悪魔よりも恐ろしいモノが、今瞳に写っている。
チク タク チク タクと一定の音がこの空間に響く。
月曜昼間と言うこともあり今日は宿の利用者は少なく、カウンターで受験勉強を進める。
フロントは効きすぎ、と言えるくらいの冷房がつけられており外の暑さが少し寂しくもある。
今日はなにか嫌な空気が漂っている。効きすぎた冷房のせいか、あるいは第六感が危険信号を出しているのか。何にせよ、仕事を放棄するわけにはいかないので僕は頭から冷たい予感を振り払う。
ふと時計を見ると正午丁度。僕はスタッフ休憩中の立て札を掛け、裏で軽食を取ることにする。コンビニで買ったパンにかぶりつき水で流し込む。
「すみませーん!」
エントランスの方から聞き慣れた声が響く。
パンを手に持ったまま声の主の方へと歩く。
「あ、翼さん!注文してた物、持ってきたよ!」
「橘……お前学校は?」
「今日創立記念日なの、翼さんはいつも通り月曜休み?」
「そう、今利用者居なくて暇だし珈琲でも淹れようか?」
「ミルクと砂糖!」
はいはい、と生返事をしつつ僕は橘夕香『タチバナユウカ』の分の珈琲をカップへ注ぐ。
「ほら橘」
僕はフリースペースの机の上に珈琲とミルク、砂糖を置く。
「ありがと、翼さん」
橘は両手でカップを持ち上げながら珈琲を少しずつ飲み進める。
彼女、橘夕香は15歳の普通に見える中学生、その実態僕とは違う能力者だ。
パンをかじりつつふとテレビの方に目をやる。
先週4区で系6人が殺害された。犯人の特定は未だ済んでいない。
「4区って言ったら隣の所だよね……翼さん気を付けてね」
「なんで年下に心配されにゃならんのだ」
「翼さん護身術も何も習ってないじゃん、私が守ってあげてもいいんだよ?」
僕は無能力者だ、ただの何の取り柄もない一般人……神山町ではそうとされている。犯人がもし能力者ならと考えると橘の心配も間違ってはいない。
……犯人の特定は未だ済んでいない、か。
能力者なら特定できるんじゃないのかと疑問に思いつつニュース番組を目に入れ続ける。
「橘、代金払うの忘れてたな、ちょっと取ってくるわ」
僕は橘にそう言い残しフリースペースの扉を閉め、ロビーを通り自室へ戻りかける。
「なあガキ、ここって一泊いくら?」
ロビーの出入り口が開くと同時にそんな質問が飛び込んできた。本能がなにか、ヤバい。と告げている。僕より高い身長に紫の長い髪、赤黒い服からは血液の匂いが感じ取れる。見た目からして女であることは明白だが顔と胸以外には女としての要素……どころか現代を生きる者として異端、悪魔が服を着て歩いているとも言える雰囲気が纏わりついている。ニュースの殺人鬼、こいつの事だ。
「……3700円です」
利用客の可能性もあるので変な接客はできず、僕はそいつの質問に答える。
「そっかそっか。それさ、タダにしてくんね?」
懐から拳銃を取り、僕の胸元へ押し付けてくる。
「っぁ!」
本能が身体を一歩後ろへと誘導し、言葉にならない声をあげる。足元ではその際に落ちたものが転がる音が聞こえた。
「簡単な話、死ぬか泊めるか。選ばせてやるって言ってんだ」
目の前の殺人鬼は指を2本たてながら選択を迫ってくる。
こいつが非能力者なら、ワンちゃん活路はある。ただ違った場合は……
「翼さん変な音したけどだいじょう……」
「動くな」
ドスの効いた声がその場に響く。
僕は殺人鬼の持つ拳銃の銃口をなぞる様に橘への方へと振り返る。
「あ、……あぇ」
橘は気圧されその場で動きをとめる。
僕は、どうするべきか。思考が定まらず世界がぐるぐると回転するような錯覚さえ覚える。
だけど僕の体は思考が完結するより先に動き出していた。僕は殺人鬼の持つ拳銃を身体全体で抑え込む。
