65話 ありがとうで世界を変えた日(改)
それは、ヨーロッパの石畳の街角から始まった。
冬の空気は冷たく、だが空気そのものは異様な熱を帯びている。
古い教会の影が落ちる広場で、二つの集団が睨み合っていた。
保守系団体のデモ隊。
揃いの旗、揃いのスローガン。
その声は荒々しくも、どこか切実だった。
「奉仕種族は不法移民や難民とは違う!!」
「奉仕種族は我々の将来の同胞となるべき家族だ!!」
プラカードを掲げる人々の眼差しは、冗談や扇動とは程遠い。
そこにあるのは、恐怖と期待がない交ぜになった、切実な願いだった。
だが、その期待を真っ向から打ち消すように、
背後から別の声が叩きつけられる。
「奉仕種族は弱者ではない!」
「社会的正義の枠には入らない!」
「Y遺伝子至上主義の奉仕種族は、女性への差別である!!」
リベラル団体のデモ隊だ。
拡声器越しの言葉は論理的で、言葉尻は研ぎ澄まされている。
両者の主張が空中で絡み合い、
路地には、今にも火花が散りそうな緊張が満ちていく。
通りすがりの一般人は足を止め、困惑したように呟いた。
「……で、結局どっちが差別団体なんだ?」
「もう、わかんねぇな……」
その疑問に、誰も即答できなかった。
――その一方、SNSはすでに祭り状態だった。
《奉仕国家、マジで女神国家》
《地球政府より子育て支援してくれるとか神すぎ》
《アリスさんの声、心臓にいい》
《異星人が一番まとも説》
画面をスクロールするたびに、
称賛、感謝、好意的な驚きが流れていく。
もちろん、懐疑的な声も存在した。
《侵略の第一歩》
《笑顔で価値観を上書きしてくるの怖い》
《教育に介入するのはアウト》
《“溶け込む”って結局、支配だよね》
特にリベラル層の一部は、即座に反応した。
「教育支援=文化侵略」
そのフレーズは、過去何度も使われてきた“正義の武器”だった。
だが今回は――広がらなかった。
だが、その批判は広がらなかった。理由は単純だ。
奉仕種族の支援先は、すべて既存の地球側の教育機関だった。
新制度は作らない。
特区も設けない。
奉仕種族専用の学校も存在しない。
あるのは、
今そこにある学校、今そこにある保育施設への無償支援だけ。
条件は、たった一つ。
――「奉仕種族の子どもが通う地域を優先する」。
それだけで、
同じ地域に住む地球人の子どもたちも、等しく恩恵を受ける。
つまり、
文句を言えば、自国の教育・保育予算に反対しているように聞こえてしまう。。
日本経※新聞の特派員が、ため息混じりに呟いた。
「地球側が拒否できない“善意の侵略”だ」
「だが、それを侵略と呼んだ瞬間……こっちが悪者になる」
それは分析であり、
同時に敗北宣言でもあった。
――リベラル系団体や評論家の間では、微妙な空気が流れる。
「教育支援って言うけど、金で好感度を買うやり方じゃないの?」
「“溶け込む”とか言いながら、実質は新しい支配の形かもしれない」
理屈は整っている。
だが、現実がそれを許さなかった。
《奉仕種族の優しさは危険な依存を生む》
そのタグは一時、トレンド入りした。
しかしコメント欄は、冷酷なほど現実的だった。
一般ユーザーがそれを一蹴していた。
「うるせえ。俺んとこの保育園、奉仕国家の寄付で給食費ゼロになったんだよ」
「現実に困ってる家庭を救ってる時点で正義だろ」
皮肉なことに、“リベラルの理屈”は、“奉仕国家の実行力”に押しつぶされていった。
街の声も、確実に変化していた。
スーパーのレジに並ぶ主婦たちが、スマホを見ながら話す。
「この支援で給食費無償化するらしいよ、マジで」
「へぇ~奉仕国家って、なんか怖いイメージあったけど……すごくない?」
「だって、口だけの政治家より早いもん」
男子高校生グループはニュースを見てニヤニヤしていた。
「やっぱマリナ様しか勝たん」
「奉仕国家に婿入りしたい」
「てか地球男子の希望だろこれ」
誰もが薄々気づいていた。
――彼女たちは、議論より先に行動する。
――そして、それは往々にして“正解”だった。
ニュース番組のスタジオでは、評論家たちが口角泡を飛ばして議論している。
「奉仕国家は実にしたたかだ」
「彼女たちは“強者”でありながら、“支配者ではない”立場を守っている」
「リベラルの一部は、“弱者”の定義に縛られすぎている」
「奉仕種族は、その枠組みを笑顔で粉砕したんだ」
「つまり、“保護されるべき女性像”の外側から来た――」
「“本物の女性強者”というわけですね」
「結果、保守層や一般市民には“頼れる隣人”として受け入れられ」
「リベラル層は立場を失う……と」
コメンテーターの一人が肩をすくめて笑う。
「善意と美しさで殴られたら……誰も反論できませんよ」
翌朝の見出しは、世界中でほぼ統一されていた。
『奉仕国家、教育支援で地球各国を感涙させる』
『異星文明、子育て予算で地球を救う』
『笑顔の外交が変える未来』
――地球は、笑顔のまま取り込まれていく。
それが善意によるものだと理解しながら。
会見の翌日の夜。
街灯の下で小さな花束がいくつも置かれていた。
手書きのカードには、短いけれど心のこもった言葉。
《あなたたちが来てくれてありがとう》
《息子の幼稚園、助かりました》
《あなたたちの子も、私たちの子も、同じ未来に行けますように》
その光景を、静かに見つめるアンドロイド――アーシグマ。
「……地球人の人たちの反応、概ね好意的ね~」
マリナが微笑む。
「ええ、予想よりずっと素直でしたわぁ」
シズクが首を傾げる。
「でも、まだ“嫉妬”の声も残っとるわぁ」
アリスが答える。
「嫉妬も、愛情の裏返しですよ。……人間らしくて、良いじゃありませんか」
アーシグマが短くうなずく。
「そうね~地球人って面白いわね~」
マリナが星空を見上げた。
「この惑星、案外やさしいわねぇ」
アリスが笑った。
「ええ。“ありがとう”が通じる限り、きっと」
そして三人は、夜風に髪を揺らしながら帰路についた。
その夜、世界の検索トレンド一位は――
#ありがとうで世界を変えた日
――それは、思想でも革命でもない。
ただ、感謝が世界を動かした夜だった。




