さあ、嘘つきどもを追いかける一日が始まるぞ。――ようこそ、地獄の職場へ。」
咲はその音を聞きながら、
胸の奥で高鳴る鼓動を押さえきれなかった。