「橘!!逃げろ!!!!」
我ながら完璧な動き出しだったと思う。実際意表をつけていたし殺人鬼の方から舌打ちが聞こえてきた。
僕は何かを背中へ叩きつけられ身体を抑えつけられる形で拘束され、痛みが全身へと響き渡る。
「橘っ!!早……く走れ!!!!」
アドレナリンがドパドパ分泌されているのが分かる。ここまで来たら幸運値なんて当てにならない。
橘は同時にその場に屈み込みチョークを取り出す……が
「ば、かなんでこっち……来る!」
「……私のことは、何してもいいです。……だから翼さんを解放してください」
その言葉が言い切られた数秒後僕は上からの圧力が解けるのを感じる。
「興醒めした」
全身の力が抜けていくのを感じる。
「なんでそんなに面白くない反応するかね」
目の前の殺人鬼はその場に座り込む。
「あ、あ……の」
橘がたじろぎながら声を出す。
「そんなびびんなくてももう殺さねーよ。殺したらまた宿探ししねえといけねえし。とりあえず空いてる部屋貸してくれや」
「……無償で貸せる部屋は僕の自室しかない。」
「ちょっ、翼さん?!」
「こいつを野に放つほうがまずいだろ、最悪もっと被害者が生まれる。殺人鬼、僕の部屋を貸すのに条件がある。とりあえずここ……3区では誰一人殺すな。あと学生も。宿の近辺では一般人として生活しろ」
心拍数に比べ頭は妙に冷静だった、何かが似ているからか僕は殺人鬼相手へ交渉材料を提出するという到底理解不能な行動に至っていた。
「わーったよ。ここで殺さなきゃいいんだろ?」
「交渉成立……でいいよな。とりあえず部屋まで案内するから風呂入ってきてくれ。血液臭いんだ」
僕は橘と共に殺人鬼を自室まで誘導しバスルームに殺人鬼を押し込む。
中からは服や物を脱ぎ捨て床に落ちることで生じる金属音が鳴る。
「ほら、翼さんも」
橘は黄色のチョークとA5程度の紙を一つ取り出し三角と逆三角の周りに二重円を書き、円と円の間にロシアの筆記体の様な到底理解不能な言語をスラスラと書き入れていく。
「ケガしたの背中……だよね。こっち向けて」
僕は壁の方に身体を預け、背中を橘に向けると橘の掌が背中に当たる。
「ヒール」
背中から身体全体に広がるジンジンとした痛みは瞬く間に引いていった。
橘の能力……正確には能力ではないが橘は魔法を扱える。よく創作物であるファイアやサンダーなどと言った魔法、橘はそれ等を扱える。本人曰く身体強化や回復と言ったサポート系のものが得意、らしい。
「翼さんコレ、口に含んで」
橘がコレ、と表現したものは魔法陣が描かれていた紙とその上に乗った黄色の粉である。
橘の魔法は特殊であり、誰にかける時も基本的にこの解呪と呼ばれる作業を行う。粉の正体は勿論チョークであるので喜んで口に含みたいものではない。
ゴクリ、と粉を喉に通す。
「……うげ」
苦くて不味い。その感想が頭を支配した。
「なあ橘、これって本当にやらなきゃいけないことなのか??」
「必要……ではあるよ。解呪の為の保険として」
解呪。よく橘が口にする単語だ、彼女の魔法はどうやら完璧に近いらしい。完璧に近すぎるが故に魔法が身体を壊さない為の保険。僕には納得できないが能力者にとってはなんとなくそうであると感じる事は大切……だそうだ。自分の事は自分が一番理解している。そういう理論なのだろう。
「……というかさ。ずーっと気になってたんだけど」
前置きの後、橘はバスルームを指差す。
「あの人、着替えどうするつもりなんだろうね」
僕と橘の間に数秒の沈黙が流れた。
「……聞いてもらえる?」
コクッと首を縦に振りバスルームのドアノブを橘はひねると中から外へ水音が流れる。
僕は万一にも見えないように壁に目を向ける。
「ないからお願いだってよ。でもあの人身長190位あるけどそんなに大きな服あるの?」
「……あるな、女物のやつ」
「……女装癖??」
「母親のだッ!!」
語気を強めて反論する。
「スタッフルームにあるかもだから探してくる」
僕はそう言い残し、自室を後にする。
スタッフルームには母親が働いていた跡が残っている。服の一つでも、残っているはずだ。
ガサガサと音を立てスタッフルームのロッカーを物色する。
一着、仕事用の服ではあるがなんとか見つけることができた僕はロビーの階段を駆け上がる。
「服なんて持ってどうしたの?」
背後から声がかかる。
「夕香来てるでしょ、あの子シャワーでも浴びてるの?」
「まあ、そうだ」
彼女の名前は空乃天音『ソラノアマネ』、橘夕香の同級生であり、僕達とは人種の違う天人と呼ばれる亜人に分類される。
「夕香がいるのあんたの部屋でしょ、早く行くわよ」
天音は先走って僕の部屋へと向かう。
これ、もしかしてまずいのでは?このままだと天音はあの殺人鬼について知ってしまう。それはできるだけ防ぎたい事ではある。
何か、何かないか。天音に殺人鬼の事をバレずにやり過ごす方法は。
「翼?」
扉の前で静止する僕に天音は声をかけてくる。
「……すまん、鍵スタッフルームに置いて来たみたいだ」
とりあえず、少しでも時間を稼ぐ。という意味では良い考えではないだろうか。
「はぁ……たく、ホント……」
溜息と共に天音は目の前から姿を消した。
それとほぼ同時に中の扉からガチャ、という解錠音が鳴る。
「……翼、シャワールームのあの人誰よ」
姿を消したはずの天音が中から姿を見せる。空間移動……テレポート等とも言われる能力、それが空乃天音の能力だ。
「……偶々出会った殺人鬼」
言い逃れはできる気がしなかったので特段しなかった。
「とりあえず服着せてきて、話はその後」
僕がスタッフルームにある、と言った鍵を天音は振り回しながらカラカラと音を立てる。
シャワールームを開け、僕は視線が中に入らぬようそっと服を中に投げ入れ直ぐに扉を閉める。
「それで翼、なんで殺人鬼なんかを部屋に入れてるワケよ」
「天ちゃんそれは……」
「うるさい。今、私は翼に聞いてるんだけど」
俯きながらしょんぼりとする橘を横目に僕は事情を語る。
「つまるところあんたがその殺人鬼……の面倒みる、でいいのよね?」
いつの間にやら立っていた殺人鬼に視線を向けつつ事実確認をする。
「それで構わねえ、寝床さえあれば私はどうだっていい」
「もう一つ、翼のお父さんをどうやって説得するつもり?」
「外で困ってる人を呼び込んだ……って言うつもりだけど。母さんもそんな感じだったらしいしな」
父親と似たような行動で、なら無償で泊める事も許してくれるだろうという算段だ。
「そう、考えがあるならいいわ。じゃあ、自己紹介。私の名前は空乃天音、天人で能力者よ」
「私は橘夕香!天ちゃんと同じ中学校に行ってて、能力者!能力は秘密ってことでよろしくね」
「天上翼、この宿の支配人の子供だ」
「んじゃ、ジュリー・ストロード。アメリカ人だ、よろしくな」
彼女の口からは外国人独特の拙い日本語が発せられる事がなく、寧ろ日本人のなかでも日本語が上手な方という印象だった為、アメリカ人と言うことに少し驚いた。
「それじゃあ、今日からよろしくなクソガキ」
肩に手を置いてきたジュリーに不思議と警戒心は沸かなかった。殺人鬼について理解したつもりになっているのか、それとも単に自分の脳が狂っているのか。
「はぁ……なんにもしてないのに疲れた。翼、紅茶入れてよ」
「私にも1杯くれ」
ジュリーと天音にパシラされた僕はキッチンへと足を運ぶ。
こうして2度目の殺人鬼と同棲が始まった。




